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パニック障害と生きていく

6年ほど前に病院でパニック障害と診断されました。
発症は10年ほど前なのですが、気持の問題と捉え特に通院はしてませんでした。

今もまだこの症状と長く付き合っており通院と服薬もしています。

不便なことその1
電車にのれない。
少しは乗れるようにはなりましたが混雑している電車と急行には乗れません。

その2
映画館
必ず通路側に座ってます。
すぐ出れるように。
子供は真ん中に座りたがりますが。。

その3
飛行機
あの塊がそらとぶだけでも怖いのに。。薬飲んで乗ります。

その4
観覧車
久しぶりに子供と乗ったら、あ、ムリ。。

てな感じで共通するのは狭いところ、
すぐに出れないところ。

だからなんだって感じですが、
人の気持ちが少しわかるようになりました。
あとは人生の選択肢が狭まった分、自分で選択肢をつくるようになりました。

人の気持ちが少しわかるようになったこと
考えなきゃいいんじゃない?
前向きに生きなよ!
そんな無責任な言葉を放って周りの人を勇気づけている気になっていた20代。
いやいや考えなくてすむことなら誰も苦労しないよね。
不安障害もそうですが、頭が切り離せない分ほんとうに辛いのです。
気持ちが弱いからとかではなく、必死に生きてるんだな。
自分が苦しいのを知った分、あまり無責任に言うことはなくなりました。

自分で選択肢をつくる
電車に乗れないようになり、都内への通勤ができなくなりました。
その分、下り電車で行けるところの仕事を選ぶようになりました。
営業という仕事もお客様のところに行くのが難しいため避けていましたが
IT企業ならオンラインでもできそう。
IT企業×下り電車でいけるところ、そんな感じで転職しました。

でもそんなときにたまたまやってきたのがコロナ。
世の中が強制的に在宅ワークになり、打ち合わせなども全てオンライン。
クライアントにもオンラインが一気に浸透していき、全てがPC一つで完結できるようになりました。
これは私にとって絶好のチャンス。
営業だけでなく色んな仕事がオンラインでできるんですね。
また同時に副業が当たり前になってきて、クラウドワークのようなプラットフォームもとても増えました。
この風に乗っかりながら個人事業主になり、狭くなったと思っていた選択肢が一気に広がりました。
選択肢を自分で作るという行為をそもそもしてなかったらこの風に乗る準備すらできていなかったわけで。。。


そんな感じで当たり前にできていたこともできなくなり
不安で不便で悲壮感漂っていた時期もありましたが
「君が足を止めてうずくまっても時間の流れは止まってくれない。ともに寄り添って悲しんではくれない」(鬼滅の刃の煉獄さんより)
と煉獄さんが言っていた通り、悲劇のヒロインになっていても進まない、
とある時気づいたのでした。

まだまだ今でも共存してますし、電車に乗るときは薬飲んで表面上は楽しい顔してますが心臓はバクバクだったりしてます。
でも、できないことばかり見ていても進まないので
出来るようになる方法、うまく乗り越える方法をずっと模索してましたし
今でもまだまだ探しています。

そんなスタンスで生きてると、子供と接するときも〇〇だからできないね、ではなく、どうやったらできるようになるかという考えで接するようになりました。
子育てだけではなく仕事も。
どうやったらできるようになるかと常に考えてますしそれに近づけるよう自分磨きをしています。

そんなこんなで共存して10年位でマイナスなことばかりではないなぁとやっと気づけるようになりました。
これはある意味乗り越えたというよりかは共存する方法を見出したのかもしれません。

これから年を重ねるにつれ、予期せぬことがいろいろ起こると思います。
今も克服したわけではないですが、うまく共存するということも一つの手段として自分の中で見つけられた気がするので、、
自分の糧にしながら生きていきたいなぁと思います。





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