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489.【介活】抜糸・車椅子介助・三時草

自宅庭先の石段から転倒し、唇のところを2針縫った、認知症の父の「抜糸」の日。
前回は勝手がわからず、待ち時間対策としてのあれこれや、父の着替え、食べ物、飲み物など、1泊旅行なみの荷物を抱えて来院したのだけど、ありがたいことに早く終わり、何一つ使わなかったので、今回、荷物は最小限だ。
 
9時に診察の予約をしているので、それまでに来院していれば、1番に診てもらえるはずだ。
介護タクシーも2度目の利用で、段取りもバッチリ。
8時に迎えに来てもらう。病院までは25分ほどだ。
 
介護タクシーの運転手さんは、病院到着後、貸し出し用の車椅子に、父を乗せるところまで介助してくださる。私は、折りたたまれた車椅子を、どうやってひらくのかもわからない。
 
受付前に置かれた整理番号の札を取ると、22番。
 
車椅子など、扱ったことがない。ベビーカーを押したのだって、二十年以上前だ。
重いし、グラグラする。思うように動かない。車椅子を止めるところを探して、右往左往。
車椅子に乗せた父と私が、並んで座れるよう、通路側の椅子の横に、邪魔にならないよう近づけて車椅子を止めたいのだけど、一度目は、椅子と車椅子の距離が開きすぎていて、失敗。
なんとか、椅子に近づけて車椅子を止めたものの、次は、動かないように固定するストッパーが、どこにあるのかがわからない。
(うーん……)と思いながら、けっきょく、わからないまま、受付が始まる時間まで、座って待つ。
 
8時30分になり、渡された番号が呼ばれると、再診窓口に行き、受付をする。受診票一式の入ったホルダーをもらって、診察室前の箱に入れ、その近くで診察開始まで待つシステムだ。
診察室までが遠い。
通路の奥まで行っても、「脳神経外科」のプレートがない。通路を1本間違えたようなので、引き返して、次の通路へ。私の迷走に、父は、されるがままだ。おとなしく運ばれている。
 
ようやく、到着。
電光掲示板に、3人までの診察待ちの番号が表示されている。
 
〈8 14 22〉
 
(え、3番目? 9時の予約なのに?)
(診察開始1番目の予約なのに?)
(早く来た人が優先なら、なんのための予約?)
(ぷんぷんぷん)

 
と、内心、怒っていたら、隣のソファーに座っていたおじさんが、私に話しかけてきた。
 
「あの…… ここの診察ですか?」(脳神経外科を指差す)
「そうです」
「失礼ですが、おたくは何番ですか?」
「22番です」
「ああ……、そうですか」
「はい」
 
質問が続くと思い、おじさんのほうを向いたままでいると、一瞬、黙っていたおじさんが、ふたたび、話し出す。
 
「いえね、私ね、14番でね、9時の予約なんですけど、いつも1番なのに2番目になっているから、1番目の人が何時の予約なのか、ちょっと聞きたいと思ってね」
「そうなんですね! 私も9時の予約で、3番目なので、なんでかなーって思っていたんです」
「え! おたくも9時の予約?」
「そうです。9時の予約に3人くらい入れているのかもしれませんね。で、早く来た人から診て、次の予約は、9時30分なのかも」
「そうですなー。私は、2ヵ月に1回薬をもらいに来てるんやけど、いつも1番やのに、おかしいなと思ってね」
 
(なるほどね)
 
おじさんは、話が好きなようで、その後も、ずーーーーっと、会話が途切れず、診察が始まるまでの20分で、私はおじさんの家庭事情を、ほぼ把握した。
 
おじさんは、ふらつきとめまいの治療で、2ヵ月に1度受診している。75歳。一人暮らし。長女は結婚して静岡にいる。長男は東京で勤務している。おじさんは、退職まで建設の仕事をしていて、ほとんど家にいなかった。九州の現場で知り合った女性と結婚した。ある時、静岡の現場から戻ったら、寝込んでいた。病院に行くと、すでに手遅れで、3ヶ月後に亡くなった。子宮がんだった。42歳だった。その時、長女は19歳。長男は15歳。出張が多いので、子どもたちだけで頑張って生活してくれた。再婚はしていない。奥さんは一人娘だったので、近くに住んでいる奥さんの母親(80歳)から電話があれば、買い物や病院に車を出している。などなど。
 
私の母が、子宮頸がんの手術をしたのは44歳で、私が17歳、妹が15歳だった。そのときに亡くなっていたら、おじさんの家の状況とほとんど同じ。
私が、家事一切をやったのは、母が入院療養をした数か月だけど、亡くなっていたら、それがずっと続いていた。そう思ったら、すべてが感謝になる。
 
(お母さん、死なないでくれて、ありがとう)
 
診察が始まり、14番のおじさんは、無事に呼ばれ、すぐに出てきた。
「いつも5分」と言って、笑って帰っていった。
建設現場が長く、まかない婦さんがご飯を作ってくれていたので、自炊は苦手と言っていた。大阪の家で、娘さんや息子さんと一緒に暮らした時間は、短いのかもしれない。
子どもたちが小さいときは、おじさんが全国を飛び回り、大きくなった子どもたちは、大阪を離れていて、おじさんの近くにいるのは、奥さんでもなく、子どもたちでもなく、奥さんの「お母さん」というのも、不思議な采配だ。
 
*****
 
父の番号が呼ばれる。「抜糸」だ。
 
先生は、患部を照らすライトを、おでこのあたりに装着していて、父の傷を見る。
「治ってますね。抜糸しますね」
父は、無言。
(今、思えば、耳が遠いので、マスク越しの先生の声が聴こえなかったのだ)
 
先生は、ピンセットとハサミを持っている。
「まぶしいから、目をとじてください」
 
父は無言。目もパッチリ開けている。まぶしそうにしているのに、とじない。
しかたがないので、私のてのひらをあてて、目を覆う。
ヒーリングしている気分だ。
 
「動かないでくださいね」
 
(え! それは無理かも)
(だって、痛いよね!?)

