彼女の目印

初めて清美を見たとき、あまりの美しさに言葉が出てこなかった。
一緒にいた女友達が「すごいきれー」と口にすると、清美の表情は突然曇り、目をそらせて右手をパタパタした。「ちがうちがう」とでも言うように。
清美と仲良くなってから感じる。彼女が一番美しくないのはその美しい造形を褒められたとき。私は、初対面で彼女の容姿をうっかり褒めなかったがために、彼女のお気に入りになったようだった。そうとしか考えられない。

清美は洋服に無頓着で、でも背が高くスタイルがいいので何でもサマになる。もちろん、そんなことを本人に言ったことはない。イヤな顔をされるだけだろう。決まったブランドの定番服をときどき買って、そればかりをローテーションで着る。同じような服を何着も持っていて、多くはブラックのパンツに白のシャツ。冬はセーターやコートを着るけど、あまり代わり映えしない。ただ、服がみすぼらしいことはない。パリッと清潔で、隙がない。
髪型はロングで、後ろにゆるくひっつめている。適当にぐしゃっとまとめてるんだけど、それでもサマになる。本当は、すごく気を遣ってるんじゃないの? なんて気にもなる。
メイクもあまりしていない。ファンデーションに眉、マスカラくらい。

清美はまったくもってサバサバしていて、飾らない。私がバイトの愚痴を話すと一緒に怒ったり、からかって笑ったりもする。美しすぎるので最初は構えてしまうけど、仲良くなれば本当に普通の「男っぽい女の子」だ。
だから友達同士でも人気があった。ただ、初めて会った人に容姿を褒められるとムッとする、そこだけは器が小さいと思う。

清美と知り合って1年が過ぎ、私たちは大学2年生になった。
私がひとりで大学の構内を歩いていると、清美が知らない男の子と話していた。その男の子はぺこっとおじぎをして、その場を離れていった。
「清美」と声をかけた。「今の誰?」
「え、知らない人。B棟どこですか、って聞かれたの。1年生かな」
その後に少し不思議そうな顔をして、何か考えているようだった。そのとき私は、その理由がわからなかった。
その男の子はすらっとしていて、清美より10センチは背が高かった。なんだか、朝ドラに出てきそうなさわやか青年だな、って思った。

「次、一緒だよね?」清美が聞く。
「あ、そうそう、私たちもB棟だよ」
そう答え、ふたりで向かった。ドアを開けて教室の中を見ると、だいたい20人くらいいただろうか。ぱっと見渡して、真ん中あたりの席に座った。
清美の隣が、さっき道を聞いてきた男の子だった。先ほどは付けていなかったメガネをかけていたからすぐには分からず、座ってから気がついた。彼の方は、清美に気がついていないみたいだ。

講義が終わる頃、アンケート用紙が配られた。パソコンでメモを取っていた、清美の隣に座る男の子はカバンをゴソゴソと探したかと思うと「すいません」と清美に話しかける。
「あの、何か書くもの貸してもらえますか」
「ああ、ポールペンでいい?」
清美はすっかり1年生だと信じて、タメ口。

講義が終わって教室を出ようと出口へ向かうも、清美が来ていない。振り返ると、あの男の子と話している。
しばらくして、清美がこちらへ来たので聞いた。
「どうしたの?」
「あの子のカバンに・・・の作品集が入ってて」
「え、誰?」
「ええと、私が好きな現代アートの作家さん。あの子も好きなんだって」

その後の数日間に、驚くべきことが起きた。
私が清美といるときに、食堂や構内で同じ男の子に会っても、彼は清美に全然気がつかない。最初は、知ってる人でも挨拶しない失礼な男なのかと思った。でも違う。本当に気がついていないみたいだ。人の顔を覚えられないタイプなのかとも思ったが、それも違うみたい。食堂のおばちゃんに「この間はどうもー」なんて言っているのを聞いたことがある。目が悪いんだろうか? それにしても、清美と話してその後顔を覚えていないなんて、すごく変わった人なんだと思う。

一週間が過ぎ、同じ講義の日。
清美は、なんと真っ赤な口紅を付けてきた。思わずじっと見てしまうほど、すごくよく似合う。マニッシュで無機質なファッションに、赤い口紅。男女問わずいろんな人が振り向いて、二度見していた。「えー、今日はどうしたの?」と直接聞いてきた人もいた。清美はやっぱりパタパタと顔の横で手を振るが、美人と言われた時と違っているのは、表情が穏やかなこと。
私といえば、清美を初めて見たときのように、やっぱり何も言えなかった。

清美は講義の後、またその男の子と話していた。後から聞くと美術館の企画展へ誘ったんだそうだ。その時に、やっぱり1年生だってことと、「トモヒコ」って名前を知った。

清美はそれから毎日、赤い口紅を付けてきた。それがあまりにも似合い過ぎて、少しするともう赤い口紅をしない清美が思い出せなくなるくらいだった。

それからは、トモヒコにどこで会っても、彼は清美をちゃんと見つけるようになった。

清美の赤い口紅は、彼女が初めて誰かのために容姿を着飾った姿だったんだと思う。綺麗だと思われたいというより、目印としての、赤い唇だったんだ。

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後日談がある。わかると思うけど、2人は付き合うようになった。

私たちが卒業するとき、謝恩会のためにドレスアップした清美(もちろん真っ赤な口紅を付けている)を見たトモヒコはすごく驚いたような顔をした。

みんながいる前で、まるで今まで知らなかったかのように言った。
「えっ、すごく、きれいだ」
みんなが目を丸くして
「嘘でしょ? 今気がついたとか!?」
「遅ーーい!」
と口々に突っ込んだ。
トモヒコ! それ言っちゃだめ! とハラハラして清美を見ると、赤い唇を「イー」の形にして照れ臭そうに、嬉しそうに笑っていた。
「初めて言われたー(笑)」
外見を気にしないトモヒコだから、清美は好きになった。で、その人に容姿を褒められるのは、アリなわけだ。
私は心の中で「結局嬉しいんじゃないの」と毒づき、4年間ずっと言えなかった言葉を言おうと決めた。
「ほんとに綺麗だよ」
清美は何を言うでもなく、少し眉をあげて少しにっこりした。まるで「その気持ちはずっと知ってたよ」と言わんばかりに。

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