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「私の夢は世界平和です」と言っていた私

自分自身は何も違和感はなかった。「本当のことを言っているだけ」と。

日本を変えたい(良くしたい)、世界を変えたい(良くしたい)と思って生きてきた。

高校時代に湾岸戦争で無脳症で産まれた子どもを見た時、世界の平和と戦争の問題に興味を持ち、大学で国際関係を専攻した。平和学を学ぶために、他大学の授業も受けに行った。

大学3年生のとき、交換留学先の中国・大連で日中関係の緊張(当時尖閣諸島を巡り日中間で緊張が走った)を目の当たりにし、「日本と中国が戦争をしてしまうのかもしれない」という恐れから「日中関係の一番問題となっている歴史を、中国にて日中両国の立場から研究せねば」という使命に変わり、頼まれてもいないのに、自分で責任を勝手に背負って、中国の復旦大学の修士課程に3年間留学し、学位を取った(歴史学修士)。

復旦大学での出来事は下記本にあるので、ここでは割愛する。

日中関係の友好を目指すため、復旦大学卒業後は上海で勤務した。3年間の修士を経てはじめての「社会人」。何もかも素人なのに、色々なことを経験させて頂き、周りの同僚の方々にも恵まれ、大変貴重な、緊張感もあり、そしてとても楽しく仕事をさせて頂いた。

日中関係のみならず、やはり「世界の平和」に目を向けたかった私は、フィリピンにあるアテネオ・デ・マニラ大学で社会学修士、コスタリカにある国連平和大学でメディアと平和学の修士を取った。(APSプログラムである。)

ダブル・ディグリープログラムについては下記に掲載頂いている。

3つの修士を取った後、日本へ帰国し(かれこれ9年間海外にいた)、外国人支援の部署で働いた。

東京にいるときに、神様に出会い、イエス様を信じた。

そして、イギリスへ渡った。

イギリスではホームレス支援を続け、クリスチャンとしての信仰を深めてきた。日本では学ぶことの出来ないチャリティー団体での活動は、私の未来を大きく広げてくれた。

今まで築いてきたいわゆる「キャリア」や「学歴」、そんなものを「追い続けていた」私。悪くない、全然悪くない。でも、大事なことを忘れていた。

私の本当にやりたいことに大きな一歩近づくことができた。

そして、ロンドンから帰国した。

2ヶ月間鹿児島で過ごし、先の分からない日々、でもどこかで必ず信じていた。神様は私のことを知っている。きっと私をイギリスに戻してくれると。

そして2ヶ月後、私はカンタベリーに来た。
今度は、ミッションワーカー(神様のために働く)として。

神様は、どんな計画をご用意されているのか、その人自身にも、誰にも分からない。

路頭に彷徨っているとき、いろいろな人が色々な声をかけてくる。家族、友達、一番信用できる人の声さえ、神様の声に勝らない。この世の声は、この世の声にすぎない。神様は天から、天国の基準で道を用意し、授けてくれる。それはどんな人から指示された道よりも恵みに溢れており、人からの贈りものとは比べ物にならない。なぜならそれは、神様がご用意されたプランだから。

私は、目隠しの状態で神様を信じ、ただ神様だけに頼り、2回目にイギリスに渡るチケットを取った。そこに待っていたのは、クリスチャンとして成長できる場所と私を支えてくれる人々、そして私の仕うことのできる場であった。

いままで人に頼ってばっかりで生きてきた私は、いま、微力ではあるが、カンタベリーで学ぶ留学生のために仕える機会を頂いている。感無量、これ以上に嬉しいこと、楽しいことはない。

今が、人生で一番楽しい、一番充実している、と言える。


「私の夢は世界平和です」と言っていた私。でも、神様は、「えみ、いままで良く頑張ったね。あとは私が引っ張るから、もう急がないで、登らなくていいよ」そう神様が言ってくれた。そう、イエス様を信じてからの人生はもう、一人でキャリアを登っていかなくてもいい、神様を信じて進めばいいのだ、と。

私は今も、ミッションワークの傍ら、これまでの経験や学問を活かし国際機関でも仕事の機会を頂いている。神様は、私に二足の草鞋を履かせてくれた。クリスチャンになって諦めたものはない。必要のないものは神様は取り去り、必要なものだけを残してくださるから。神様が残してくださったものは、大切に、大切に育てて生きていける。

神様がくださったプランは、恵みに溢れたものだった。

わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。


聖書(エレミヤ29:11)

つまづいた私は、今だから言える。神様を信じること。これ以上の幸せはない。

神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。



聖書(エペソ1:5)

神様は、今も生きていらっしゃる。私たちを創造された神様は、私たちを絶えず愛し、生きていらっしゃるのだ。

イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません。



聖書(ヘブル13:8)

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

Ⅰヨハネ4:9

この溢れんばかりの愛は、他の何からでもない、神様から頂いているのだ。愛が溢れて仕方がないから、人に愛を分け与える他ないのだ。それが、最上の喜びなのだ。

愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。

愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

Ⅰヨハネ4:7~8


今夜も愛を伝えたい。神様から頂いた愛は、限りない。尽きることがないのだ。

いまも、この瞬間も、神様はあなたを愛されています。私の生き方ただそれだけでも、神様の愛を証明することができます。神様は、あなたが頑張っても頑張らなくても、愛してくださっています。だって、あなたを大事に、大事に、愛おしく愛おしく思っているのですから。他の何にも変え難い、愛おしい存在、それはあなたなのです。


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