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514.【介活】〈がんばるのは今じゃない〉という魔法の言葉

「がんばるのは今じゃない。これから、もっともっと大変になるの。お父さん、身体がお元気だから。先は長いよ。10年! もっとかも」
 
〈がんばるのは今じゃない〉 
 
この言葉があったから、母の看護と父の介護ができた。
 
「がんばるのは今じゃない、もっともっと大変になる」と思い、「もっともっと大変なとき」に備えて、余力を残しながら事に当たっていると、いつのまにか、大きな山を越えている。
 
そんな魔法の言葉だ。
 
(本文より)
 
◆〈お父さん、寝てくれました!〉からの……暴君出現!
◆バケツリレーを命ぜられる
◆寝ない! まったく寝ない!
◆両輪を持つこと
◆決めているのは
◆〈がんばるのは今じゃない〉
 
***********

 
◆〈お父さん、寝てくれました!〉からの……暴君出現!
 
利用停止となった「施設1」の穴埋めに、急遽【体験入居】という名目でショートステイさせていただいた「施設2」から、父帰還。
 
夕方からの興奮・攻撃性・暴言・暴力に加えて、「夜寝ない」との施設担当者からの声により、主治医に相談し、処方してもらったクエチアピン12.5mgの1/2錠が、〈まったく効かない!〉という状況だったため、クエチアピンを1/2錠から1錠に増量、さらに就寝前に「エスゾビクロン錠1mg」を処方してもらった結果、最終日の夜は〈お父さん、寝てくれました!〉とのことで、保留になっていた8月の穴埋め期間について、ショートステイを利用させていただけることになった。
 
(よかった!)
 
「施設1」のショートステイ3週間からの帰還のときは、送り届けてもらっても、自分の家という認識ができず、娘の家に連れてきてもらったという感じで、「帰る」と言っていた父だが、ショートステイという環境に慣れたのか、通院のために「施設2」に迎えに行ったときも、私や夫をわかっていたし、診察のあいだもおとなしくしていたし、施設に到着した後も、素直に職員さんと部屋に戻っていったし、このたびの帰還では、自分から、さっさと玄関に入っていった。
 
担当者からの引継ぎのあと、ケアマネージャーのOさんもやってきて、今後の利用計画について説明を受ける。
 
父は、その間、庭の水やりをしはじめ、自分では、少し奥まった場所にある庭の水道栓をひねることができなくなったため、「水を出せ」とか、「止めろ」とか、私にあれこれと命令する。
 
ホースの先には、散水ノズルがついているので、それで水の調整ができるのだけど、父は操作を忘れたしまったよう。なんだかすごい水音がするので、父を見ると、散水ノズルを外してしまって、ホースからの直線的な放出をしているため、局所的な水やりしかできず、しかも土が飛び散るくらいの勢い。びっくりして、水栓を調節したら、勢いが弱まったことに気づいた父に、「止めるな!」と怒鳴られ、どうやら、機嫌はあまりよくない感じだとわかる。
 
アシナガバチの巣ができていた盆栽の鉢は、ガレージに移動したので、台だけが残っている。
父は、そのあたりを、じっと見ていたけれど、特に騒いだりしなかったので、ほっとする。
 
機嫌よく水まきをしていたはずの父だが、何か思い通りにできないことがあったのか、いらいらしはじめたようで、玄関の上がり框に腰をかけて、ショートステイとデイサービスの日程を確認している私達に、いきなり声を荒げてきた。
 
「おまえらは、何をくちゃくちゃしゃべってるんや! 亭主が身体を張って仕事をしているのに、家の中にいやがって。はやく出てきて、ここでやっているのを、ちゃんと見ておけ!」
 
(出た! 承認欲求! 働いているのをみてほしい! ほめてほしい! 自分に注目してほしい!)
(ホントにカンベンしてほしい)

 
暑い中、やってきてくれて、お疲れ様なのは、父ではなくOさんだ。
代わりに水を撒けと言われるならまだしも、横で立って見学しろだなんて、意味がわからない。
モタモタしていたら、父の目が三角につりあがり、さらに暴言を吐き始めたので、大急ぎで確認事項を終えて、Oさんは帰っていった。
 
(Oさーん。こんなに不機嫌な父と私を、2人にしないでーーーーー)


◆バケツリレーを命ぜられる
 
いつもなら、機嫌が悪くなりはじめるのは、もう少し遅い時間なのに…… と思いながら、「施設2」から持ち帰った荷物をあらため、「施設3」のお泊りの準備をする。
契約書などの関係書類を確認し、利用期間に必要な薬をチェックする。
 
同じ薬でも、朝と夜で飲ませる数が違うものがあり、必要な数を準備するのに、暗算や数式での計算ができず、表を書いて、指で数えないと間違える(笑)
 
認知症関係の薬に加えて、持病の高血圧と心臓肥大の薬もあるので、けっこうな種類と量だ。
錠剤も粉末も貼り薬もある。
暴君なのは困っているけれど、よほど機嫌が悪く、興奮している時以外は、薬を嫌がらずに飲んでくれること、まだ嚥下ができていることに、感謝している。
 
着替えの枚数を確認していると、庭から、父の呼び声。
すぐに行かないと、大声を出されるので、あわてて飛び出すけれど、すでにご立腹で、虫の居所が超悪い。理不尽ないいがかりをつけて、ねちねち絡んでくるパターン。
 
暴君に命じられたのは、庭木や盆栽に水をやること。
 
(さっき、ホースで撒いてたやん!)
 
