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「来た道・行く道」精神

「どうしてできるの?」。

女友だちが聞いてくる。

「再婚して3年ちょっとでしょ。
嫁歴も浅い、同居して間も無い、
そんなお姑さんのオムツを
どうして替えられるの?
アタシだったら出来ないかも」。

私を労いながらの
幼なじみの率直な意見。

「例えば、ワタシだったら
お義母さんとはもう20年以上の
付き合いだし、
孫も可愛がってもらってきたし、
何かと援助もしてもらって、、、
だから、もしその時が来たら
自然に”事にあたれる”かもしれないけど、
貴女にはそんなもの無いでしょ?
どうして出来るの?」

近頃は、幼なじみ達だけでなく、
同年代の女性陣が異口同音、
素朴な疑問を投げかけてくる。

そんな時、きっと私は、
鳩のような顔をしているんだろうと思う。

「え?逆に、どうして、
そんな疑問が生まれるの?」

と、ただただキョトン。

そうなのだ。私はただただ、
当たり前のことに
向き合っているつもりでしかなかった。

人はこの世に生まれて、
育って、老いて、最期を迎える。

運良くピンピンころりで人生をまっとう
できたら御の字、拍手喝采。

でも、きっといつかは、
この私も誰かの世話になり、
助けてもらいながら暮らす日がくるだろう。

そう考えたら、目の前の“事にあたる”のが、
人としてシンプルなことだと思ってきたし、
改めて、この今もそう思っている。

すべては順繰り、順繰りで、
「子ども叱るな来た道だもの。
 年寄り笑うな行く道だもの」。
私のお腹にはコレしかないのだ。

「じゃぁね、じゃあ、聞くわよ。
もしこの先、お姑さんが認知症になって
意思疎通できなくなって、
もっともっと、
うーん、なんて言うのかな、
言ってみれば感謝もされずに
”お世話のし甲斐”っていう、そんなものも
得られなくなったとして、
それでも、れいこ、できる?」。

高齢者施設で働く
別の幼なじみが迫ってきた。

私には、彼女たちの期待を裏切り、
可愛げのない答えしか浮かばない。

「いや、それだったら、
私はもっともっと出来ると思うの。
いま、排泄コントロールは
衰えてしまったけれど、
頭はしっかりしている、
その方が“何かと”大変だし、、、(笑)」。

と、つまらない答えしか返せないことを
カモフラージュするために、
少しだけ含みを持たせてみた。

確かにね、傷つくこともある。
もう無理と思った瞬間もある。
でも、それは介護が始まる前のことなの。

それが介護を避けることには直結しない。
もしかすると、もう、それは、
義母がどうの、夫がどうのではなく、
優等生的発言や、綺麗事ではなく、
お天道様の下で、
神様と私の誓約に近い感覚なのかもしれない。

幼なじみの皆は、
私の生来の性格を思い出し、

「そうかそうかぁ、でも無理は禁物。
れいこが倒れたら本末転倒だからね」

と、最後にはエールをくれた。

ひとしきり会話が終わって考える。

もしかして、私の選択って、
人によっては避けるものなの!? 
すり抜ける術を模索するところから
始める人の方が多いのかな。

私の中にそんな選択肢が
微塵もなかったことが可笑しくなった。

1度目の結婚で、
「へそくり」を悪だと信じて暮らし、
結局、預金通帳はおろか、
三人娘と、身のまわりの衣類と、おもちゃと、
長女の学校道具だけを抱え、
家を後にした日のことが思い出される。

私って、やっぱり、ヌケてるのかな?

まぁ、いいわ。
それが私なんだ。半世紀生きてきて、
そこはもう変えられない。
自分が後悔しない選択ならそれでいい。

ただ、、、

そんな自分を俯瞰しながら、
日々ぐるぐるぐるぐる頭の中を
巡っていることだけは整理しておこうと思う。

そう、
ぐるぐるぐるぐる
巡って巡ってしまうこと。

それは私自身が「愛される老い方」を
今から探求し貫いておきたいということ。

「来た道・行く道」。

私の根底にある精神は、
私自身が心の整理を
怠ることさえしなければ、
常に健全にそのままでいてくれる。

私が揺るがず“事にあたれる”原動力となって、
「愛され老い学」を支えていくのだ。


・・・次回は、その
「愛され老い学」について、です。

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