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513.【介活】ショートステイ利用停止~捨てる神あれば拾う神あり~・アシナガバチ駆除

(初めて父に会ったばかりの人に言われたくない)

そう思った。傷つく。同じことを言われても、むかつく。
それでも、お願いしなければならない。

***

(父に会って、まだ3日目の人に言われたくない)

***

「施設3」の担当者は、ものすごく、やさしくて、明るくて、頼もしい女性で、そばにいて、声を聴いているだけで、こちらの心もぽかぽかしてくる。

(この施設に、ぜんぶおまかせしたい!!)

とすがりつきたくなる。

思うようにことが運ばず、余裕がなくなったとき、私自身は、「施設2」の担当者みたいになってしまいがちだと、自分で思う。

だから、反省。
「施設3」の担当者や、ケアマネージャーのOさんのように、私もいようと思う

にこにこ、ぽかぽか。ふんわり。ゆったり。

(本文より)

◆ふりかえり
◆「施設2」の体験入所条件
◆あなたに言われたくない
◆まったく寝ない
◆父をクリニックへ
◆アシナガバチ
◆捨てる神あれば拾う神あり

*************

◆ふりかえり
  
レビー小体型認知症によるパーキンソン症状の出現なのか、筋力低下によるものなのか、5月上旬の庭先での転倒をきっかけに、急速に自力歩行ができなくなった父。
認知症も進み、排せつの失敗も増え、自宅でもどこにいるのかわからなくなったり、座り込んだ父を、私ひとりでは起こせないことが幾度かあり……(夫に電話して来てもらったり、タイミングよくやってきたデイサービスの送迎の人に手伝ってもらったり)、1人で介護することの限界を感じるようになる。

段差だらけで、手すりも充分でなく、トイレの往復にも苦労し、転倒の危険が多い自宅で、介助の知識が乏しい私が世話をするよりも、バリアフリーが行き届いた施設で、介護のプロに世話をしてもらうほうが、父にとって安全だと思うようになる。

不思議なのだけど、〈もう無理だ〉と思った、ある決定的な瞬間があって、その時を境に、自宅介護から施設入所に向けて、父と私をとりまく世界がシフトしたように思う。

まず、住宅改修の手すりの工事のために、ずっと無理だとあきらめていたショートステイにチャレンジしたところ、ケアマネージャーのOさんも私も、おそらく夕方に帰ってくると思っていたのに、嘘みたいにすんなり泊ることができ、2泊3日の予定が1週間になり、ベッドに空きが出たため、3週間も預かってもらうことができた。

その間に、市役所に行ったり、自立支援助成制度を利用するための施設に見学に行ったり、手すり工事を施行してもらったり、片づけをしたり、ケアマネージャーのOさんと打ち合わせをしたりしながら、もしかして、このまま、施設入所への展望も図れるかも…… と思っていた矢先に、勃発した父の【問題行動】

最初に出現したのは、女性の職員に対する不適切な発言と、手を握るなどの行為。
それがエスカレートして、ついに、夜間のトイレ介助でベッドまで連れてきてもらった職員の手を放さず、そのまま、ベッドに引っ張りこもうとした……と聞かされ、絶句。
病気の症状だとしても、許されないし、恥ずかしいし、情けないし、猛烈な嫌悪感と怒りが湧いてくる。

(何か対処できることはないのだろうか)
(特定の女性だけに行っているのか、そうではないのか)
(毎日でないなら、昼間の出来事と因果関係があるのかどうか)

父は9歳ごろに母親を亡くしている。
そのためか、承認欲求が強く、おそらく愛着障害もあるのではないかと感じている。
施設での生活の中で、簡単なことをほめてもらったり、お手伝いなどをさせてもらって、人の役に立っているという充足感を感じさせてもらえれば、改善するのではないかと、Oさんに伝え、施設にも連携してもらう。

しかしながら、このときは、気持ちが落ち着いてくると、認知症状や運動機能の低下が進み、認知症の「後期」に入っていると思われる父が、少しでも楽しい気持ちになっているなら、それはよかったのかもしれないと思えたりした。

職員さんには、ご迷惑をかけているけれど、身体の自由が利かなくなり、何もわからなくなるまで、そんなに長い時間ではないなら、なんとかしのげないだろうかと、思ったりしていた。

