精神と時の部屋、12日目
ああ、懐かしのシャバの空気。といっても気温30度の熱帯なんだけども。3月後半の日本の少し肌寒くも、春の陽の匂いがする風がもう懐かしい。エアコンから排出される26度設定の風に包まれ続けて、はや12日目になる。
日本で言うところの銀座、シンガポールのオーチャードエリア。
オーチャードとは果樹園のことで、シンガポールが開拓される前のそこは果樹園が広がっていたそうで。今、私は、そのオーチャードの少しはずれにある、かの有名なシャングリラホテルにいる。といっても、14日間、廊下はおろか、部屋から一歩も出ることが許されない隔離生活の身だ。
お正月を海外で過ごしたわたしは、2月に久々に祖国の地を踏みしめ、3週間の滞在を経てシンガポールの地に戻ってきた。2週間隔離は2回目なので、慣れっこぶりしながら、持ってきたkindleと加入したばかりのDisney+で時間を潰し、罪悪感を少しでも減らそうと、ガッキーが(CMで)やっているリングフィットとヨガマットで運動したふりをしている。2020年3月からの3ヶ月間、生身の人間と会えないロックダウンを乗り越えた身としては、2週間のホテル生活なんてお茶のこさいさいだ。
前回のシンガポール入国時に隔離されたのは、かの有名なリゾートアイランド、セントーサ島にある方のシャングリラホテルだった。広々としたテラスからはシロソビーチを臨み、1泊3万円の部屋なのだが、これを14日間15万円、食事付きでワーケーションできる申し訳ないが、まさに天国。今回もシャングリラホテルではあるものの、大きな窓がはめ殺しになっており、一切、外の空気を吸うことができない。窓から階下に見える瓢箪型のプールに飛び込む子供を、お留守番させられた犬の気持ちで、20階から眺めている。
(前回の隔離ホテルのバルコニーからの眺め。シンガポール海峡を臨む)
ベットがこの部屋の主であることを譲らないこの部屋では、毎日廊下の小さなテーブルに配給されるご飯と、たまにオーダーするデリバリーサービスが少ない楽しみだ。本当に便利な世の中で、寿司もスタバもスンドゥブチゲも、ポチッとしてから、ものの30分でドアの前に届いてしまう。普段はなるべくゴミを少なく生きようとしている身としては、毎日の食事やデリバリーで排出されるプラスチックゴミに辟易してしまう。ゴミ出しの際に、ペットボトルを一応分類してみるけども、コロナ陽性の疑いのある人たちが排出するものはきっと全て焼却処分になっているだろう。
シャバの世界に出たら、ゴミの少ないように生きようと思い、なんとも自分を攻めたくなる気持ちに蓋をして誤魔化してみる。
(今回のシャングリラの部屋の様子、24階建のタワー全室が隔離専用となっている)
(毎日の楽しみ、配給ご飯。なぜか朝食が一番ボリュームが多い)
この精神と時の部屋(オリラジの中田あっちゃん曰く)にいるうちに、精神だけども違う世界に飛ばしてみようと何冊か本を読んでみた。
そのうちの一冊、塩谷舞さんのエッセイ、『ここじゃない世界に行きたかった』。同じ吹田市出身で同年代の塩谷さんの文章に共感しながら、自らのスタイルを持って表現されている彼女に憧れの気持ちを募らせている。(どうしたらこんな五臓六腑に染み渡るような文章をかけるんだ、、、)
書籍のタイトルは、塩谷さんがアイルランドへ短期留学された経験を綴った文章の見出しである。以下の一文は、故郷から離れて住んだことのある人は共感できるのではないだろうか。
私たちは『ここじゃない世界に行きたい』といまいる場所から離れてしまいたくなるけれど、その遠い場所では結局、別の現実の中で人々が懸命に生きている。
旅の醍醐味と言えば、非現実性であったり、新たな刺激だと思うのだが、どうも旅をすることと、その地に根ざして生活することで見えるものが違ってくる。わたし自身、今のシンガポール以外にも、ドイツ、カナダ、オーストラリアに1ヶ月以上身を置いてきたが、30カ国旅する中でホームステイしたり、民泊を使ったり、現地の友人を頼りながら、実際にその地で暮らしている方の生活を垣間見てきた。(特に冷蔵庫をチェックして現地の食材を見るのが一番ワクワクする!そして、往々にしてホストたちは快く使わせてくれる)
今いるシンガポールには、プライベートで一回、出張で数え切れないほど訪問していた。近代的・金持ち・勤勉・国際エリート。リークアンユの庭とも言われる、緑と都市が共存するように設計された、不自然なほどに美しい国。それが、シンガポールのイメージだった。
一方、住み始めてからというものの、日曜に少し早起きして現地のおばさまの波に揉まれながら生鮮市場を彷徨ったり、お受験システムに揉まれる学生に混じって図書館で勉強してみたり、過去のジャングルを残す国立公園をハイキングしたり、シンガポール人のお宅(国民のほとんどが公営団地に住んでいる)にお呼ばれしたり。そこで住む人々の生活に触れると、ああ、みんなそれぞれの地で、それぞれの悩みを持ちながら生きているんだと気づく。
多国籍国家のシンガポールだが、実のところ思想はかなり保守的で、LGBTQの自由に反する法律がある。物価の低い周辺国からの移民に頼っており、彼らが住まう寮でコロナが蔓延したことにより、住環境の問題が明るみになった。土日の公園には、フィリピンなどから出稼ぎにくるメイドさんたちが溢れている。日本と同じく少子化問題を抱えるシンガポールのパワーカップル夫婦の裏には、彼女たちの支えがある。どれも旅行や出張では見えてこない世界だ。
(シンガポールの山、ブギティマ登山道。といっても標高163mしかない)
でもそうした「素敵な外国」らしさだけをすくい上げて伝えることは、ある種罪深い。憧れの異国をメディアが賛美すればするほど、私たちは「逃げたい」と思ってしまう。しかし実際のところ、逃避した先にもまた、現実があるだけなのだ。
instagramで各国の友人たちがアップする、フィルターがかかったフィードには一見、世の騒めきなど御構い無しな、華やかな日常が並んでいる。しかし実際には、ずっと努力していたMBA留学を断念していたり、故郷の親に会えなかったり、恋愛にうまく行かなかったり、差別に怒っていたり、いろんな葛藤・不安と日々戦っているのだ。
(シンガポール海峡上空、たくさんの貨物船が見える)
世界中が同じ疫病というトピックで戦う今日。どうにも動けない日々が続く中で、どこか遠くに逃避したいという思いは募るばかりだが、そこではそこの現実があって、この時を私たちと同じように懸命に生きている人たちがいる。
外は突然のスコールで遠くから稲光が近づいてくる。このなんとも無機質な『精神と時の部屋』に閉じこもり、わたしも今この時を懸命に生きようと思いながら、残り2日間の隔離生活の予定を考えている。