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【父の日日記】わたしと父とドラクエと。

きょうは父の日です。(Twitterで知った)

自慢じゃないですけどわたし、実家を出てから、毎年母の日父の日のプレゼントは欠かしたことがなく、バレンタインや誕生日やなんやかんやのイベントもけっこう丁寧に扱ってきた自負があります。

ただ、この数年自分の心身にいろいろあって、すっかり余裕がなくなって、この日のために贈り物をえらんで手配する、みたいなことがまじでできなくなって。当日にLINEで「いつもありがとう」って送るのが関の山。

姉は、そのあたり超きっちりしてるので、毎年、母にお花を贈ったり、たぶんいろいろしてる。それを母が、家族のグループLINEで「お花飾りました♡ありがとう😊」なんて報告しているのを見ながら「さすが長女〜姉はすげぇ〜」ってなりながら、わたしができないことを姉がやってくれてて、ありがたいありがたいとなっておるのです。

で、きょうは父の日です。(Twitterで知った)

プレゼントとか当然あるわけもなく、父には、母ほど頻繁に会うわけでもない。あかん、これやと完全に忘れてたことがバレる。

てことで、わたしと父とドラクエについて書いてみようかななんて。

わたしの父はゲームがすきで、厳密にいうと最初はゲーム否定派だったんだけど、やってみたらあまりのおもしろさにあっさり寝返った柔軟な人でもあります。姉に「目が悪くなる!」とかって禁止してた時期は一瞬で過ぎ去り、みずから率先してハードとソフトを買い揃えていた。

わたしは次女なので、生まれた時にはすでに家の中に「ゲームってたのしいよね、どんどんやろうよ」の雰囲気ができあがっていて、そりゃあもう恵まれていた。幼稚園の頃から、父がドラクエ1をプレイしているのを見て、洞窟の音楽こわいーーまっくらなところこわいーーとびびっていた。

ドラクエ3をはじめてプレイしたとき、父に「ここの地面しらべたら、いかづちの杖っていうの手に入るから調べとき」て言われてそのとおりにして、いかづちの杖を手に入れたのに、誤って「すてる」を選択してしまい、時が止まった。あわてて何度も地面を「しらべる」したけど、当然もう拾えなくて泣いた。(さっき捨てたんやし、まだそのへんにあるかも!て本気で思ってた)このエピソードは父の中でも「あのときのえみちゃんはかわいかった」というベスト3に入ると思う。しらんけど。

話は変わるけど、数日前、親戚が亡くなった。

わたしのおばあちゃんの、おねえちゃんの、旦那さん。97歳だって。

数回しか会ったことないし、もう年齢も年齢だし、その人が亡くなったと聞いても特に悲しいという感情はなくて、「おっ!人生おつかれ〜!」ぐらいにしか感じなかったのだが、父はもちろんそうではなかったみたいで。

コロナな世の中のこともあり、葬儀には列席できないので、ということで母がわたしたち姉妹のぶんまでお花を手配してくれて、父はお悔やみのメッセージを、そのおじちゃんの娘さんに送っていた。

それを読んでいたら、「へーそうなんだ??」って思うことがあって。

勝手に一部抜粋すると(怒られたら消す)

温厚で、博識で、賢明なおじさんは私の小さい頃からの一つの目標でした。私には難しかった数学パズルをサッと解いたり、聞いたこともない化学物質の説明をしてくださったり、学校の先生を遥かに越えた言わば「お茶の水博士」のような無条件に正しい存在だったと思います。

社会人になってからも何か事ある場合には心の中でおじさんを想定して対処を考えたりした記憶もあり、心の師に近い存在だった気もします。

当たり前なんだけど、わたしの中で父はずっと「お父さん」で、なんかこう、家の中で「強い」存在だった。うちは昔から「お父さんがいいって言ったらいいよ」みたいなシステムだったので、ゲーム関連に関しては余裕だったんだけど、なんかその他の許可をもらうのがけっこう難しかった記憶がある。お母さんは「ええんちゃう」っていうけど、でもお父さんがな〜、みたいな。

そんな父が、ことあるごとに、このおじちゃんを想定して対処していたとは。なんかちょっとかわいいやん。

父が31歳の時にわたしが生まれて、わたしは30歳で長女を産んだ。自分も親になって10年、たいへんなこともそりゃあるけど、父のようにだれかを「心の師」としたことはなかった。