ところが、父の問題行動は、女性に対する不適切な行為・行動にとどまらず、「暴言・暴力行為」が出てくるようになる。
さらに、夜、寝ないで動き回ることが増え、夜勤の職員さんの仮眠がとれないという。

そして、ついに、職員さんだけでなく、利用者さんと口論したり、別の利用者さんの車椅子を蹴ったりしていることがわかり、何かあってからでは遅いということで、現在の状況では、利用の継続ができないと言われた。

それで、8月いっぱいまでは、なんとか週4日の利用ができるはずだった「施設1」が、いきなり利用停止になった。(7月18日(木))


◆「施設2」の体験入所条件

(えーーーーーーーーっ)

そんなことを急に言われても! その週末は、すでに動かせない予定が入っていて、

(父が帰ってくることは、絶対に無理―――!!)

と、Oさんに泣きつく。
Oさんも、「8月いっぱいは預かるって言ってくれたのに、ひどい」と、心から憤慨してくれる。

しかし、冷静になってみると、利用者さんへの口論や威嚇は、事故につながり、父が相手に怪我をさせた時のことを想像すると、その前に危険を回避してくれた施設には、逆に感謝しかないのではないか? と思う気持ちが出てくる。

事故が起こり、相手に怪我をさせてしまってから、こんなことなら、自宅でみていたほうがよかったと、いくら思っても取り返しがつかないのだ。

このような事態は思ってもみなかったので、父は個人賠償責任保険に加入していない。
認知症でも、適用されるのだろうか? と思って、調べたところ、「認知症高齢者個人賠償責任保険事業」を行っている「市」が幾つか上がってきた。そんな公的制度があるのだと驚き、父が住んでいる市を調べたけれど、該当がなかった。

起こらないほうがいいが、起こる可能性も皆無ではなく、施設利用を停止されることが、事故を回避してくれる救いの手という場合もあるのだと気がつく。

気がついたけど、この週末は、父を引き取ることができない。
「センシティブ問題」は対応可と太鼓判を押してくれ、7月下旬に体験利用をする予定の「施設3」に問い合わせてもらう。ところが、週末は満室とのこと。

(がーーーーーーーーん)

そこで、やむなく「センシティブ問題」で難色を示された「施設2」に、無理を言って頼み込んでもらい、7月20日(土)から「体験入所」という「名目」で預かってもらえることに。

ところが、現在の父は、女性に対する不適切な発言・行為のほかに、「施設1」が利用停止となるほどの攻撃性・暴言・暴力行為と、夜間徘徊が加わっている。

そのため、「施設2」から、「利用する条件として、認知症の主治医に現状を伝えて、症状を緩和する薬をもらってほしい。ダメなら仕方がないが」と言われる。

主治医のところには、7月22日(月)に診療の予約をしていて、この日に薬の調整をする予定だっけれど、それでは、20日(土)からの利用に間に合わない。
クリニックに電話をして、事情を切々と伝えたところ、「相談枠」を取ってくださり、すきま時間に入れてもらえることになる。それが、19日(金)

主治医と話すのは、5月下旬に「ドパコール」を処方してもらって以来なので、ショートステイ利用を始めてからの問題行動について、切々と訴える。

日中は穏やかに過ごしているが、夕方から表情が変わり、攻撃的になること、怒りの沸点が低く、すぐに威嚇したり、殴ったり、蹴ったりすること。
職員だけでなく、利用者さんにも手を出したため、1つ目の施設を利用停止になったこと。
次の施設を利用するにあたり、抑える薬をもらってほしいと言われたこと。
ドパコールの処方により、身体の動きは、改善したように思えること。

その結果、朝夕2回、服用していたドパコールを朝のみにし、夜は鎮静するよう、クエチアピン12.5mgの1/2を服用することとなった。

薬がもらえたので、19日(金)に「施設2」と契約を締結する。
父の面接も兼ねているため、デイサービスから帰宅した父が在宅している夕方に、「施設2」の担当者とOさんがやってきたのだけど、夕方以降は、父のデビル化ゾーンが始まっている。

自分の家に、見知らぬ人がやってきて、自分をのけものにして、書類を前に話をしているのは、おもしろくないのだろう。
突然、3人で話をしている部屋に入ってきて、どこでそんな言い回しを覚えたのかと驚くような、ドラマで安っぽいチンピラが威嚇しているような言葉が、あふれ出てくるのだけど、まったく辻褄があっていない。

