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320.【形態学アドバンス ギリシアの神々Ⅲ】番外編 夢の話ep1. 遊ぼう

キャサリン・シェインバーグ博士の【形態学アドバンス ギリシアの神々Ⅲ】のワークショップが始まる日の朝、夢を見た。

私は、夜中に見ている夢を朝まで覚えていることが少ないので、何か、気づかなければいけないことや、メッセージがあるのかもしれないと思い、すぐにノートに書き留めた。

結論を先に書くと、その夢で起きたことは、ワークショップで題材となる「水星」と「火星」の神話とイメージワークの内容に、大いにシンクロしていた。
それだけでなく、夢で投げかけられた問題を、現実の世界で解決していくようなシンクロがあり、夢を見てから一週間くらいの間、夢のからだと現実のからだを行き来するという、興味深い体験ができた。

忘れないように、記しておく。

◆9月29日(木) ワークショップが始まる日の朝の夢

************

私は、夢の中で、Cさん(女性 60歳)と、Rさん(女性 62歳)を説得するために駆けつけている。誰かはわからないけれど、年配の男性がいる。
理由は、Rさんは渓流流産しているが、そのことを認めず、このままにしておくと母体によくないという状況。

超音波映像のようなものがうかびあがり、Rさんの子宮に赤ちゃんがいるのが見える。ただし、胎児ではなく、すでによつんばいになり、ハイハイのようなかっこうだ。

その身体は影のようなグレーで、目は、アーモンド形で眼球はなく、表情もない。
モジリアーニの描く人物のようだと感じる。
赤ちゃんの左の手が何かをひっかくように揺れているが、それは、羊水の中で揺れているだけのように見える。

生きているからではない、と直感で感じる。

でも、この動きを胎動だと感じ、Rさんは「おなかから出さない」とかたくなに思っている。
それを、みんなで説得している。

**********

というところで目が覚める。

私も、Rさんも、Cさんも、現在の年齢の姿で夢の中に登場している。
62歳のRさんが妊娠しているわけがないのに、おなかの中に、グレーの肌の赤ちゃんがいる。

(この夢は、何を暗示しているのだろう?)

と、目覚めてから、ずっと考えていたのだが、突然、

「早く出してしまわなければ」

と思った自分の判断の恐ろしさに気づいて、愕然とする。

(なんと短絡的なことを、思ってしまったのだろう)

グレーで眼球のない姿を見たときに浮かんだのは、

「違和感」「怖れ」「よくないもの」「いてはいけないもの」

生命とは対極にあると感じ、お腹の中にあってはいけないと思い、夢の中の私は、Rさんの健康のために、身体から取り出すこと、切り離すこと、が最善だと考え、即断していた。

でも、その赤ちゃんのまなざしと、左手で下をひっかくようにしていた動きが頭から離れず、昼休みになるころには、

(あれは、Rさんのおなかだったのだろうか?)
(グレーの赤ちゃんは、私ではないのか?)

という気持ちが湧きおこってくる。

私の中にある、トラウマのような、ぎゅっと抱きしめてあげることが必要な、そういう何かが、ようやく「形」となって、浮上してきたのではないか?

それなのに、私は一瞥しただけで、何の迷いもなく、排除しようとしたのではないか。
グレーの赤ちゃんを見たときに感じた気持ち。すぐに隠れてしまった気持ちは、なんだろう?

(違和感。恐怖)

その子のお母さんなのに、抱きしめることもなく。
ようやく、姿を現したのに、名前を呼ぶこともなく。

(手をさしのべ、だきしめ、頬ずりをして、ケアするチャンスだったかもしれないのに)

そう思うと、とりかえしのつかないことをした気持ちでいっぱいになる。

(この夢は、なんらかの対処をすることが必要な夢ではないのか?)

という気持ちが湧きおこる。

(眼球のない暗がりのような目が意味するものは?)
(四つん這いの赤ちゃんの恰好が意味するものは?)
(グレーの身体が意味するものは?)
(左手だけが動いているのは?)
(夢のつづきは?)
(まだ、消えないでいるだろうか?)

ぞのことを感じて、ずっと、心がざわざわしていて、そんな中で、ワークショップが始まる時間となる。

◆「水星」

驚くことに、一日目の惑星「水星」のアーキタイプ(エネルギーそのもの)を体験するイメージワークの一つに、「暗闇の中のゆりかごにいる赤ちゃん」が登場する。

(!!)

