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金色の銀杏並木のような

 のどの上のほうがギュッとする。さっき買ったレモン味のミネラルウォーターを飲むと、ギュッと固まった筋肉が少しほぐれるような気がした。
 友介と一緒にいると、ときどきこんな風になる。私は、そんな自分があまり好きではない。

 私たちはよく散歩をする。今日もふたりで、銀杏並木が黄色く色づいた公園を目的もなく歩いていた。
 話題は、友介の上司とのやりとり。ずっと考えていた企画を、昨日上司にプレゼンしたという。
「でもさ、夢物語だろ、って言われちゃったんだよね。うまくいく根拠をせめて少しでも出してくれって」
 物流の会社で働いている友介のそのアイデアは、確かにとても魅力的だった。うまくいけば地方の人がすごく助かることになるだろう。時代にもマッチしているし、うまくいくような「感じ」がする。
「田中さんはかなり乗り気で、着眼点は評価してくれたんだよね。以前はそれでOKが出たしさ。でも、最近は承認プロセスが厳しくなったみたいで、データがないと通らないんだって。こういうの考えるの楽しいんだけど、根拠とかデータとか言われるとちょっと苦手なんだよね。いいアイデアだと思うんだけどな~」
「ふうん」
 私はなんだかそこでつまらなくなり、自動販売機に目を止めて「喉乾いちゃった」と、話をさえぎった。
「ああ、そうだね。なんか飲もうか」
 私はレモン味の付いたミネラルウォーターを買い、近くのベンチに座る。一口飲んでから、隣に座った友介にペットボトルを渡した。
 なぜ、友介の話を急につまらなく感じてしまったんだろう。

 一息つくと、公園内の道の向こう側で、泣きながら「ママー!」と叫んでいる男の子が目についた。あきらめて泣いている風ではなく、キョロキョロと探しながら、必死にママを探している。泣くよりも、探す方に力を入れているのがよくわかった。
 私は男の子に駆け寄ってロングスカートのすそを膝の下に入れ、しゃがんで目線を合わせると「ママとはぐれちゃったの?」と聞いた。
「うん」
 男の子はうなずいた。幼稚園くらいだろうか。これまでと違って少し安心した顔。
「一緒にママ探そうか」私の後ろから友介が言った。
「この公園って、迷子の問い合わせできる事務所みたいなのあるかな」
「どうだろうね。見た覚えはないけどなあ」
 友介はスマホで検索し始めた。
「ママ、どんな格好していたか覚えてる?」
「わかんない」
「ズボン? スカート?」
「たぶんズボン」
「髪の毛は長い? 結んでる?」
「短い。これくらい」
 男の子は友介を指さした。ママは、ショートカットなのだろう。
「迷子センターがあるかはわからないけど、事務所はあるみたい。行ってみる?」
「そうだね、行ってみようか」
 私は男の子に向きなおして話そうとしたが、彼は道の縁石に座り込んでしまった。重なっていた落ち葉が、男の子のおしりや足に潰されてガシャっと鳴った。これまでどれくらい歩いていたのだろう。遊んで汚れたらしい真っ黒な顔に、何筋もの涙の跡があった。
「そっか、疲れたよね。このお姉さんとベンチで待ってて。俺、事務所行って聞いてみる。ママのことも探してみるよ。あ、名前はなんて言うの?」
「サスケ」
「サスケ君か。忍者みたいでかっこいいな!」
 私にそう言い残して、友介はサスケのママを探しに行った。
 ベンチに座るようサスケを促して、私も隣に座った。「あ、何か飲む?」と聞いて、さっきの自動販売機でオレンジジュースを買ってあげた。
「今日は誰と一緒に来たの?」
「ママと、妹とオレ」
「おうちは近いの?」
「わかんない」
「何で来たの?」
「クルマ」
 そんな風にいろいろと聞いて、情報を集めた。妹の名前はユウ。ママは「ユウちゃん」と呼んでいるという。ヨチヨチ歩きくらいで、何でも口に入れてしまうから目が離せないらしい。それなのに、サスケが「戦いにちょうどいい木の枝」を探している間に、どこかへ消えてしまったという。
「トイレとかじゃないかな」私はそう言った。
 追加の情報を友介にメッセージする。
「ヨチヨチ歩きの妹(ユウちゃん)と一緒にいるみたい。ユウちゃんは帽子をかぶっている。あと、ママは前髪に金色のメッシュが入っているらしいよ」
「前髪メッシュ、めちゃいい情報!」
 友介からの返信がうれしい。サスケは私が手にしているスマホを見て「それ何?」と言った。
「これ? スマホだよ」
「バージョンいくつ?」
「え? ええと、テン……10だったかな」
「ふーん、オレのママは11だよ」
 サスケは両手の人差し指を立てて「11」を作るとこちらに向けて言った。
「そっかあ、私のよりママのほうが新しいんだね。いいなあ」
「もう少ししたら新しいの買うから、オレが11もらうんだ」
 サスケは得意げに言う。こんな風に自分と人と比較して、その優位性をアピールするのはあまりにまっすぐだ。その気持ちに抵抗しないサスケを私は羨ましく思った。大人になると、たとえ思っていても隠さなくちゃいけなくなる。
 羨ましくても黙っているし、自分のほうがすごいと思ってもアピールなんてしない。ときどき恥ずかしげもなく誇示してくる人もいるけど、そういう人はあまり大人ではない。
「スマホでお絵かきもできるの知ってる?」
 私は、過去にスマホで描いたもののうち、サスケにわかりやすそうなイラストを見せた。それは友人に頼まれて描いたブログ用の挿絵。友人が自分のアイコンにもしているクマのキャラクターが、困った顔をしている絵だった。
「なんだこれ?」
「なんだと思う?」
 そんな話をしていると、トイレに行きたくなってきた。サスケを置いていくわけにもいかず、友介にメッセージを送った。探しに行ってから、30分くらい経っていただろうか。
「ごめん。まだママ見つけられなくて。事務所にも連絡入ってないらしい」
 少しして友介が戻ってくると、ベンチの席を変わった。
「じゃあ、バトンタッチ」友介にそう言った後、サスケに向きなおり「お姉ちゃん、トイレ行ってくるね」と告げた。
 トイレは少し歩いた場所にあるようだった。前髪にメッシュが入っているショートカットの女性をキョロキョロと探しながらトイレに向かう。
 トイレからの帰り道は、少し遠回りをして、芝生の広場なども回ってみる。友介ならたぶん、少し長い時間の子どもの相手も大丈夫だろう。
 ただ残念ながら、ママの姿は見当たらなかった。目立つだろうから、すぐに見つかると思ったんだけど……。私は仕方なく、友介とサスケのもとに戻ることにした。
 遠目からベンチが見えるほどに近づくと、2人ではなく3人いるのがわかった。お母さんがサスケを見つけてくれたのだとわかり、急いで駆け寄った。
「美鈴!」友介が私に気付いた。
 一緒にいた女性がこちらを振り向き、私を見て軽くお辞儀をした。そのとき、そこにいたのは3人ではなく4人だとわかった。女性は小さな子どもを抱っこ紐でお腹に抱えていたのだ。
 サスケのお母さんはショートカットではなく、あごくらいの短めなミディアムヘアだった。私は胸まであるロングなので、確かに私よりは友介のほうが長さは近いが、ショートカットだと思い込まされたのはよくなかった。さらに、金色のメッシュは前髪ではなくサイドの毛の内側で、外側からだとわかりにくい。
「すみません、ありがとうございました」お母さんは丁寧にそう言った。お礼を言うために、私が戻るまで待っていてくれたのだろうか。「妹を連れて急いでトイレに行っている間に、この子がいなくなってしまって、ご迷惑をおかけしました」
「いえ、見つかってよかったです」
 お母さんと私が話している間、サスケは、並んでベンチに座った友介に、一生懸命話しかけている。
「桃太郎は怪獣じゃないのかな」
「いや、俺は鬼だと思うけどな~」
 何の話をしているのだろう。桃太郎……?
「じゃあ、もう行くよ。楽しいお兄さんと優しいお姉さんでよかったね。お礼言える?」
「うん、わかった」サスケの表情はほんの少し寂しそうだった。「ありがとう。ばいばい」
 お別れは割とあっさりしていた。