(かんべんしてほしい)

さすがに、このことで、明日から預かれないとは言われなかったけれど、いい印象を持たれなかったことは間違いない。

夜、契約書の必要事項を書きながら、

(父が【問題行動】を起こさなければ、やらなくてもすむことなのに)

と、思ってもしかたがないことを、何度も思う。

前日の18日(木)にも「施設3」と契約しているので、連日、契約関係書類を記入しているのだ。
しかも、「契約書」「重要事項説明書」については、業者用と利用者用の2通作成する。

父の住所・氏名。代筆者(私)の住所・氏名・続柄(めんどうくさい!)
主治医の名前・病院名・住所・電話番号(めんどうくさい!)
緊急連絡先(私と夫)の住所・氏名・電話番号(めんどうくさい!)

(同じことを、何回も、何回も!)

そのほか、「個人情報の使用に係る同意書」「口座振替依頼書」
持ち込み荷物の一覧(着替えの種類・枚数等)などなど。

ずっと事務の仕事をしてきた私でさえ、こんなにめんどうくさいと感じるのだから、老々介護などで高齢者が、このような書類を書くのは、かなり大変なことだと感じる。

しかも、施設によって、持ち物や持ち込みのルールが微妙にちがう。
個室と大部屋でも違う。
お泊りセットを用意するのが、手間! 手間! 手間!
しかし、預かってもらえることのありがたさ。


◆あなたに言われたくない

ということで、当初より父のことをあまり好ましく思っていない「施設2」の担当者が、翌朝、父を迎えにやってきた。

父は、朝9時30分の迎えなのに、7時30分から庭の椅子に座ってスタンバイしている。
出かけることはわかっているので、おとなしく、庭木を眺めている。
朝から気温が上がっているのに、中に入ってくれない。日陰にいても、だんだん暑くなってくるので、涼しい部屋で待っていてほしいのだけど、聞き入れてくれない。
エアコンも嫌がり、リモコンを隠しても、プラグを抜いて止めてしまうので、自宅では熱中症の危険が高まり、その点からも、施設ですごしてもらうほうが安全だと感じている。

日中の父は、誰に対しても低姿勢。
前日に怒鳴り散らしたことは覚えていないので、ニコニコしながら、迎えに来てくれたことに対する御礼を何度も言っている。

「このような状態であれば、いくらでも利用してもらっていいんですけどね。昨日みたいな状況がエスカレートすると、こちらとしてもね。施設入所を考えているなら、先に薬で調整してからでないと、どこの施設も難しいと思います」

この「薬の調整」とは、おそらく、「措置入院」「医療保護入院」での治療のことだと思われる。
脳の機能が損なわれていて、自分を傷つけたり、他人に危害を加えようとするおそれがあると判断された場合に、入院して、危険な行動が収まり、生活に支障が出ない、効果的かつ安全な薬の量を調整する医療制度があるのだ。

私自身も、豹変した父の状態は知っているし、認知症かもしれないと思い始めたきっかけは、警察に通報したいと思うほどの暴言・暴力行為だったし、精神病院に入院させられないのかと思ったことが何度もあるし、デイサービスでも、手をつけられないほどの不穏になったことがあるので、Oさんからも、幾度も提案を受けている。主治医にも、そうなった場合の手続きを確認している。
だけど、Oさんも、主治医も、父を8年近く見守ってくれている。

(初めて父に会ったばかりの人に言われたくない)

そう思った。傷つく。同じことを言われても、むかつく。
それでも、お願いしなければならない。

「自宅でなんとかします」と言って、決まっていた週末の予定をキャンセルして、私が父をみることをしてしまったら、あの決定的な瞬間によってシフトした、自宅介護から施設入所への道が、元に戻ってしまう気がした。

(私が人生を共にするのは、父ではなく、いま、離れて暮らしている夫と子どもたちだ)

