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謎解き・バナナフィッシュにうってつけの日02「キリスト教的文脈」

 dig フカボリスト。口がわるい。


 e-minor 当ブログ管理人eminusの別人格。


☆☆☆☆☆☆☆


 どうもe-minorです。


 digだよ。


 そういえば、DIGって、1960年代初頭に新宿にあった伝説のジャズ喫茶の店名でもあるね。


 60年代のカウンターカルチャーを語るには欠かせない名だな。さほど間を置かずにDUGって店名になった。そのご何度かの変遷を経たが、基本的にはDUGだな。


 サリンジャーもジャズが好きだったんでしょ。


 いわゆる「ジャズ・エイジ」には出遅れたけどな。豆知識ふうにひとつ言っとくと、短編集『ナイン・ストーリーズ』のなかで、巻頭を飾る「バナナフィッシュ」の次に収録されてる「コネティカットのひょこひょこおじさん」を映画化したのが『愚かなり我が心』(1949年)で、その主題歌「マイ・フーリッシュ・ハート」はジャズの堂々たるスタンダード・ナンバーになった。残念ながらサリンジャーは映画そのものには不満で、それ以降は自作の映画化を拒むようになったらしいがね。


 村上春樹はそういうとこにも影響受けてるのかなあ。大森一樹監督による『風の歌を聴け』(1981年)が気に入らなくて、トラン・アン・ユン監督による『ノルウェイの森』(2010年)まで30年もの間があいたんだよね。


 「トニー滝谷」とか、短編の映画化なら何本かあったけどな。


 あ、そうなのか。


 映画版『ノルウェイの森』は、おれには「うーん……」という感じだった。まあ熱心なファンが多いだけに、監督もやりにくいだろうな。なお、2017年制作の『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』は『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(よく知られた邦題は「ライ麦畑でつかまえて」)の映画化ではなく、作者サリンジャーを描いた伝記映画だよ。サリンジャーに興味があるなら見といたほうがいいかもな。


 というわけで、そろそろ「バナナフィッシュ」に戻ろうか。少女シビル・カーペンターは、彼にとって「神託を告げる者」であり、「導き手」でもあるってところまでだったね。それで、この2人がいっしょに海に入るのは、「洗礼」を意味している。これがdigの新発見。


 ああ。巧みなリアリズムで叙された彼ら二人の他愛もないやり取りの底に、「象徴劇」としての「洗礼」の情景が隠されてるのがこの短編の真骨頂なんだよ。


 この一点にさえ気がつけば、どうにも謎めいて掴みどころのないシーモアの言動がことごとく解けてくるんだなあ。縺れに縺れた毛糸玉が、一本の糸を引っ張るだけでしゅるしゅるとほぐれていくみたいにね。


 そこに気がつかぬまま「バナナフィッシュは何を暗喩してるのか?」などと、表層だけにこだわるから、ピントのぼけた解釈が横行しがちなわけだ。専門家の論文でさえ、ずばっとそう指摘してるものは見当たらない。

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2,858字
全13回にて完結しています。

サリンジャーの短編「バナナフィッシュにうってつけの日」の謎を対話形式で解読。

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