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たった一人のファンがいればいい


今日は叔母の勤める老人ホームの
敬老会にて日舞を踊ってきました。


辞める辞める詐欺を続けてる日舞ですが
地元のお祭りとかこういうイベントとかで
踊って欲しいと頼まれることも多々あり


求められたら断れない私の性と
やっぱり踊ること自体は好きだなぁ
と思う気持ちとでまだ辞めてません。


人の期待には120%の力で応えたい!
というのを少しずつ辞めていったら



大きなプレッシャーからも解放され
純粋に楽しめるようになってきつつ
あるような気がします。


趣味のレベルでも全力出し切るぜ!
というストイックなタイプなため



仕事なんかはますます力んでしまい
リラクゼーションを提供してるのに
こっちがリラックスしてない状況
というのが長年の悩みでした。


やるからには限界突破だ!
という自己成長大好き人間だからこそ
体力もメンタルもジェットコースター
のような振れ幅なのだと思います。


日本舞踊もそうですが
上手い人よりも楽しんでる人の方が
お客さんの食いつきがいいんですよね。


型が綺麗なのは大事だけど
きちんとやるだけの踊りって
何かが欠けてる感じもするんです。


踊りの仲間に女形をする60代の
農家の男性がいるのですが


練習とかマジで全然しないけど
年間で舞台に立つ回数が誰よりも多く
誰よりも自分が楽しそうにやってて
お客さんもそれを見て楽しんでて


上手いとか下手とか関係なく
ただただ舞台に出たいという一点で
自分が一番楽しんでるように見えます。


その方に巻き込まれて
私も辞められないのもありますが



上手く踊れないから人前には出たくない!
という私にとっては見習うべき相手というか
私に足りないエッセンスだなと思います。


練習なんかしてなくても
上手く踊れなくても


出たいから出る!楽しいからやる!
その一点なんですよね。


私は人前で恥をかきたくないから
上手くできないなら出たくないし



人の記憶に残らない踊りなんて
踊ってても意味がないんだ!!!


みたいに思い込み過ぎてて
こんなお遊びみたいな趣味なら
辞めちまえ!!!という発想に
なりがちだった気がします。


でも本当は着物も踊りも好き…
なのかもしれないなんて。


私が好きなら
それでいいのかもしれない。


完璧にこだわり過ぎて
シンプルなものが見えてなかった
ような気がします。


そして


1人でもファンがいるのであれば
その方に向けて私は続けてみようかと
少し思えるようになりました。


踊りもだし、仕事もですね。


たった1人の人が喜んでくれたら
それだけでもいいじゃないか。


たとえ喜んでいるのが
自分1人だったとしても


それはそれで
素敵じゃないかと思います。


最後までお読みいただき、ありがとうございます♡