担当者からは、状況によっては、父を預かれなくなり、自宅へ送る場合もあると、何度も念押しをされ、相当にブルーな気持ちで送り出す。

実際に父を介護してくれるのは、担当者ではなく、現場のスタッフなので、このかたから受ける気持ちが、施設を反映しているわけではないのだけど、ボコボコにへこむ。

前回、女性職員に対する【問題行動】「センシティブ」だと言われた理由の一つに、ミャンマー人の若い女性スタッフが何人かいて、その子たちが、すぐに泣いてしまうのだと聞かされた。
母国ではない国で一生懸命頑張っているのに、わけのわからない老人から、怖い顔で、よくわからない言葉を投げかけられらり、いきなり手を握られたりしたら、怖いに決まっている。
父だって、とっさにミャンマーの言葉で何か言われたり、過剰に反応されても、意味がわからないし、うろたえて、ますます意固地になるだろう。

大阪のおばちゃん気質なら、うまくとりなして流してもらえる対応が、「できない」という状況は、よくわかった。
でも、逆に、父と波長があえばよいと思うし、何が功を奏するかわからない。
おだやかで、楽しい時間をすごしてくれることを願う。


◆まったく寝ない

ドキドキしながら、時計と電話をにらんでいたけれど、戻されることなく週末が過ぎ、22日(月)の朝、施設に電話をかけて、様子を尋ねたところ、

「お父さんは、夜、まったく寝ない」

とのこと。
それでは、昼寝をしているのかというと、昼はみんなとフロアにいるので、寝ていないという。

(48時間起き続けるなどということができるの!?)
(大げさではないの?)

そもそも、高齢なので、子どものようにぐっすり何時間も続けて眠るということはなく、自宅でも、1時間半から2時間おきに目を覚まして、トイレに行ったり、ベッドに座って、ぼーっとしたり、夜中に探し物を始めたり、テレビをつけたり…… ということを繰り返しているので、5時間とか6時間とか続けて寝るということはないと思うけれど、一睡もしていない、昼も寝ていないと言われると、何か興奮して、眠れなくなる要因……施設そのものの「氣」が、もはや父に合わないのではないかと感じてしまう。

夕刻のドパコールの服用をやめて、クエチアピンに変更したばかりなので、何か反応が起きているのだろうか。それにしても、まったく効かないとは。

「ぜんぜん、効いていませんよ」

とピシャリと言われ、暴力行為についても見られることを告げられる。

「施設2」は、大部屋ではなく、個人部屋で、たくさんドアがあり、それらはすべてオープンになっているため、父は、誰かの部屋だという認識はなく、ふらりと入ってしまったらしい。
それに気がついた職員が、父のそばに来て、廊下に誘導しようとしたところ、声を荒げ、手が出たとのこと。

それから、夜間にベッドからおりてうろうろするとき、歩行器を使わず、伝い歩きで出ていくため、非常に危ないこと。
父がベッドを降りると、スタッフにはわかるので、駆けつけるようにしているが、別の利用者の排泄介助などの対応をしていると、すぐには向かえないので、そばにいられない時間があることを了承してほしいと言われる。

もちろん、そのことで父が転倒したとしても、施設に賠償責任を求める気はない。

要するに、朝まで眠っていられる薬を処方してもらってくれと言っているのだと思う。
もっと具体的に、そんなことを言ってもいいのかと、耳を疑うようなことも言われた(私個人の見解だけど)。

(充分理解している)

私だって、夜の頻尿で、5~10分おきにトイレに行く父の足音が近づいてくると、呪いたくなる衝動があるし、父が起きて、ゴソゴソしている気配を感じると、様子を見に行くのもイヤだし、父自身も動きにくい身体でトイレに向かい、そのたびに服をぬらすのは負担だろうし、睡眠がとれないと脳にもよくないし、薬で朝までぐっすり眠ったほうがいいのではないか? と思っている。

でも、

(父に会って、まだ3日目の人に言われたくない)

と思いながらも、午後からの診療で主治医に伝え、薬を調整してもらうと、担当者に伝える。


◆父をクリニックへ

認知症のクリニックは、バスまたはタクシーで30分ほどのところにあり、ずっとタクシーで通院していたが、コロナ禍のときに電話診療が可能になったので、そのあいだは、同じ薬を飲み続けていた。状況も大きな変化はなかった。

令和5年5月から、電話診療の制度がなくなったので、やむなく連れていったけれど、大変だった。その後は、症状が大きく変わらなかったので、私一人でクリニックに赴き、父の状況を伝えて、薬を処方してもらっている。

父は今、数メートル以上の距離を移動するときは、手引きで介助しても、転倒しやすいので、車椅子か歩行器を使っている。

今回の通院は、「施設2」からクリニックに行き、診療後、「施設2」に戻るため、介護タクシーまたはタクシーの手配(予約)が難しかったので、夫に仕事を休んでもらって、応援を頼んだ。

