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339.みなえみ日和2 ~「つぼみ」と「露」~

名前を知ることで、創り手が吹き込んだいのちが目覚め、その想いが届く。
 
(人は、大切なものに名前を付ける)
(名前には、使命が宿る)
 
(本文より)
 
*********
 
◆つぼみ
 
いただいた老舗のそばぼうろの包をあけると、目にとんできた二つのかたち。
花のかたちと、丸のかたち。

そばぼうろは、どこのメーカーのものも、花びらが5枚で、花芯の部分が丸く抜かれているものだけど、丸いかたちが入っているものは見かけない。
まんなかの穴を抜いたときの生地を焼いたのだろうと思ったが、それにしては、サイズが大きい。


(わざわざ、このかたちに焼いて、一緒に入れている理由はなんだろう?)
 
気になったので、お店のHPをひらくと、目にとびこんできた商品の名前。
丸だけが入ったパッケージは「つぼみ」、花だけが入ったパッケージは「梅」と記されていた。
 
その瞬間、梅の木に混在する咲き始めた花と、ふくらんだ蕾が思い浮かび、梅の花の香がたちのぼるのを感じる。


「つぼみ」という名前を知ることで、創り手が吹き込んだいのちが目覚め、その想いが届く。
 
◆露
 
その体感に、興味がむくむく湧いて、歴史などを調べているうち、そばぼうろには、よく似ているが異なる老舗が存在することがわかり、商品名も違っていることを知る。
 
私がいただいたのは、「総本家河道屋」の「蕎麦ぼうる」で、もう一つは、「丸太町かわみち屋」の「蕎麦ぼうろ」。
 
「丸太町かわみち屋」では、丸だけのパッケージは、「そばの露」と名付けられていた。
 
(露!)
 
その瞬間、頭の中には、梅の花に朝露がしたたる静謐なたたずまいと、清らかな香がたちのぼる。
 
小皿にのせた花と丸のかたち。

「つぼみ」と感じるのと、「露」と感じるのでは、その世界観が違う。
どちらも違って、どちらも素敵なことに、感銘を覚える。
 
(かたちに名前をつけると、創り手の想いが吹き込まれ、いのちが生れる)
(人は、大切なものに名前を付ける)
(名前には、使命が宿る)
 
そのことをあらためて、感じている。
 
◆かたちで遊ぶ
 
調べているなかで、丸太町かわみち屋がラジオで流していたコマーシャルソングについて書かれたブログに出逢った。
 
「指に通したそばぼうろ 上から食べましょ……」という歌詞を読んだとき、指にその感覚が蘇ってきた。
 
(たしかに、指に通して妹と食べた!)
 
なつかしくて、指を入れてみる。
ひとさし指は、もう、そばぼうろの穴には入らないけれど、小指なら入る。
そばぼうろを通した小指を、ゆらしてみる。
 
そのなつかしい感覚に、子どものころ住んでいた家の記憶がよみがえり、蕎麦ぼうろのクリーム色の缶があったことも、母が何かを入れて使っていたことも思い出す。
 
そのころは、丸い形の趣などわからず、名前も気にとめず、入っていたことも覚えていないけれど。
浮かぶのは、笑顔。

◆スクリーン
 
幼い妹の笑顔だと思ったものが、いつのまにか長男や長女の笑顔に。
両親の笑顔だと思ったものが、いつのまにか夫と私の笑顔に。
 
永くかたちを変えないものに宿る、たくさんの思い出。
かたちは、なつかしいフィルムを映す、スクリーンのようだ。

浜田えみな
 
「みなえみ日和」は、3と7のつく日に、おもてなしの心で連載します。スキップあり(^^)

これまでのおもてなし。


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