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432.「The Journey マザーオーシャン」上映会+Leinaオンライントーク(2023.8.1)

クジラは、ただクジラで。
イルカは、ただイルカで。
海に存在している。
それだけで、なんて尊いのでしょう。
 
クジラはクジラの唄をうたう。
イルカはイルカのダンスとおしゃべりをする。
 
なにかになろうとか、だれかみたいになりたいとか、そのようなことを思うことはなくて、自分の海で唄をうたい、踊る。
 
私たちは、夢。
最高の存在から生まれた、最高の夢。
 
かけてくれたレイは、そのしるし。
 
(本文より)
 
*******************

 
◆申込まで
 
京都で開催された「The Journey マザーオーシャン」上映会+Leinaオンライントークに参加した。
フェイスブックの投稿でシェアされていた画像に魅かれ、ホームページを知り、プロモーションの動画を観た。
 
イベントは平日で、しかも、午前中でも午後でもない。11:00開場で、イベントは11:30~13:30という、会社の近くであれば、出勤して、中抜けして、戻って仕事ができそうな時間帯だけど、私の職場は大阪市内なので叶わず、一日休まなければならない。
 
月始めは業務が繁忙で、休むと大変なことになるので、一度はあきらめる。
でも、報告のスケジュールを調べると、なんとかなりそうだとわかる。
 
(ずっと続いている平穏な流れの中に、ふいに入ってくる新しい流れ)
(水門を開ける?)

 
私は、40年近く会社に勤めているのだけど、最近、苦しく感じることが増えた。
行きたい、やりたいと感じるイベントは、平日に開催されていることが多く、素敵だと感じる人は、会社勤めをしていない。

あこがれを感じる人たちは、土にふれたり、水にふれたり、樹や植物や海や川にふれて、ハートをひらいてすごしている。

満員電車に乗り、毎日往復2時間以上かけて通勤し、次々にやってくるタスクをこなすことを駆動力とし、月や星や海や山ではなく、時計とカレンダーを見て、一日のほとんどをオフィスで過ごしている人なんていない。
 
そんなことは、もう何十年も前からわかっていて、会社員としての自分も、帰宅後の自分も、平日と週休日の切り替えも、当然のこととして受け入れて、それでよかったはずなのに、最近は、あまりにも波動の違う世界を行き来することが苦しくなっている。
 
(自分の40年の大半が、なんの価値もないことに費やされてきたような気になることも)
(仕事を休まなければ、参加できないイベントばかりだということも)
(仕事を休むことへの罪悪感も)
(そう感じる自分も)
(それを感じさせるものに関わることも)
(どうせ、できない。どうせ、無理)
(世界がちがう)

 
だから、「マザーオーシャン」も、一度はあきらめ、次回どこかで、無理のないタイミングで上映される時まで待とうと思った。
 
(でも、そんなのいつになるかわからない!)
(いま、扉がひらこうとしているのに?)

 
どうしても、どうしても、あきらめられない気持ちが湧きおこってきて、観に行くことを決める。
 
ところが。
何度、読み返して、くまなくスクロールしても、たしかにあったはずの申込ボタンが消えている。
 
(満席になったのだ……)
 
でも、このまま何もせずに、あきらめることはできない。
コンタクトフォームから、主催者に想いを伝え、キャセンセル待ちがあるかどうかを問いあわせたところ、ほかからも問い合わせがあったようで、増席してくださり、申込を受け付けてくださった。
 
(海とつながる)
 
公式に公開されているダイジェストの映像を何度も観た。
クジラの唄を聴き、イルカのおしゃべりを楽しむ。
フリーダイビングの映像に、30年ほど前に、映画館に通いつめた「グランブルー」の記憶がよみがえる。
 
(海 フリーダイビング イルカ) 
(どうして、あんなに魅かれたのだろう)

 
◆レイ
 
そうして迎えた当日。
会場は、京都市役所がすぐ前に見えるビルの4階だ。
レンタルスペースだと書かれていたので、会議室のようなところで上映されるのだと想像していた。
エレベーターを降りると、並んでいる人の姿はなく、どうやら一番乗り。
 
受付でしてくださったのは、「レイ」をかけてくださったこと!
草で編んだ、たくさんのレイが積まれていて、さまざまな緑の三つ編みと、葉っぱが目にとびこむ。
そこから一つをとって、ふわりとかけてくださる。
 
(レイをかけてもらうって、なんて、うれしく、あたたかい気持ちがふくらむのだろう)
(大切にされている、という気持ちになる)
(歓迎されている、という気持ちも)

