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再スタートしたくてもできないのは何のせい?

5年生で転校した長男。次男は新1年生となった。長男はほぼ学校へ行かなくなり、次男は一日おきくらい。

長男の睡眠の問題がある。これは一筋縄ではいかないので長く話す必要があるのだけど、かいつまんで話すと寝つきが悪くて夜中まで起きて遊んでいて朝起きられくなっている。

朝「休みます」と連絡するのだが、その際に「親が甘やかしていると思われている」と思うことが増えてきた。

前の学校でも経験したし、よく言われるし、相手(先生)の気持ちもわかる。弁明してもどうにもならないし、そう思われたくないからと自分を守っても何にもならない。受け入れるしかない仕方のないことだ。

これは経験しなくてはわからないだろう。私だって、まったく想像ができなかったことばかりなんだから。

新しい学校で再スタートをしたいと思っていた

長男は本当に朝が苦手なのだけど、新しい学校ではちゃんと行きたいと思っていたみたいだった。最初はちょっと寝坊しただけで私に「なんで起こさないんだ!!」ってキレまくっていた(時間を勘違いしていただけで間に合う時間だったんだけど)。

6月から学校が再開されて、頑張って起きていたし、1週間~2週間くらいはだいたい行っていた。

でもあるころから、電池が切れてしまった。

学校への失望みたいなもの。「なぜ自分のペースでできないんだ」「なぜわかっていることの説明をもう一度聞かなくてはいけないんだ」「新しいことだって、さっと説明してくれればいいのになんであんなに時間をかけるんだ」それがもう、耐えられないみたいだった。新しい学校は、前の学校と基本的にはおんなじだった。

長男はちょっと普通の子と違って、やりたくないことには電池が切れたようになってしまう。靴下を履くだけで何十分もかかる。友達と遊びに行くときには一瞬で支度をするのに。すこしADHDの傾向があるのだろうと想像している(よく調べていないけれど、ADHDの中にはそういう特徴がある人がいるらしいのだ)。

転校したくなかったけど、転校することになった。だけど頭を切り替えて、これをいい機会だと思い、再スタートしたいという希望を持って学校へ行った。でも、やっぱり行きたくなくなってしまった。

彼はそこまで言語化していないと思うし、そこまで思い詰めていないかもしれない。「なんでみんな学校へ行けるんだろう?」「学校なんてなければいいのに」「勉強なんてしたくない」と敵対視することでバランスを保っている。

でも私は、そんな彼の気持ちを思うと、涙がこぼれてしまう。4年生になったときにも、学校へ行こうとしていた。最初は頑張って行っていた。でもどんどんエネルギーが消耗していく。ついには行けなくなってしまう。5年生も、同じだった。

「学校に行く」を目的にする不毛さ

自己肯定感を育むという意味で、学校に行こうとすることは彼にとってマイナスでしかないんじゃないかとすら思う。頑張って学校へ行ったとしても、いやいややっていたら苦しいだけで、将来がハッピーになる確率が高まるわけでもない。

学校へ行かないとなると、学校との接点は切れる。学校が社会とのつながりなのに、行かない人、行こうとしない人は学校側としてケアしようがない。

私にはたぶん「見捨てないでほしい」という気持ちがある。だから、学校関係者には「学校へ行きたい気持ちはあります」というスタンスを取る。行くことに正解があるなんてもう思っていないのに。

そもそも、すべての機能が学校に集まりすぎているのだ(友人関係や予防接種や健康診断やもろもろ)。

勉強だけじゃなくて、社会との接点を持てる何かが学校以外にあればいいのだろうか。ちょっと考えてみることにする。

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