わたしが離婚したいと望んだとき、父は最初、猛反対をしていて。
「子どもたちがかわいそうや。親になったら、今後は子どものための人生やで」みたいなことを言われた。そらそうなんやろうと思うし、お父さんのいうことはわかる。でもわたしは「しらんがな」と思っていた(ごめんw)。
親に余裕がなかったら子どものこどもしあわせにできひん!て思って。

でもこういう弔辞?を読むと、父がわたしたち姉妹に、「父として」どれほど理想をもって在り方を考えていてくれたかわかるなぁ、と改めて思った。父は、姉が生まれて以降、いつも子どもたちのための人生を生きていたんだろうか。

離婚したい、と思い始めてから数年、最終的には父が、ものすごく離婚に肯定的になった。離婚ってかんたんじゃないので、手続きをすすめようにも数年は我慢しないといけないのだけど、なかなか展開が変わらない状況に業を煮やした父が言った。

「どこの段階で止まってんのや?金か?金で解決すんのやったらバーンと払てもうさっさと縁切れ!このままやったらえみちゃんが病んでまうぞ」

この言葉で、すでに病んでるわたしは号泣した。子どものために離婚するな、と言っていた父が、子どもであるわたしの意思を尊重してくれた。それがなによりうれしかった。もし将来、娘が離婚したいって言ったら、ほんと、超応援しようと思ってる(縁起でもないこと言うな)。

この数年、わたしは本来の輝きや魅力を失って生きている、と自分では思っているし、親として、そういう子を見るのはどれほどつらいだろうかと思う。母とは毎週会うのだけど(鍼灸施術をしているので)、父は母に「えみちゃんどうしてんねん。最近は大丈夫なんか」とかって聞いてるらしい。わたしには直接聞いてこないけど、そういうのが父らしいと思う。

ちょっとここまで書いてきて、わたしが泣きそうになっている。
なんかちょっと笑える、おもろいnoteを書こうと思ったのに、想定外の事態。

わたしと父とドラクエについて書こうと思ったのに、わたしと父と離婚になってもうた。軌道修正しよう。えーとドラクエドラクエ。もうええかドラクエ。

そんなわけで、わたしと父は、ドラクエでつながっている。(雑ー!!!)

わたしと父が仲良くなったきっかけは間違いなくドラクエだったし、ゲームは年齢を超えた人たちがいっしょにあそべる、とても良いツールだ。わたしは今、娘たちにもゲームを推奨しているし、動画視聴もガンガンやったらいいと思ってる。

でも、コンテンツを消費する側だけにまわるのはおもしろくないので、どうやったら自分もこのぐらいおもしろいことができるか、みたいな目線はもっといてみて、とも伝えてる。そしたら先日長女が、「ゲームクリエイターになりたい」とか言い出して、「めっちゃええやん。いろんな部門があるけどどれがいいかな」ってふたりでワクワクしながらいろいろ調べてたところ。

わたしがゲームをしていても、「そろそろ終わりにしなさい」とか1回も言わなかった父。むしろ「スーファミもプレステもwiiも、えみちゃんとお父さん両方やりたいから、2台買うか」って2台買ってくれた。「このソフト、2人ともやるやろうし、2つ買うか」ってソフトも2つ買ってくれた。たぶんちょっとめずらしい。

わたしも父のように、娘たちがなにかしたい!って思ったときに「ええな!やろうぜ!」ってできる環境をつくっておきたいと思う。やりたい、をサポートする、きっとできる、と勇気づける、そんな親でありたいと思う。

わたしにとって父は「心の師」とかではないけど、わたしと父のような関係(まぁまぁ良いほうやと思ってる)は、間違いなくわたしの人間関係形成の基礎になってる。ありがたいと思う。

最近、体力がなくなってゲームもあんまりしてへんかもしらんけど、たまーに「○○をもっかいプレイしてる。いまレベル▲▲で、どこどこまでいった」みたいな報告が家族LINEに入ってて、母にも姉にも反応できないので、わたしが対応しているw

お父さんが、退職後の人生も、楽しんで生きてくれているといいなと思う。


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