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【帰りの電車で展覧会寸評!】♯10 東京都美術館「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展ウィーンが生んだ若き天才」

行った方がいい。 けど、「シーレのすべて」は期待するな

今回はめずらしく、西洋美術をお届け。というのも私、ミーハーでして、クリムトやシーレといったウィーン分離派が大好きなのです。
今回の「シーレ展」も期待していましたが、残念さが拭えない結果となりました。

この「シーレ展」は、ざっくりいうとレオポルド美術館の所蔵品展。「シーレ展」ではなく、「レオポルド美術館展」と言うべきものです。こうした、絵画の美術館のコレクションをまとまって見られる機会は、現地に行くなどしない限りそうそうありませんし、そうした意味で損はない展覧会です。シーレの名品が複数見られることも確かです。が、勝手に期待しすぎたでしょうか、肩透かしを食らいました。

シーレ展ではない

さて、前述したようにこの展覧会の実態は「シーレ展」でなく、「レオポルド美術館展」です。
出品点数がおよそ120点。そのうちシーレは50点。シーレと交友を持ったウィーン世紀末の画家たちによる作品が、シーレの作品よりも断然多いわけです。
そして肝心のシーレの作品もドローイングが多く、とくに代名詞の自画像などは、かなり出し渋られた印象があります。
展覧会の構成としても、シーレと周辺画家の章が入れ子になっており、少々わかりづらいものでした。

名品に宿る若き葛藤

とはいえ、一部の素晴らしい作品に触れる貴重な機会なことには間違いありません。
ポスターにも用いられる「ほおずきの実のある自画像」(1912年)や「叙情詩人(自画像)」(1911年)などの肖像画を見つめるとき、この若い画家の中の自信や劣等感、絶望感、さまざまな欲望の混沌を覗くことになるでしょう。そしてそれはそのまま、それを見ている私の自我への問いかけになります。
そのほか、「横たわる女」(1917年)、「カール・グリュンヴァルトの肖像」(1917年)など、力の入った名品とも出会える。一見の価値があります。

シーレは、たいへん惜しいことに20代でスペイン風邪により病死してしまいました。クリムト後の騎手になるべき逸材は、寡作のまま伝説になってしまいました。
仮にシーレが長生きしたとして、若い頃の輝きを放ち続けることは不可能だったかもしれません。しかし、彼がどんな作品を生んだのかを見られないのが実に悔やまれますね。

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