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謎解き・バナナフィッシュにうってつけの日01「洗礼」


 dig フカボリスト。かなりの自信家。


 e-minor 当ブログ管理人eminusの別人格。



☆☆☆☆☆☆☆


 どうもe-minorです。


 よお。digだぜ。


 サリンジャーの短編「バナナフィッシュにうってつけの日」、もしくは「バナナフィッシュ日和」は、その謎めいた魅力によって多くの読者の心をとらえ、太平洋を挟んだこの日本においても文学はもとよりマンガやポップスといったサブカルにまで影響を与えつづけている作品だ。発表から70年近くが過ぎているにも関わらずだよ。近年になって柴田元幸氏による新訳も出たし、サリンジャーの伝記映画も公開された。今回はこの作品の秘密をテッテ的に解明したいと思う。


 テッテ的って、つげ義春かよ。


 ぼくひとりでは手に余るので、眼光紙背に徹する「深堀りの達人」、自称フカボリストのdigをゲストにお招きした。


 来たからには、言いたいことぜんぶ言わせてもらうぜ。


 この短編は全3幕に分かれている。第1幕の謎解きについてはgooブログのほうで全文を無料公開しているから、こちらではメインとなる第2幕を重点的にやるわけだけども、いちおうお浚いだけはしておこうか。


 ああ。さっさとやろうぜ。


 繰り返しになるが、この短編は全3幕だ。最初がホテルの507号室。主人公シーモアの妻ミュリエルが彼女の母と長距離電話で会話をする。そのなかで、シーモアという青年がかなり常軌を逸していることが明らかになる。


 あくまで母娘の会話だけで、当人は出てこないけどな。


 第2幕はホテルのそばのビーチ。ここではじめてシーモア登場。シビルという名の幼い少女が彼のもとに来る。ふたりで会話を交わし、連れ立って海へと入っていく。そういうシーンだ。


 さっきこいつが言ったとおり、ここが作品全体の要(かなめ)だよ。


 第3幕。シビルと別れたシーモアは、エレベーターで507号室に戻ってくる。ミュリエルはベッドで眠っている。シーモアは彼女をちらりと見やって、トランクの中から自動拳銃を取り出し、それで自分の右のこめかみを撃ち抜く。おしまい。


 いやあ。こうやって要約しちまうと、改めてとんでもねえな。これがたかだか20ページの話だぜ。


 まあ唐突の感は否めないね。だからこそこっちのショックも倍増するわけだが。


 しかしだな、ここでさっそく深掘りしていいか?


 もちろん。


 お前さんは、「シーモアが自分のこめかみを撃つ。」と要約したがね、そこ、原文だとどうなってる?


 ええと、前のほうから文章がずっと続いて、“……,aimed the pistol ,and fired a bullet through his right temple.”だね。


 だろ? そりゃ「temple」は「こめかみ」だけど、この単語にゃもうひとつ意味があるだろ。


 えっ。「寺院」……てか、「神殿」? だけどそりゃカンケイないでしょ、いくらなんでも。


 そりゃあもちろん関係ないさ。けど、「彼は彼の右側にある神殿にタマをぶち込んだ。」とも読めるわけだよ。少なくとも字面の上ではな。


 しかしそれは……深掘りじゃなく牽強付会……ていうか、もはや悪ふざけの域でしょ?


 むろん本気で言っちゃいないさ。そもそも「temple」は「寺院/神殿」と「こめかみ」の両義をもつが、語源は違う。ただ、もっと深く源泉を辿れば同じだって説もあるけどな。ともあれ、ここまで話を進めてきて、ラストの1行が「彼は彼の右側の神殿にタマをぶち込んだ。」じゃあシュールレアリスムになっちまう。さすがにロラン・バルトだってこの読みには賛同しちゃあくれんだろう。ただ、テクストの読みの自由度をマックスまで上げれば、そんな解釈も可能だって話さ。つまり、シーモアはじつは死んでない。


 うん。dig一流の屈折した言い回しなんで煙に巻かれそうになるけど、「シーモアはじつは死んでない。」ってのは或る意味そうなんだよね。シーモアは「グラス家」という神童ぞろいの一族の長兄で、彼のこの謎に満ちた自死のあと、次兄のバディは作家になって、シーモアのことを小説に書き続けるわけだ。すなわちシーモア・グラスはテクストのなかでいったんは自ら命を絶ったんだけど、その後もテクストのなかで生きつづける。それがサリンジャーによる「グラス家のサーガ」なんだよ。


 だから「復活と再生」なんだよ。これはこの作品が下敷きにしているT・S・エリオットの「荒地」のテーマだ。「バナナフィッシュにうってつけの日」は「復活と再生」というテーマにおいて「荒地」につながっているわけだ。