光と暗闇をすごい速さで行き来し、まわりをトリッキーな魅力で煙に巻く赤ちゃんの誕生のシーン。
原初の暗闇のゆりかごに、生まれたばかりの赤ちゃんが眠っていて、そこに光が差し込んでくるというものだ。

〈闇の中にいる赤ちゃんに光があたる〉

このとき、冷たい闇の中で、やせほそっている赤ちゃんに、あたたかい光があたり、血流がめぐり、白くまるまるとふくらんだ身体の皮膚がバラ色になり、笑顔になるイメージを見る。

これは、夢の中にいたグレーの赤ちゃんにしてあげたいと思い、そうなればいいと願ったことが、イメージの中で起こったのだと感じる。
そうして、イメージの赤ちゃんは、ひかりの中で輝くバラ色になる。

ところが、グレーの赤ちゃんは消えない。

変わらず、グレーの身体で、眼球のないアーモンド形の目で、よつんばいの姿勢で、左手を動かしている。

(どうしたらいいの!?)

◆「火星」

つづく二日目の惑星「火星」の神話では、「光」と「闇」の側面を象徴するギリシャの神々が登場する。
その誕生は、母親の怒りのエネルギーによる単性生殖で、一人目の赤ちゃんは美しく、体躯に恵まれているにもかかわらず、両親からネグレクト状態。

二人目の赤ちゃんは、五体満足でないところがあったため、出産後すぐに母親から捨てられる。

夢の世界が続いているのかと思うほど、神話の情景が刺さってくる。
ワークショップの中で、二人はお互いの側面だと教えていただき、

(だから、グレーの赤ちゃんは、消えずにいるのだろうか?)

と思いつつも、このときの私は、まだ、グレーの赤ちゃんを「なんとかしなければ」と思っていた。

「なんとか」というのは、赤ちゃんが赤ちゃんらしく、幸せそうに、闇ではなく光の中で、笑っている、というものだと思う。

でも、三日目、四日目のワークショップを経て、それが、「とらわれている思考の癖」だと気がつく。

光の中で、美しく輝き、賛美される容姿を持っていても、「火星」も「金星」も、愛されず、ひとりぼっちだ。

求めているのは、足りないものを埋める衝動。

◆ふたたび、「水星」

それを救ってくれるのが「水星」だ。

光の父と闇の母を持ち、どちらも行き来でき、極性が交差する場所が、心地よいゆりかごとなり、闇に光をともすことができるエネルギー。
対極のものをつなげる。協調する。交差点の神。
どちらがしか選べないのではなく、どちらも調和し、存在できるトリッキーな解決策を秘め、感情にとらわれない。
怒りも哀しみも侮蔑も怖れもない。
かわいくてやさしくてキュート。 
相手の警戒心も、相手の武器も、降ろさせる。
情報を集め、同じごころにとどまらない、かろやかなメッセンジャー。
……

〈その発想や行動で、場面が一変し、停滞していた問題が、風のように動き始める〉

まさに、そんなことが起こる。

◆形態には、物語がある

(グレーの赤ちゃんは、そのままでいい)

ワークショップを受ける中で、その想いが生れる。
そのままで、かけがえのない、たいせつな、かたち。たいせつな、存在。

「なんとか」しようと思うのは、ちがっていた。
バラ色じゃなくても、まるまると太っていなくても、光の中にいなくても、たいせつ。
そのままで、完璧。

(いっしょにいる。手をつなぐ。ハグする。感謝する)

それを、どんなふうにして、伝えればいいのだろう? 

(ヒーリングだろうか?)
(こえ?)
(うた?)
(こもりうたのような?)

