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ノクティルカ

 ぼさぼさの髪を背中の半ばくらいまで垂らし、Tシャツやらトレーナーやらを何枚となく重ね着して、膝が破れ、裾のほつれたジーンズなんて履いてるひとがゴミの山の中から目の前にぬっと現れたら、あなたはいったいどうするだろう?
 ぼくとノクティルカとの出会いは、まさしくそういうものだった。
 なにしろ最初の10秒くらいは、人間かどうかさえわからなかった。ぼろくずが命をもって立ち上がったのかと思った。ゴーレムとか、なんかそんなやつみたいに。だからそれが女子だと判明した時には、ほんとに面食らったものだ。
 ぼくは子供の頃から美術は好きだし得意でもあった。小学校から中学にかけて、数え切れない賞ももらった。年頃になってもバイクにもエレキギターにも受験勉強にも興味をもてなかったけれど、創作にだけは底なしの情熱がわいた。高校のときに凝っていたのはキャンバスに絵の具をぶちまけるたぐいのいわゆるアクション・ペインティングで、しかし美大を終える頃にはそれもなんだか物足りなくなり、ジャンク・アートを「面白いんじゃないか」と思うようになった。廃材やガラクタを組み合わせて新しくオブジェをつくるっていうやつだ。
 町外れにスクラップ処理施設があって、その裏手の敷地がゴミ捨て場、つまり当時のぼくにとっては、絶好の材料調達スポットとなっていた。今では考えられない話だろうけど、ガードが甘くてわりあい自由に出入りができた。その場所で、ぼくは彼女と知り合ったのだ。
 まあ、あの成り行きをさして「知り合う」という言葉が当てはまるとしたらの話だけれど。
「なぁあにしてるのお」
 軍手をはめて廃棄物の山を掻き回し、目ぼしい物を拾い出しては、ひとまず脇に取りのけたり、軽トラックの荷台に放り上げたりしているさなか、だしぬけに聴こえた眠たげな声にぼくは思わずのけぞったものだ。収集車が出入りする日以外は無人のはずだし、辺りに人気のないことは作業の前に確かめている。見つかれば面倒なことになるのは間違いないし、厳密にいえば法に抵触してないわけでもない。隠密行動がモットーなのである。
 空耳かとも思ったがそうではなかった。そのものは、ゴミのなかから頭を突き出していた。ぼろくずの集積が魂をもって覚醒したわけではない……と理解したあとで、次にぼくが連想したのはシェイクスピアの『あらし』に出てくるキャリバンだった。つまり、なんだかよく分からないものの、とりあえず人間ではあるらしいとは悟ったわけである。蓬髪に覆われて表情はよく見えないけれど、声をかけてきたのがその人で、その人が今現在こちらに返答を求めているのは間違いのない事実のようだった。
 ぼくは何も言えずに事態の推移を見守った。「キャリバン」はのそのそ這い出てくると、ゆらありと揺らめくような動作で、かなり長い時間をかけて立ち上がった。ぼくは水族館で見たクラゲを連想し、そのあとようやくそれが女性で、しかも思いのほか若いってことに気がついた。ひどく小柄で、たぶん太ってはいないんだろうが、重ね着のせいでずんぐりむっくりして見える。服装(?)はひどいありさまだけれど、それに包まれている本人は意外とそんなふうでもない。日本人形めいた、ちまちまっとした顔立ち。細い目がへんに鋭い光を帯びている。なぜだか肌は汚れてなくて、陶器みたいにつるんとしていた。
「…………うん、あのね、見てのとおりと言うかその、ゴミを集めてるんだけど」
 しばしのあいだお互いの顔を見つめ合ったのちに、どうにかぼくはそう答えた。
「ところで、そっちこそ、ここで何をしてるわけ?」
「あ・た・し・は、ね……」
 ぼくの問いかけをすっぽかし、彼女はいきなりこう言った。

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4,857字

いくつかの短篇といくつかの詩。

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