「施設2」に到着し、来意を告げると、スタッフのかたに連れられて父が玄関ホールにやってきた。

「おお、えみなか」と、すぐに認識してくれたので、逆に驚く。
夫のこともわかっていて、ちゃんと名前を呼んでいる。

朝から、スタッフのかたに言われていたのか、病院に行くことも理解していて、おとなしく車に乗ってくれる。
日中は、本当におだやかなのだ。

クリニックでの待ち時間も、声を荒げることなく座っていてくれ、持参したジュースやおやつを取り出す必要もなかった(まるで子どもの通院)。

主治医に、クエチアピンがまったく効かず、2日間、一睡もしていないと言われたこと、攻撃的な態度や暴力行為もみられるため、このままだと施設が利用できなくなると言われたことを伝え、薬を調整してもらう。

クエチアピンを半量から倍にして、新たに就寝前に「エスゾビクロン錠1mg」を追加。
これで様子を見て、改善しない場合は、さらに調整するとのことで、2週間後に診療予約をする。

車に乗ると、父は、ごはんを食べに行こうという。
おやつの時間の前に出たので、おなかがすいているのかも。
どこかで何かを食べることもアリだったのだと思いながら、父の機嫌がよいうちにと、施設へと向かう。

施設に到着し、看護師さんに薬の説明をして、新しく処方してもらった薬を2日分ことづける。
父は、おなかがすいたのか、ロビーの椅子に座らせても、ごはんを食べに行こうと、そのことばかり言っている。

おやつを食べさせてもよいかと尋ねると、もうすぐ夕食だから大丈夫と言われ、かわいそうだけど、そのままに。

ショートステイのスタッフのかたが迎えに来てくれると、ふりかえらずに廊下の向こうに行ってしまった。
明後日には帰宅する。

娘が不在のため、帰りに、夫と道路沿いの店でお蕎麦を食べた。
スーパーに寄って、食材とケーキを買って、父の家でお茶。

お疲れ様―――。

◆アシナガバチ

翌朝は、一般ゴミの日。
父の使用済みリハビリバンツを入れているゴミ箱が、あまりにも臭いので、洗って消毒しようと庭に出て、最初の水を流したところ、しぶきが散り、その瞬間、いっせいにが飛び上がった。

(ええーーーっ!!)

びっくりして、蜂の行方を捜すと、水がかかった盆栽の松の枝の中に、びっしり固まっている。

(のどが渇いて、水を飲みに集まってきたのだろうか?)

などとのんきに思って眺めていたら、蜂がかたまっているのは、松の枝ではなく、「巣」だとわかった。

(蜂の巣!)

これは困ったと思い、何バチだろう? と検索したところ、よくわからない。
蓮の花たくを逆さにしたような巣の形で検索すると、アシナガバチだとわかった。
いったいいつから巣ができていたのか、まったく気がつかなかった。

たしかに、蜂は、ぶんぶん飛んでいたけれど、庭に金柑の木があり、受粉のために蜂がきていたし、ほかにもいろんな花が咲いていたので、そのために集まっているのだと思っていた。

まさか、巣があったとは。

盆栽の枝にできているので、上から袋をかけて、殺虫剤を噴射すれば、駆除できるような気もするけれど、刺されたら怖いし、何より、父が盆栽をいじりだして、蜂に刺されたら大変なので、業者に連絡をする。

蜂の巣をみつけた日は、外出予定があるため、翌日朝いちばんに来てもらうことに。

泣きっ面に蜂という言葉がある。
泣いてないけど。ここにきて、「蜂問題」

(なんなんだ。まったく)

私の時間が、どんどん消えていく。

※後日談

蜂の巣の撤去費用が「涙」だった。

(ばか高い!)

ほかの業者も同時に呼んで、一斉に見積もりを出させて、安いところに決定するなどすればよかったのかもしれないが、父が帰宅する前に駆除しないといけないので、しかたがない。
高いと言えば高いけど、刺されることを思えば、安いかも。

しかしながら、作業員さんは、防護服もなく、手袋だけで、巣の上から殺虫剤を噴射し、アシナガバチを瞬殺

(私でもできたか!?)