 おっ。一挙に核心に入ったね。


 勿体づけや、思わせぶりはイヤなんだよ。


 とにかく、本作のラストにおけるシーモアの自裁はたんなる「破滅」ではない。それはたしかだね。


 本作を読むにあたっては、そこをしっかりアタマにいれときたいな。


 それで、第2幕の海のシーンに早く行きたいのは山々だけど、そのまえに、ぼくのほうから第1幕をまとめとこうか。


 好きにしな。


 着目すべきは、この会話の中で語られるシーモアの異常な行動のすべてが、ちゃんとした裏付けをもってるってことだ。むろん裏付けがあるからって許容できる所業でもないけどね。しかし理由があるのとないのとじゃ大違いだろう。gooブログのほうでdigがぜんぶ解明してくれたんで、それを纏めてみよう。
 まず①「運転中に樹木を見つけると、つい衝突するまで接近してしまう。なぜか?」
 これは、②「シーモアは戦地であるヨーロッパの前線からミュリエルのために詩集を送ってきた。それは誰の作品だったか?」という問いとセットになってる。答はリルケ。リルケはことのほか樹木に惹かれていて、そこに「存在の本質」のようなものを視ていた。その鋭敏な感受性を、シーモアも共有してるってことだったね。
 それから、シーモアがミュリエルの実家に招かれたとき、姑やミュリエルの祖母の前でとった行動についてだ。順にみていこう。
 ③お祖母ちゃんの臨終のプランについてひどいことを言い、かつ、その椅子に何かをした。
 これは、ミュリエルの祖母が「結婚したら早く孫の顔を見せておくれ。孫たちに看取られて臨終の日を迎えられたらどんなにか幸せだろうねえ。」みたいなことを述べたとき、「そんな話は馬鹿げてますよ。」みたいなことを言い返して、お祖母ちゃんが席を立ったとき、その愛用の椅子を蹴飛ばしたんじゃないかって解釈だったね。


 ああ。戦場帰りで、今や日々「生死一如」の境地にあるシーモアには、そういった発想がさぞ俗物めいてみえたろうなと思ってね。しかし、あのときは「椅子を蹴飛ばした」といったが、あるいは唾を吐きかけたのかもな。欧米人って、軽蔑の意を表すときにそういうことをよくするからな。


 どっちにしても確かにひどいとしか言いようがない。ただね、「お祖母ちゃんの臨終のプランについてひどいこと言った。」ってのは新潮文庫で長く親しまれてる野崎孝訳に依拠してるんだけど、ここ、最新の柴田元幸訳だと、「おばあちゃまにいつ亡くなるつもりですかって訊いたあのひどい話」になってんだよ。


 原文はどうなんだ?


 “Those horrible things he said to Granny about her plans for passing away.”だね。


 なるほど。「ちゃんとしたプランがあるのかどうかお祖母ちゃんに訊いた」って解釈なんだな。


 野崎訳は「おばあちゃまが、亡くなるときにはああしてこうしてって、いろんな計画を立ててたのに」だからね。これはいかにも苦心の訳だなって昔から思ってたからさ、そりゃあ柴田訳のほうがすっきりしてるよね。


 でも、「いつ亡くなるつもりですか」は意訳がすぎるんじゃないの? それだったら、もっとはっきり「ご自分が亡くなるということについて、しっかりと考えたことがありますか?」と訳しちまってもいいように思うが。


 だけどそれだと……


 ああ。社会通念上はもとより非常識で許しがたいが、問いそのものとしては、けして異常ってわけでもないな。TPOをゼツボー的に弁えてないってだけで。


 それだったら読者の抱くシーモア像もまたいくぶん変わってくるかな。このへんが翻訳の面白さでありコワさでもあって……。あ、ちなみに柴田訳の邦題は「バナナフィッシュ日和」だよ(ヴィレッジブックス文庫『ナイン・ストーリーズ』所収)。


 で、ほかにはどうなんだ? もっとあったろ?


 うん。あと、④窓を壊した。これは「外の世界と向き合え」という意味だった。さらに、⑤バミューダ土産のきれいな写真を破った。これは「こんな過去のきれいな思い出に浸ってちゃだめだ。今を直視し、今を生きろ。」という含意。


 どうでもいいが、まるで昔の禅坊主なみの荒っぽさだな。師匠と弟子との間柄ならまだしも、一般人どうしで、コミュニケーションの試みもなしにこんな実力行使に出ちゃいかんよ。ふつうだったらケーサツ沙汰だわなあ。


 それやこれやでミュリエルの母は心配でならず、娘に「いいから一人で帰ってきなさい。」と繰り返し勧める。それに対してミュリエルは、「大丈夫よ。」の一点張りで、母の懸念を一蹴する……というのが第1幕のあらましだったよね。


 ああ。ひとつ付け加えるならば、ここまで地の文においては「シーモア」「ミュリエル」という名は出てこない。作者(語り手)はふたりのことをその名で呼ばない。あくまで「娘」と「青年」だ。ミュリエルとかシーモアとかいう名は会話の中でのみ現れる。


 それどころか柴田訳では「女の子」と「若い男」だよ(笑)。いかに若くたって夫婦なんだけどね。……というわけでいよいよ第2幕、海のシーンに移ろうか。


 やっと本題だ。

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全13回にて完結しています。

サリンジャーの短編「バナナフィッシュにうってつけの日」の謎を対話形式で解読。

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