見出し画像

452.家族でノベルセラピー

目をとじて、耳で聞いているときは、(つながっている)と思っただけだったけど、文章にしたとき、そのつながりが、能動的なものだとわかる。

似ているアイテムがシンクロしているのではなく、物語を超えて、物語に入っていくアクションと、それを受け取るアクションが呼応している。親交している。交流している。

(ときめきが止まらない)

(本文より)

************

オジャさんのノベルセラピーに出逢い、ノベルセラピストの認定をいただいて、自分でもワークショップができるようになったとき、最初にやってみたいことがあった。

それは、家族でノベルセラピー

家族で、家族の物語を、旅してみたいと思った。

24歳の息子は、広島にいて、私は父の介護で実家にいて、夫と21歳の娘は自宅にいるので、家族は離れて暮らしている。

Zoomでやろうと思っているうちに、どんどん日が過ぎて、ついにお正月。
まさかノベルセラピストデビューが、対面ワークショップになるとは思っていなかったけれど、この機会を逃したら、次はないと思い、勇気を出して、提案してみたところ……撃沈。

「やりたくない」「無理」「めんどくさい」「俺はしない」と、大ブーイングの嵐だったので、泣き落とし作戦。

「おかあさんさー ノベルセラピストっていうのになってさー、こんどワークショップやってみようと思ってるねんけど、初めてやから、どんなふうになるかわからんしさー、モニターやってよ~。お願い! おかあさんは、ノベルセラピーのワークショップを受けて、すっごい感動して、すっごい、いいって思ってるねんけど、誰でもが、そんなふうに思うかどうかわからへんしー、お願い! お願い! お願い! お願い! やってみて、感想きかせてよ~」

と、1回言ったくらいでは、首をタテにふらない、息子と娘に、3回くらいお願いして、ようやく、しぶしぶながら、やってくれることになった。

いそいそと、紙とペンをとりに行く。

家族4人でやりたかったのに、夫には、別室に逃げられてしまって、残念。

いったんやると決めると、素直で真面目な二人。

質問に答える時間が早く、メモする文字が細かく、簡潔、ちっとも乱れず整然としているので、びっくりする。
さすが、現役の大学生と社会人2年生だ。

私がワークショップを受けたときのメモノートなんて、書いた上から、追加したり、訂正したり、浮かんでいる膨大なイメージの表現や、それを瞬時に書き留めることが追いつかなくて、自分以外の人には、判読不可能レベルだった。

望んで参加したワークではなく、私の願いを聴いて参加しているので、たくさんの質問に答えて、紙にメモするだけでも、

(めんどくさ)
(しゃーないか、ほかにやることないし)

だったと思うのだけど、最後の質問を終えて、さらに私が2人にお願いしたのは、

「その物語を、即興で、お話してください」
「えーーーーーーーっ」
「いやーーーーーーっ」
「なんでーーーーー?」

当然、大ブーイングが起きた(私も、ワークショップを受けたとき、ものすごく抵抗があった)けど、ここでは終わることはできないので、〈やってみて起きたことやよかったことを力説〉し、〈おかあさんのやってる“へんなこと”に乗りかかった2人〉は、しぶしぶ、やってくれる。

ノベルの最初の質問は、主人公に名前をつけること

(目覚め。点火。へその緒が切られ、自発呼吸が始まるダイナミクス)

むすこの第一声は、

「名前は、ノエルくん」

それを聴いたとき、名前の音がもつことだまが、なだれこんでくる振動に、胸がいっぱいになる。
むすこのイメージの世界へ入っていく架け橋だ。

語られていく物語……。

驚いたのは、即興の口述なのに、ノベライズ作品の完成度だということ。
まるで、できあがった原稿を読んでいるように、すらすら話してくれる。
きちんと筋立てができていて、伏線があり、カタルシスがある。

むすこの手元にあるのは、箇条書きの簡単なメモなのに、絵本のページをめくりながら、読み聞かせをしてもらっているようだった。

(すごーーーーーーい)

家族ラインは、いつも単語しか返ってこないし、いくつも質問しないと、知りたいことの答えが得られないむすこだけど、大学で、ディベートをしたり、論文やレポートを書いたり、サークル活動で培われたことや、社会人となってから求められたにちがいない、資料をまとめたり、プレゼンをしたり、短い時間で要旨をまとめて、口頭で伝える、というスキルを積んできたことが、伝わってくる。

(兄ちゃん、すごいーーー)

と、むすめが驚いているのも伝わってくる。

むすこに、やってみた感動を尋ねると、

「最初は、めんどくさいな、と思っていました。考えるのは楽しかったです」

と、よそゆきの言葉が返ってきた。

つづいて、むすめの物語。
兄ちゃんみたいに、ちゃんとできていない、と言い訳しながら、話しはじめる。
むすめの第一声は、

「木の名前は、きたろうくん」

まさかの日本名で驚く。
あとで、むすめのメモを見ると、「木太郎」と書かれていた。

むすこの物語が、伝統的な路線だとしたら、むすめの物語は斬新。
随所に、ぶっとんだ発想と展開があって、果敢というか、アグレッシブというか、「やってくるのを待つ」のではなく、「自分が向かっていく」エネルギーがスパークしていて、(そうだ、この子はこんな子だった)と、愉快になる。