殺虫剤の強力さが、おそらく市販薬とは全然違うのだと思う。

巣に戻っていないアシナガバチもいることから、再び、周辺に巣作りをする可能性もあるため、防止剤を塗布するかと聞かれ、㎡あたり5000円と言われたので、さらなる増額は困ると思い、断る。

盆栽の枝から、巣を撤去してもらった。


思ったより大きかった。見えていなかった部分に、幼虫がたくさんいて、これから、さらに巣が大きくなることが伺えて、除去してもらえてよかったと、安堵する。

しゃがんで、地面をみていると、なにやら見慣れないものが。
幼虫のようなものが、わんさかいるのだ。


「これ、幼虫ですか?」

巣が下向きになっているため、重力で下に落ちてしまう幼虫もいて、それらは、陰にひそんでいるそうだけど、餌をもらえないため、死んでしまうという。
殺虫剤を噴射されたので、下に落ちて、まだ生きている幼虫が、ごそごそ出てきたということらしい。

すべて、ひろって、持って帰ってもらう。下に落ちた幼虫の数も10数匹いた。

(怖い)

そして、大きなゴキブリが出てくるのが見えた。
父が手入れできなくなり、放ったらかしになっている庭は、もはや魑魅魍魎の棲みか。
蜂にゴキブリ、ダンゴ虫、ボウフラ、その他もろもろ。

倒れそうになる。
家の中も何から手をつけていいかわからないくらいなのに、庭までもカオス

(家主と家の状態は、連動しているのかもしれない)

できることから少しずつ。
早朝より駆けつけてくれてありがとうございます。

お金を払って、さようならを言ったとき、巣がなくなった盆栽のまわりに、蜂が数匹飛んでいた。
「戻り蜂」といって、巣を撤去したときに、いなかった蜂が戻ってきているのだという。

とりあえず、今、目の前を飛んでいる蜂は、殺虫剤で殺してもらったけれど、キリがないと言われる。2~3日は、戻ってくるというのだ。
戻ってきて、巣がないので、また、作り始める場合があるという。

そこで、最初に提案され、一度断った防止剤の塗布が、再浮上

(お願いするか、しないか)

盆栽のまわりに防止剤を塗布したとしても、塗布されていない場所に巣を作られる可能性があり、それだと、庭じゅうに塗布しなければいけなくなる。

だいたいどのくらいの価格になるのか尋ねたところ、数万円を超えることがわかったので、やはり断る。

戻り蜂の危険を回避するため、盆栽を別の場所に移すというと、1~2日は、そのままにしておくほうがいいというので、動かさないことにした。

ところが、業者が帰ったあと、戻ってくる蜂が、けっこう多いので驚く。
父がいつも座っている椅子の前なので、父が異常な行動をして、刺されたら危ないと思い、蜂がいなくなるのを待って、重たい盆栽を目の届かない、ガレージのすみに移す。

(誰か、私をほめて)

◆捨てる神あれば拾う神あり

25日(木)からは、「施設3」の体験入所が始まる。提出書類で不明だった点を担当者に連絡して、確認する。
現在の状況も伝える。

「施設2」に言われて、19日(金)に、夕刻に飲ませる薬を出してもらったが、まったく効かず、父が眠らないと言われたので、22日(月)から、さらに薬の調整をしていること。
その結果どのような状況になったかは、24日(水)の帰宅時に確認すること。

「施設3」の担当者は、ものすごく、やさしくて、明るくて、頼もしい女性で、そばにいて、声を聴いているだけで、こちらの心もぽかぽかしてくる。

「クエチアピン、出してもらえたの? すごいね。薬を飲んだからって、すぐには効かないよ。夜の薬も出してもらったのね。薬が効いて落ち着くまでは、1~2週間かかるから。施設が変わったら、寝られなくなるのはあたりまえだよね。うちで様子をみるから大丈夫」

と、言ってもらえた。
「施設2」の担当者と、ぜんぜんちがう。

(この施設に、ぜんぶおまかせしたい!!)

とすがりつきたくなる。

思うようにことが運ばず、余裕がなくなったとき、私自身は、「施設2」の担当者みたいになってしまいがちだと、自分で思う。

だから、反省。
「施設3」の担当者や、ケアマネージャーのOさんのように、私もいようと思う

にこにこ、ぽかぽか。ふんわり。ゆったり。

浜田えみな

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