社会不適合者でいることの心地良さ
私は大病し一年越しにやっとのことで入学した高校を中退しました。
今は家に引きこもりながら受験勉強中です。
臨時で母の手伝いとしてアルバイトもしていたのですがそれも必要なくなり完全な引きニートにまた戻り始めたところです。
家がとにかく好きすぎる。
そんな引きこもり最高と思っている私ですが高校を辞める決断はだいぶ勇気がいりました。(なぜ高校をやめるに至ったかを話すと中学時代にまでさかのぼって話さなきゃいけないので今日はやめときます。)
よく聞くじゃないですか、高校やめたら社会に所属している感じがなくなってはみ出し物のように感じるとかなんとか。
それから高校やめてこれからどうすればいいのかっていうことも考えてなかったのでチキって最初は休学にしました。
でも休んでる間にやっぱこれだよなと中学の闘病中の生活が馴染んでしまったのもあるのかな。結局高校辞めることにするんです。
それで今に至るんですが最近あることに気がついたんです。
2つあって、まず1つ目が「私って社会不適合者なんだな」という単純な気づき。
そして2つ目。どこにも属さない事に心地よさがあるということ。
今まで小学校、中学校、高校(少しだけ)というようにどこかに属して生活をしてくるのが当たり前だったけどそれが窮屈だったんだなって。
みんなとおんなじように生きるって私みたいな人間には結構大変なことなんですね。
人それぞれ歩く速度って違うじゃないですか。私には普通と言われる速さががとても速くて付いていくには走らなければいけない。
ずっと走ってたら疲れるじゃないですか。
16年間走り続けたら息が続かなくなっちゃたんですね。
別の例えでいうなら車のアクセルに似てるのかな。
アクセル踏み続けたら当たり前だけどどこかにぶつかってしまう。
私もどこかに衝突してやっと自分を止められました。
ぶつかってからはとにかく休みました。というか休むことしかできなかった。
休んで少しずつ歩けるようになったとき、自分のペースで歩くことの心地よさに気づいたんです。
いいんだよ別にゆっくりでもって今は思いますね。
もちろん早い人は早くてもそれもまたいいし。
みんな違ってみんないいって金子みすゞさんの言葉があるけど久しぶりにその言葉を読んだとき知っていた言葉なのになんて素敵な言葉だろうと思いました。
以上、休むことが大好きなマリスでした。
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