 
ハワイでかけてくださるレイには、「花輪」のほかに、「愛しい人」「絆」という意味があるそうだ。
 
会場に入ると、思わず声が出る。
想像もしなかった空間が広がっているからだ。


座席は、椅子ではなく、大きな階段状になっていて、一番下のステージを、上から見下ろす設計で、大きな窓から、光がいっぱいに差し込むスペースは、まるで、ダイビングプールのよう。
水底に、スクリーンが沈んでいる。
 
スクリーンに投影されているのは、マザーオーシャンのタイトル画像だ。

階段も床も木で作られていて、あたたかい。
あぐらでも、三角座りでも、思い思いの姿勢をとれる。
腰かけて、足をぶらぶらさせることもできる。
おしりや背中が痛くならないよう、クッションも用意されている。
 
見渡すと、参加している人全員が、草で編んだ、手作りのレイをかけている。
それは、しるし。
そうして、私たちひとりひとりも、会場いっぱいの大きなレイを形作る一員だと気がつく。
 
~ホームページに記された「The Journey マザーオーシャン」のキャプションを転載する~
 
主人公Leina(レイナ)が9ヶ月間の妊娠中、ハワイ、バハマ、ルルツ島、モーリス島などを訪れ世界の海でイルカやクジラたちからの祝福をうけながらお腹の中の子ども(ナイア)の誕生までを描いた壮大な美しい愛のストーリー。アバターの監督 James Cameron が絶賛したドキュメンタリー映画。これから生まれてくる子供達に 私達は 何を伝えていけばいいいのか。青い惑星 地球で愛と調和の意識で生きていくこと。私達の家族であるイルカたちとクジラたちのメッセージ。

◆「5つめの夢」
 
映画は、レイナさんが、ネイティブアメリカンに伝わる「5つめの夢」の伝説を、大きな樹の下で車座になった人たちに、朗読しているシーンから始まる。
 
レイナさんの首に、同じようなレイがかかっているのを観たとき、この上映会を主宰してくださったかたの思いを感じて、胸がいっぱいになる。
 
(レイで、つながっている)
 
フィフスドリームの詩は、ホームページに掲載されていて、読んでいるはずなのに、レイナさんの声から入ってくる響きは、初めて聴くように、深く、海に潜るように深く、しみていく。

Fifth Dream | フィフスドリームプロジェクト (fifth-dream.art)
 
一つ目の夢。光になる夢。あらゆる色を体験して、ピュアで透明な光になる。
二つ目の夢。光は軽く、重くなりたいと思い、光り輝くクリスタルになる。
三つ目の夢。優しさと しなやかさと 繊細さを夢見て、かおりあふれた花になる。
四つ目の夢。花は、深く根を張る木になり、​自由に 走り回り 旅に出たくなって、ミミズが生れ、想像できる限りの探求の果てに、すべての動物が望んでいた最高の姿、クジラとイルカが生れる。
 
​「すべてと ひとつ溶け合っていた彼らたちは
すべてから 分離してみたいと思った。

そして 私たち人間があらわれた。

次に見た夢
五つ目の夢 五つ目の道」
 
レイナさんの朗読を聴いて、私の中にあり、ずっと消えないでいる、深い「分離」の「悲しみや痛み」の体感が、「愛と祝福」の体感に置き換わる。
 
(「分離」は「一体」の証)
(「喪失や別れ」ではなく、「願いや希望」)
(「託された夢」)

 
(こんなに小さく、こんなにさびしく、ひとりぼっちになるのが怖い私の中に、クジラとイルカが溶け合っている!)
(人間は、クジラとイルカの夢)
 
(おめでとう!)
(ありがとう!)
(すべてのいのちに!)

 
上映のはじまりと終わりに、屋久島にいるレイナさんとオンラインでつながる時間がある。
最初にイルカと泳いだときのことを話してくださったとき、ご自身のことを、「海の中に落ちたしずく」のようだと話してくださった。
「海の中で、輪郭はあるけど、ワンネス」だと。(記憶がうろ覚えなので、表現は違うかも)
 
レイナさんから「しずく」という言葉を聴いたとき、数日前に思い出した、「志明院のひとしずく」の体感が、胎内の記憶として、よみがえる。
 
(羊水)
(「マザーオーシャン」は、伝説を思い出す旅)
(クジラとイルカから、人間が生れる記憶への旅)

 
どのように、クジラやイルカたちが、唄い、踊りながら、夢を育んでいったのか。
大きくなっていく、レイナさんのお腹。
祝福を伝えてに来てくれる、クジラとイルカ。
そして、誕生。
 
生れた女の子の名前は、ナイアハワイ語で「イルカ」を意味するのだという。
 
***
 
映画が終わってから、レイナさんとのオンライントークが始まるまでの休憩時間。
 
(なにも言語化したくなくて)
(人間のことばを使いたくなくて)