すでに、さんざん撒いていて、庭木も地面もびしょぬれなのに、覚えていない様子。
濡れている枝葉や土を指差して、もう水まきは終わっていると伝えても、納得してくれず、しかも、バケツでやれという。
 
「は?」
「そこのバケツで、一つ一つに水をやれ」
「え?」
 
(そんなおかしなこと、できませんけど! 意味不明!)
 
と、父がはずした散水ノズルを付け直し、ホースで水を撒き始めたら、父は声を荒げて、バケツでやれという。
父の中では、どうしても、バケツで水をまくことが大事になっているよう。
仕方がないので、バケツで鉢に水をかけるのだけど、なかなか終了サインが出ない。
 
やってもやっても、まだだと言われる。
植木鉢の1つを指差し、まだ足りていないというのだ。
 
(完全なイジメモード)
(なんで、こんなことさせられているの?)

 
確かに、その木は、もっともっと、水分を欲していて、父にはそれがわかるのかもしれないけれど、どれだけ水をかけても、土がやせていて、水をキープできないので、全部流れてしまう。
永遠にバケツリレーをさせられてはたまらないので、たらいに水を張り、その中に植木鉢を入れたら、ようやく父のお赦しが出て、解放された。
 
疲れたのか、父も家の中に入ると言ってくれ、ちょうど、大相撲をやっていたので、テレビにお守をしてもらって、その間に、翌日の準備の続きをする。
 

◆寝ない! まったく寝ない!
 
そこからが、長かった。父との夜。
 
(寝ない!)
 
と、何度も叫ぶ。
薬が2つも増えているし、しかも自宅。父の布団に、父の枕。どれだけたっぷり寝てくれるだろうと、内心、楽しみにしていたのに、
 
(まったく寝ない!)
 
もちろん、自分からベッドに横になるので、1時間くらいは静かに寝ているようだけど、すぐに目を覚まし、トイレに行ったり、ごそごそしたり、何か食べたり……。
1時間半以上、静かにしていることがない。
 
しかも、父が起き出した気配を感じると、すぐに廊下に出るのだけど、そのときはもう、通ってきた道に、大なり小なり、水たまりが出現している。
しかも、私が気づかずにいると、「おい、あれはなんや?」と、とぼけた口調で、濡れている箇所を指さす。
 
(確信犯!?)
(腹たつーーー!)
(なんや? って、おしっこでしょ!)
(わかっているなら、自分でふいてよ!)
(おむつパンツをはいているのに、なんで漏れるの?)

 
せっかく、臭いが消えたのに。また、おしっこ臭くなる……(涙)
 
いや、おしっこともちがう。なんと、名付けたらいいのだろう? 
父の体臭だけでもなく、排泄物の臭いだけでもなく、薬の臭いや、おむつの臭いや、老人臭のようなものや、消毒薬の臭いや、しめったような、こもったような、少しずつ蓄積され、化学変化を起こしたような、何と特定できない、でも漂ってくる匂い。
 
(「介護臭?」とでも言えばいいのだろうか)
(シーツを洗い、布団を干し、掃除し、換気し、しつこく消毒し、床をふき、ようやく消えてきたと思ったのに)

 
その匂いが、再び漂いはじめることが嫌で、夜中でも、明け方でも、何度も床をふく。
今日だけだと思うからやれる。
翌日の9時30分には、「施設3」から迎えが来るから。
 
いったいいつから、父は、トイレ以外でもらしてしまうようになったのだろう。
トイレに行こうと動いたときには、もう出てしまっているような感じがする。
最初は、トイレまわりに盛大にこぼしているだけだったのに。
 
アマゾンの購入履歴を見ると、初めておむつパンツを購入したのが、2024年3月9日。
どれだけ衣類をぬらしても、かなりの期間、パンツ型おむつをつけてくれなかったので、おそらく年明けごろから、失敗が始まり、1~2月ごろは、かなり増えていたのではないか? いや、もっと前からだっただろうか?
 