 
抜糸するところなど見たくなかったのに、父の目を覆い、手をにぎり、よりそっていると、いつのまにか、私の目は、先生の手元にロックオンされてしまい、まばたきもできず、一部始終を見守る形になる。
 
ピンセットで、そっとかさぶたをはがしている。
縫った糸の結び目を探している。ハサミで切っている。
糸を少しずつ、つまんで、ひっぱりだしている。
表側が終わったら、次は、唇を持ち上げて、裏側。
結び目を探している。切っている。糸をつまんで、ひっぱりだしている。
抜き忘れがないか、さがしている。

 
……気配(振動)がぜんぶ、ふれている父の身体から伝わってくる。
 
(おとうさん、動かないでね。痛くないからね)
(私のヒーラーとしての能力のすべてを、このてのひらに!)

 
という思いで、父のまぶたに手をあてていた。
 
治っているとはいえ、ピンセットで傷をほじくられ、糸を抜かれているのだから、何か感じるだろうし、チクチクすると思うけれど、不意に動くと危ないし、先生にご迷惑がかかる。
 
(大丈夫だからねー)
 
祈る思いで見守る。
長い1本が抜け、私まで、ほーっと、息をつく。
 
(動かなかった! 偉かったーーーーっ)
 
2歳児のそばにいる心境だ。
無事、抜糸終了。
 
(お父さん、偉い! 拍手!)
 
先生からは、「傷はもう治っているので、治療は終了です。投薬もありません」と言われる。
「ただし」と言葉がつづく。
 
「ただし、顔とはいえ、頭部の怪我にあたりますので、何か症状があれば受診してください」と言われ、怪我をした日にももらった〈頭部外傷後の注意〉という書面を、ふたたび渡される。
七つの項目があり、あらためて黙視すると、そのうちの「⑤手足に力が入らない、歩きにくい」が気になる。
 
(父の足腰が、急に衰えたように感じるのは、もしや、転倒のせい?)
 
心配しはじめたらキリがなく、その懸念を先生に伝えたところ、様子を見て、心配なことがあったら、受診するようにと言われた。
おそらく、問題はない。
 
しかし、次なる問題が。
 
「しょんべんする」
「わかった! ちょっと待ってーーー!」

 
トイレを探すと、入り口の近く、会計窓口の前方にトイレのマークを見つけ、車椅子を走らせる。
なんて便利なのだろう。あっというまに到着。歩いていたら、何分かかるかわからない。
ほかに人がいなかったので、トイレの入口まで車椅子を近づける。
父は、ふだんは車椅子生活ではないので、降りて用を足せるはず。
 
「お父さん、着いたよ。降りれる?」
「……」
 
(がーん。車椅子から立ち上がれない!)

 
このときは、気づいていなかったのだけど、深く腰掛けた姿勢から、何にもつかまらずに立ち上がるのは、健康な人でも無理!
 
どうしていいかわからず、しばらく立ち往生したあげく、トイレの中の、つかまれそうなでっぱりを見つけて、それにつかまって立ちあがることができた。
 
(間に合ってよかった!)
 
終わって戻ってきたら、今度は、乗せ方がわからない!
 
トイレの中では、教えてもらう人もいない。
なんとか、乗ってもらったけれど、たぶん、正しくないやりかただ。
車椅子介助について、勉強しておこうと、切実に思う。
 
介護タクシーに連絡すると、15分ほどで来てくれることになり、タクシーを使わずにすんだ。
帰宅後、今度はデイサービスに電話をして、迎えに来てもらう。
 
父を送り出し、車に手を振って、門を閉める。
振り返ると、太陽の光を浴びて、庭がきらきらしている。
 
(いいなあ。きらきら)
 
何か素敵な発見はないかと、きょろきょろしていると、見慣れないつぼみをみつけた。
オレンジとピンクのつぼみだ。
葉は多肉植物のようなのに、花の茎は細くて、繊細な感じ。


(どんな花が咲くのだろう)
 
オレンジとピンクだなんて、かわいすぎる。楽しみだ。
つぼみっていいな。写真を撮る。
ローズマリーも、キラキラしている。

***
 
15時30分。
父が帰ってくる時間だ。ガレージに干してある洗濯物をとりこみ、ふとみると、
 
(花が咲いている!)

しかも、2本とも鮮やかな黄色だ。つぼみは、確かに、オレンジとピンクだったのに。
 
(なんという花?)
 
〈多肉植物・たんぽぽみたいな花〉で、検索すると、すぐにわかった。
「ベルゲランサス」「照波(てるなみ)」または「三時草」というそうだ。
 
(三時に咲くので、三時草!)
(たしかに、三時!)

 
なんとなんと!
家の庭に、そんなものが育っていたとは驚きだ。
父が買ったのか、母が買ったのか。いったいいつからあるのか。
 
それにしても、こんなに鮮やかな黄色なのに、なぜ、つぼみの色は違うのだろう?
検索しても、理由はわからなかった。
三時草は、夕方になるととじ、三時になるとひらく。
一週間くらい咲き続けるそうだ。
 
翌朝、みてみると、つぼみは、やっぱり、オレンジとピンク


不思議だ。
花言葉は、「真心」だそうだ。
 
父の転倒の一件では、たくさんのかたから、真心をかけていただいた。
心からの感謝と御礼をこめて、私も、還していく。
 
浜田えみな
 
前回の記事はこちら。

転倒

 
手すりをつける

  


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