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「みんな同じだよ」の切なさを抱えて

今年の夏の全国高校野球選手権大会が中止になった。高校野球を好きな身として、夏の大きな楽しみがなくなり、率直にとても残念な気持ちだ。

テレビ越しに夏の大会を観るのを毎年楽しみにしていたし、ひとりで甲子園球場に足を運んだこともある。あの甲子園の熱気と、球児たちの強くしなやかなプレー、ブラスバンドの空を突き抜けるような演奏を生で観た時は、感動して胸が熱くなったことを今でも覚えている。

今、球児たちはどんな想いなんだろうか。

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高校、大学と、野球をしている人をそばで見てきた。高校では野球部に彼氏がいて、練習を見ているうちに野球部全体のファンになった。そうして野球の魅力に惹かれ、大学では野球部のマネージャーになった。練習風景や大会にかける想いを近くで見守り、いっしょに大会優勝を目指してきた。

高校野球は、練習を見ているだけで感動的で、すがすがしい気持ちになる。息がぴたりと合ったランニングや、日が暮れても止まない部員たちの声。グランド、道具、仲間や監督、親への敬意や感謝をいつも持っていたし、先生には廊下で立ち止まって挨拶をするとか、みんなで使うものは綺麗に整頓して使うとか、生活態度も素晴らしかった。

わたしの弟も高校球児だったが、たった一度だけ、上履きで歩いてはいけないところを数メートル歩いてしまったことで、その日の練習で監督から強烈なノックを打たれたという。「たった一回の行いで、お前はお前を裏切ったんだ!」と厳しく言われたそうだ。ちなみに弟はそう言われてショックだったのではなく、感謝していた。野球以外の部分もそれぐらい本気でやっているんだと、この話を聞いた時は驚いた。

学生時代、いろいろなものを犠牲にして野球に本気で向き合っている人を見てきたから、夏の大会中止のニュースを見て胸にこみ上げるものがあった。ただ、野球をしている人を近くで見ていただけであって、実際に練習してきたわけではないから想像することしかできないし、いくら想像してもほんとうの気持ちを理解することはできない。

それにわたしは今年の大会は観れないが、次の大会は観れる。でも球児たちには今年しかない。1年生も2年生も3年生も、このチームで甲子園を目指せるのは今年しかないのだ。同じチームでは二度と甲子園を目指せなくなる。気持ちは計り知れなくても、胸がきゅっと苦しくなった。

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甲子園の話題はネットやテレビでも大きく取り上げられていた。そのニュースに「野球だけ特別扱いするのはどうなの?」「他のスポーツも同じ」というような声を聞いて、確かにそう思う人もいるだろうな、と思った。それと同時に少し切なくなる。

わたしが新卒で看護師として働き始めてまもない頃、うまくいかないことばかりで落ち込み、看護をする責任感に苦しくなり、母に電話したことがある。その時母は、「みんな大変なのは同じだから頑張らないとね」と言った。「そうだよね」と返しながら、心の中では(それはそうなんだけど、でも…)と思い、泣きそうになった。誰かと比べることで、自分の気持ちが大したことのない感情になるのが嫌だったからだ。

母が励まそうと言ってくれたのは分かるし正論なのだが、「みんな同じだよ」という言葉にはちっとも救われず、少し傷ついた。でも悪気はないから、何も言い返せない。だから、わたしの気持ちは、わたし自身が全肯定しようと思った。他の人も大変だから…と都合よく比べないことにした。

悲しみや悔しさは他と比較するものではない。抑える必要もない。

その人だけのものである。

だから今は、自分が感じたことを抱きしめてほしい。力いっぱいに。その気持ちを抱えながら、進むことになるのだから。

わたし自身も、高校野球を好きなひとりとして、自分の感じた切なさや複雑な気持ちをしっかりと抱えて、進んでいこうと思う。


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