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楽しく書けなくなった、あの頃の自分へ

いつからだろう、エッセイを楽しく書けなくなってしまったのは。

最後の投稿から、気づけば2年半が経っていた。最初はただただ文章を書くことが楽しくて、純粋な気持ちでnoteを始めて。でもいつからか、書くことが苦しい作業になってしまって。

人と比べたり、反応の数を気にしたり。「スキ」の数が少ないから、自分の文章には魅力がないのだろう。そう思った。投稿するたびに自信をなくし、エッセイを書くこと自体が怖くなっていた。

今までたった一人だけ、私の書くエッセイが良いと、直接言ってくれた人がいた。お世辞だと思った。どこが良いのか、自分にはわからなかった。そのうち、noteで文章を書くことはなくなり、noteを開くこともなくなった。

* * *

あれから数年の時が経ち、私の状況は大きく変わった。

長かった自粛期間がおわり、当時付き合っていた彼とは結婚し、湘南へと引っ越した。

仕事も変わった。ライターの仕事は細々と続けているものの、今のメインのお仕事は、ハンドメイド作品の販売。シーグラスを使ったアート作品や結婚証明書をWEBショップで販売している。変わらないのは、ふたりと一匹で暮らしていることだろうか。

WEBショップを始めたことで、いろいろな発信を頑張ろうと思い、別のnoteアカウントをつくり、投稿を始めた。ショップのことだけでなく、久々にエッセイも書いてみようという気持ちになったのだ。

懐かしいnoteの投稿画面、いつぶりだろう。そんなことを思いながら、リハビリのように、時間をかけて、じっくりと文章を書いた。自分のエッセイを誰かに読んでもらうために書いたのは、久しぶりだった。楽しかった。

ああ、そうだ、文章を書くってこんなに楽しいものだった。

心にじわり、と楽しさがにじむ。もやもやとカタチのなかった気持ちを、ゆっくりと、自分の言葉で綴っていくこの作業。言葉には表せないような、何とも言えない嬉しさがある。私はカフェにこもり、夢中になって文章を書いた。

「書くことが楽しい」
その気持ちを取り戻せたことが、何より嬉しかった。

なんだか懐かしくなって、久しぶりにこのアカウントを開いてみた。2年以上前に自分が書いた言葉たち。少し気恥ずかしさを感じながら、読み返してみる。なんだかもう、別の人が書いた文章のようだ。

一つずつ読み返しながら、泣きそうになってしまった。あの時にしか感じられなかったこと、あの時大切に思っていたこと、忘れたくない気持ち、忘れてしまっていた記憶、大事なものがたくさん詰まっていた。

もちろん拙い部分はあるのだけれど、時を超えて、私の心にしっかりと届いている。

なんでにやめてしまったんだろう。
心に届く文章、ちゃんと書けているのに。

あの頃、どんどん変わっていく環境の中にいた私は、少し不安定だったのかもしれない。もともと打たれ弱い性格だし、まわりの自分より上手に文章を書く人たちの中でもまれて、自信をなくしてしまったのだろう。

だけど、
辞めなくてよかったんだよ、もう遅いけれど。

人と比べたり、反応の数を気にしたりなんてしなくていい。自分にとって大切な気持ちを、忘れたくない気持ちを、悩みながらでも言葉にできていれば、それでじゅうぶん。それだけで、大丈夫。

大切にしたいことを言葉にできているか」が大事だ。昔書いた文章が、私にそのことを気づかせてくれた。

この2年半のうちにあったことや気持ちを書き残せなかったのは残念だけれど、今から書いていけばいい。数年前の自分の文章が、これからまた自信をなくしそうになった時に、きっと力をくれるはずだから。

書くことを楽しめなくなった、あの頃の自分へ。

あなたが自信をなくしながら書いた文章に、私は救われました。大切な記憶と気持ちを残しておいてくれて、ありがとう。私はまた、書き始めます。


* * *


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これからは新しいアカウントで書いていこうと思いますので、良かったらまた読みに来ていただけると嬉しいです。

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