「『桃太郎が怪獣』って、何?」
 少し嫌な予感がしたが、散歩の続きをしながら友介に聞いた。銀杏並木は夕日を浴びて、神々しいような金色になっていた。
「なんかお話でもしようか、って聞いたら『桃太郎がいい』って言うから、桃太郎の話をしようと思ったんだけど」
「うん」
「どうして桃から生まれてきたと思う?って話になったんだ。『桃太郎は本当は鬼の子で、それなのに人間みたいな形で生まれてきたから、桃に入れられて捨てられた』とか考えたら面白いと思ってさ」
「ふふ。友介らしいね」
「そしたらさ、もっと変わったことを考えようとするんだよね。『怪獣の子どもじゃない?』とか言いだして。子どもって面白いよな」
 私は少し頑張って口角を上げた。不自然にならないように笑ったつもりだった。
 サスケのように、「自分のほうがもっと面白いことを考えられる」と対抗できたらどんなにいいだろう。子どもだけじゃなくて、本当はみんなあなたのように考えたいんだよ。心の中で、友介にそう言った。

 考えてみたら、私は友介に出会った時から、その自由な発想に魅力を感じていたのだった。もしかしたら私を、知らない場所に連れて行ってくれるかもしれない。一緒にいたら、今まで見えなかった世界が見えてくるかもしれない。
 大好きなところは、大嫌いなところでもある。それは、私が欲しくても持っていないもの。
 なんだか悔しくなって、少し速足で歩いた。
「え、ちょっと、どうしたの?」友介は焦る。
「教えない」
 私は笑って振り返った。夕日が逆光になって友介の表情がよく見えない。彼はとてもまぶしい。でも、だからこそ、暗くて濃い影を作る。
 友介の影は私のほうに長く伸びていて、ちょうど私の足元に頭があった。私は銀杏の葉を踏むふりをして、ここぞとばかりに友介の影を踏みつけてやった。

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