出勤する直前まで、洗濯機をまわしていたし、どうしても着替えがなくなった時は、時間休暇をもらって、干してから出勤したし、デイサービスの車に乗る瞬間にもらしてしまった時は、職員さんの配慮で、新聞紙を重ねて、父を車に乗せてくださり、施設で着替えをしてくださったこともあった。

◆両輪を持つこと
 
介護と仕事の両立は、たいへんだけど、実は「マスト」だ。
認知症の父の、全くわけのわからない言動や、理不尽すぎるふるまいで、身体と感情のエネルギーを使ったら、それを「補うもの」が絶対に必要。
 
職場では、家とは真逆の領域が活性化する。
認知症や介護とは関わりのない世界で、仕事の話や、なんということのない話をすることだけで、癒される。
 
育児もそうだ。
どんなに育児で悩むことがあっても、職場に行けば、そこから離れることができたし、仕事でどんなに悩むことがあっても、家に帰れば、職場のことは消え去る。
その切り替えができたから、メンタルを壊さずにやってこられたのだと思う。
 
(これからはどうなのか?)
 
介護が始まってからのことをふりかえると、これまでの父は、自分の家で過ごすことが大切だったし、そうあるべき何かがあったと思う。だから、1人で生活ができなくなった父に、娘の私が一緒にいる必要があった。
 
(夫と子どもと離れて、実家に単身赴任するしかなかったのか?)
 
ということは、もう、そうしてしまったのだから、いまさら考えても(後悔しても)しかたがない。
でも、これからのことは、決めることができる。
私は、このように思っている。
 
(父は、もう、どこにいても同じ。父の家でも。施設でも)
(家だから、ぐっすり眠れるということはない)
(家の中にあるものに、特に思い入れがあるわけではない)
(父は、庭が大好きだけど、もう剪定もできないし、雑草も抜けない。水やりもできない)
(家族だから、誰よりも親身に、適切な介護ができる、というわけはない)

◆決めているのは
 
さらに私は、今、
 
(またしても、父のタイミングを奪ってしまったのではないか?)
 
と感じている。
 
1度目は、2022年8月12日。
コロナ陽性が出た後、自宅に戻ってきた父は、その後、意識不明になり、救急搬送された。
あのとき、私が気づくのが少し遅かったら。救急車が来るのが遅れたら。受け入れる病院が見つからなかったら。
父の命はそこで終わっていたかもしれず、そうしたら、父は、自分の思い通りに身体が動かなくなることも、歩けなくなることも、トイレに失敗する悔しさや情けなさも、味あわずにすんでいた。
 
2度目は、転倒し、一気に運動機能が衰え、身体ばかりか、表情も動かなくなり、黙ってぼーっとしている状態が増えていたとき。
もしかすると、あのまま、すべてが静かに、おだやかに閉じていったかもしれない。
 
ところが、パーキンソン症状かもしれないと思い当たり、薬を処方してもらうとともに、ショートステイを利用しはじめたら、身体の動きがよくなり、表情も戻り、それにとどまらず、施設の女性職員に不適切な発言と行為をするようになり、攻撃的な性格が再燃し、エスカレートして暴力行為が見られるようになる。
 
(薬で活性化しておいて、問題行動が出ると、薬で鎮静化しようとしている)
 
しかも、父自身の意思ではない。
その結果、父自身にも、その尊厳に関わるひどい思いをさせている。
 
(どうすればよかったのだろう?)
 
と思うけれど、どのように生きるか、どのように死ぬかは、ちゃんと本人が決めている。
デイサービスとショートステイのバランスも。どこでどのように過ごすのかも。
父自身が。
 
***
 
ところで、「ショートステイ」と「施設入所」は、「賃貸住宅」と「分譲住宅」のようだと想像している。
同じように連泊するなら、「施設入所」のほうが、各段に居心地がよいと思う。
入れるのなら、すぐにでも入所させたいけれど、特別養護老人ホームは待っている人の数が多く、有料老人ホームも、父の状態によっては、断られることもあるとわかり、攻撃性と暴力行為がみられる父では入所が難しいとわかった。
ショートステイジプシーをしながら、父がおだやかにいられる環境がみつかることを願う。
いまだって、父がいない夜をすごしているというだけで、ものすごい贈り物なのだ。


◆〈がんばるのは今じゃない〉
 
〈がんばるのは今じゃない〉
 
父と母の介護をすることになったときから、ずっと心に灯している言葉だ。
 
最初に、父がお世話になることになったデイケア施設の相談員さんが、そう言ってくれた。
当時のブログに綴ってあるので、ナマの言葉を転載すると、
 
「がんばるのは今じゃない。これから、もっともっと大変になるの。お父さん、身体がお元気だから。先は長いよ。10年! もっとかも」
 
というもの。
このときは、10年先に父と自分がどうなっているかなんて、想像もできなかった。
今、そのときから、8年ほど経っていることに驚く。
 
この言葉があったから、母の看護と父の介護ができた。
 
「がんばるのは今じゃない、もっともっと大変になる」と思い、「もっともっと大変なとき」に備えて、余力を残しながら事に当たっていると、いつのまにか、大きな山を越えている。
 
そんな魔法の言葉だ。
 
どんなピンチでも、灯りをともしてくれる人に出逢ってきたことが、私の自慢だし、誇りだ。
感謝とともに、大きな守りの中にいる。


浜田えみな
 
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