お正月や夏祭りの神社の境内に並ぶ屋台で、祖父母からおこづかいをもらって、走っていくのは、むすこは、スマートボールやクジで、むすめは射的。
むすこも、わたしも、夫も、やろうと思ったことも、むすめに教えたこともない。

なぜ、小さい彼女が射的にひかれたのかわからないけど、保育園のころから夢中で、祖父に構えを教えてもらい、年に数度しかしないのに、みるみる上達して、今ではかなりの腕前で、必ずいくつか賞品をゲットする。

そんなむすめの物語には、「自らが動いて飛んでいく手段」がちりばめられている。

私も、ワークショップで、樹の物語を書いたけれど、そんなことは思いもしなかったので、むすめ発想に驚いた。

むすこも、妹の物語をおもしろいと感じているのが伝わってくる。

さて。
ノベルセラピーは、即興で物語を口述したあと、文章にする(創始者のオジャさんは、「文字化」とおっしゃっている)のだけど、実は、これがとても大事だ。

さっそく、2人に提案したところ、やはり、(けんもほろろとは、このことか)という勢いで拒否される。

私が、どんなにすごいミラクルを体験したかを、情熱をこめて力説したのだけど、むすこはNG。

むすめは、いちおうやってくれるということだったけれど、5日を経た今、まだできていないので、たぶん、このままだと思われる(笑)

無理にお願いしたのだから、しかたがない。
代わりにやってみようと思う。

あとで聴きたいと思って、録音させてもらった音源がある。

はじめて、スマホの録音機能を使ったのでやりかたがわからず、むすめに教えてもらった。
私なら、録音されている中で話すなんてNGだけど、そのあたりは抵抗がなく、ボタンが押されているとわかっていながら、堂々と口述できるオトナな2人。

さっそく、再生しようとしたら、「テープ起こし」の機能がついていて、びっくり。

(なんてすごい! なんて便利!)

文字で表された2人の物語を、あらためて読み返し、少し体裁を整えて、小さな物語として保存する。

これは、本人による「文字化」で起こるアルケミーとは、次元がぜんぜん違うものだと感じるけれど、私にとってのアルケミーが起きる。

(むすことむすめの物語が、つながっている)
(物語は、生きている)

そのことが起ちあがってきた。

2人に創ってもらったのは、一本の樹が主人公の物語だ。

むすこの樹は、動かない。
まわりに、いろんなものがやってくる。

むすめの樹は、動かない。
代わりに、その実をとばす。

2人の物語に共通して登場するのは、たくさんの鳥たち。
話し相手となり、いろんな智慧と勇気をくれる、仲良しのお友達だ。

**********

〈むすこの物語の中の一節〉

~ノエルくんは、きらきらした光の中、自分のまわりの地面に、植物の芽が生えていることに気づきます。

鳥たちがやってきたときに、落としていった糞の中に、植物の種が入っていたのです。
ノエルくんのまわりには、植物が、いろいろ生えてくるようになりました。

お花だったり、果物の木だったり、遠い外国からやってきた植物もあって、ノエルくんは、その植物たちと、お話をして、いろんな知識を得ることができました~

〈むすめの物語の中の一節〉

~友達は増え、友達の友達もいっぱい集まって、木太郎くんのまわりは、楽しくなります。
そして、木太郎くんの木の実は、その実を食べた鳥たちに運ばれていき、別の地で芽をだします。

その地で、更なる物語が生まれていきます~

**********

兄妹が、仲良く、お互いにリスペクトしあい、助け合って、いつも一緒にいなくても、応援していて、ひとりぼっちじゃない、味方がいるというような、その存在が心の深い場所で、よりどころになっているような関係性でいてくれたら……というのは、親の見る夢、勝手な妄想だ。

だけど、むすこの物語の中で、むすめの樹がつけた実が、鳥たちに運ばれ、芽を出し、むすこの樹と話をしていることを感じ、そこから始まる更なる物語を、むすめが見ていることを知る。

(2人の物語がつながり、続いていく)

そのことを教えてもらえたこと。
2人が見ているイメージを、感じさせてもらえたこと。

目をとじて、耳で聞いているときは、(つながっている)と思っただけだったけど、文章にしたとき、そのつながりが、能動的なものだとわかる。

似ているアイテムがシンクロしているのではなく、物語を超えて、物語に入っていくアクションと、それを受け取るアクションが呼応している。親交している。交流している。

(ときめきが止まらない)

そんなことを2人に言うと、

(うざ!)
(きも!)

と言われるから言わないけれど、

(しみじみ嬉しい~)

2人は言わないけど、夫には言う
そして、もう何度も繰り返している、2人が生まれたときからのエピソードを、デレデレしながら、延々と語り合う、至福の境地に入っていく(笑)

(子どもがいなかったら、私たち夫婦は何を話すのか?)
(夫と私の物語は、つながりあい、相互に行き来でき、続いていく兆しがあるだろうか?)

家族でノベル。
夫婦でノベル。
物語を旅する。

絵も描けたら素敵だ。

「ノベルセラピー」×「旅する絵描き 白澤裕子ちゃんのお絵描き」ワークショップ
計画中です。準備ができたら、ご案内します。

浜田えみな

 これまでのノベルセラピーの記事はこちらから

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?