 
それは、私の感情であり、隣で、いっしょに映画を観てくれた人の感情であり、察しあい、ひとことも言葉を交わさないでいられることへの感謝。
 
◆ワーク
 
屋久島にいるレイナさんの誘導で、近くにいる人とバディになって、向かい合い、相手の瞳をみつめるというワークのひとときがあった。
 
(瞳は、まるい)
(沈んでいく夕陽のような)
(昇っていく朝日のような)
(満月のような)
(新月のような)
(地球のような)
 
〈向かいあうバディの瞳〉
 
(なんておだやかで、やさしくて、慈愛に満ちているのだろう)
(なんという美しい微笑みなのだろう)
(なんてしずかに、はらはらと、なみだが頬をつたうのだろう)

 
そのような、美しいものを感じさせていただいていることに、感謝の気持ちが生れる。
 
その人の髪や、顔の輪郭や、眉や、鼻や、頬や、くちびるや、身に付けているものなどの、外側の目にみえるものではなく、瞳を通じて入って届いているもの、感じているもの、その感覚。
 
(デジャヴ)
 
石谷傳さんの水鏡のワークショップで、「天」という鏡をみたときの体験。
自分で磨いた鏡をみたときの体験。
 
(まったく外観のちがう二人が向き合い、ハートをひらいて、瞳を介して、互いに相手を映す鏡となっている)
 
私の瞳は、その人から感じられる(受け取っている)ものを映し、表情も、からだも、そのエネルギーに振動している。
その人の瞳は、私から感じられる(受け取っている)ものを映し、表情と、からだは、そのエネルギーに振動している。
 
2枚の鏡が生れていることを、体験する。
「マザーオーシャン」という映画を観て、レイナさんのお話を聴いて、おそろいのレイのしるしをつけて、あらゆる海とつながる、ピュアで、豊かな空間の中で、人が、人の鏡となり、交歓する体験をしたこと。
 
(そのことの感銘)
(そのときのハグ)

 
「水鏡」のワークをしていなければ、わからなかったと思う。
 
鏡の本質を教えてくださった、石谷傳さん。
すべてが共鳴する水のバイブレーションを、ヒツキアメツチのサロンでハーモナイズしてくださった、いっしょに鏡を磨いてくださった人たち。
 
(すべてがつながっている)
 
今年の1月28日に、友人のサロンで「水を編む」というビジョンを体験してから、ずっと、「水」に導かれている。
特に、ここ数日!
 
7月28日 「志明院 鴨川の源流」 → 「ひとしずく」 → 「水の産声」
7月30日 「水鏡への入口〜海獣葡萄鏡(キトラ古墳四神の館鋳造)を磨くワークショップ」 
8月1日 「The Journey マザーオーシャン」上映会+Leinaオンライントーク
 
7月上旬から、ふいに感情の大浄化が起こっていて、海底火山の大噴火のように、陸からは見えないところで、ゆさぶられていたのだけど、海のことは海の生き物が解決してくれるのだとわかった。
 
◆夢
 
映画が終わってから、質疑応答や、レイナさんが取り組んでいるプロジェクトについて伝えてくださる時間があった。
 
知らないことがいっぱい。
美しく尊い魂に導かれている人がいっぱい。
私がやっていることといえば、イソップの「すっぱいブドウ」のキツネみたいに、素直になれず、いじけて背を向けることばかり。
 
でも、映画を観て、クジラやイルカが泳ぐシーンを想い、体感し、クジラの唄や、イルカのおしゃべりを、ユーチューブでずっと聴いているうち、
 
〈なににもならなくていいんだ〉
 
という気持ちになった。
 
クジラは、ただクジラで。
イルカは、ただイルカで。
海に存在している。
それだけで、なんて尊いのでしょう。
 
クジラはクジラの唄をうたう。
イルカはイルカのダンスとおしゃべりをする。
 
なにかになろうとか、だれかみたいになりたいとか、そのようなことを思うことはなくて、自分の海で唄をうたい、踊る。
 
私たちは、夢。
最高の存在から生まれた、最高の夢。
 
かけてくれたレイは、そのしるし。

編み目。結び目。


(くぐり、たぐり、むすび、ほどき、ひらく)
 
ひとりひとりのレイは、地球へのレイ。
地球は、宇宙へのレイ。
 
〈水を編む〉というビジョンが、トランスフォームしていく。
 
関わってくださったすべての人に、愛と感謝をこめて。
 
浜田えみな

始まる前に、いっしょにモーニングを食べてくれた友人。

終わってから立ち寄ったカフェで、会場にいた人と出逢い、ご縁がつながる。
このお話は、また別の投稿で。



 
水の産声 

水鏡

マザーオーシャン


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