そんなことを考えていたからだろうか。
ワークショップが終わって3日後、「LA MA DA SA SA SAY SO HUNG」というマントラを教えていただける機会に恵まれた。

魂とつながって出す声。
調和。祈り。倍音。共鳴。
グレーの赤ちゃんに、声でハグする。

◆ワンダーチャイルド

しかし、グレーの赤ちゃんはそのままで、変化があるのかどうかもよくわからず、どうなのだろうな…… と思っていた10月6日の深夜。
フェイスブックのお知らせ欄に、友達が私の投稿をシェアしたというメッセージが飛び込む。

思わず、クリックすると、「2020年10月6日」の私の投稿で、タイトルは

「昇華するとか浄化するとか手放すとか解放するとか卒業するとか統合するとか、そういう感じのことをせず」

そこに書かれていたのは、びっくりするようなシンクロ。
該当部分を転載する。

***********

先日の投稿で、ある人から、「(私の中にも)インナーチャイルドがいる」と言われて、動揺したことを書いたのだが、正直、なんとかしなきゃいけないのかなと思っていた。

なんとかする、というのは、昇華するとか、浄化するとか、手放すとか、解放するとか、卒業するとか、統合するとか、そういう感じのことだ。

漠然と、その子を、その子のまま、自分の中に置いておいたらいけない、みたいに思っていた。

ところが、きらちゃんは、〈ワンダーチャイルド〉と名付けていて、

〈この子を喜ばせることを、大人の自分がやっていくと、すごく活力が得られる〉
〈頭では想像もつかないようなミラクルを引き寄せてくれる〉

と、話していたのだ!

(ワンダーチャイルド!)

なんて、素敵な響きなんだろう。

自分の中にもワンダーな子がいる! という気になってくる。

いてくれて、心強いし、うれしくなる。

私は、遊ぶことが得意ではないし、特に好きというわけではないと思っている。

でも、私の中にいる、ワンダーな子は、もっと、もっと、遊んでみたいのかもしれない。

ワンダーチャイルド

ちょっと、わくわくする。

ふだんの自分ならしないようなことも、この小さな子のためならできる! という気になってくる。

自分のためよりも、誰かのためのほうが、何十倍も力を出せる気がする。

(遊びたい)
(遊ぼうよ)

昇華するとか、浄化するとか、手放すとか、解放するとか、卒業するとか、統合するとか、そういう感じのことをせず、この子といっしょに、遊びたい。

***************

(遊ぶ!)

そうか。ただ、遊べばいいのだ。
なんとかしようとするのではなく!

2年前に、自分で書いたものなのに、すっかり忘れている(汗)

しかも、

〈漠然と、その子を、その子のまま、自分の中に置いておいたらいけない、みたいに思っていた〉

という一文は、夢でRさんのおなかの「グレーの赤ちゃん」を見た時に感じた気持ちと同じだ。

(夢のからだと現実のからだは、繋がっている)

そのことを実感する。

(「グレーの赤ちゃん」の名前は、「ワンダーチャイルド」)

そう思うと、わくわくする。

(遊ぼう!)

そう意図すると、見た目はそのままだが、グレーの赤ちゃんも歓んでいるような気配を感じる。
ヒーリングや、マントラで変化がなかったのは、遊びたかったからだと思うと、いとおしくなる。

(さて、何をして遊ぼう?)

14日は、旅する絵描き 木の葉堂 白澤裕子ちゃんとの「てんけん隊」
出来すぎ!

実は、10月6日の投稿をシェアしてくれた、きらちゃんと、5年ぶりの再会をしたのが、裕子ちゃんが近江八幡のギャラリーカフェで開催した展覧会。

ふりかえると、ワンダーな世界と行き来し、そこで遊ぶ人たちが、私のまわりにちりばめられ、絶妙のタイミングで、連れ出してくれている。
画像は、その一人である、きゃらめるさんが撮影してくれたもの。

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SNSへの投稿は、未来の自分が受けとる手紙だと、あらためて思う。

浜田えみな

キャサリン・シェインバーグ博士のワークショップについての投稿

きらちゃんがシェアしてくれた投稿
「昇華するとか浄化するとか手放すとか解放するとか卒業するとか統合するとか、そういう感じのことをせず」

そこで書いている「インナーチャイルド」についての投稿
「人のせいにしたら、手放すことができない ~手紙~」

きらちゃんと再開した裕子ちゃんの個展のことが書かれた投稿
「夏越の大祓 ~どこに行きたいですか~」

きらちゃんと再開した裕子ちゃんの個展のことが書かれた投稿
「今日生れたいあなたへ」

きらちゃんと再開した裕子ちゃんの個展の絵(裕子ちゃんのnote記事)



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