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「その名前」と「愛は勝つ」

「名前」に関して印象深い話がありまして、ふと書きたくなりました。



例えば「まりこ」という名前があったとします。

過去に「まりこ」さんの事で嫌な目に遭ったことがあったら
新しく出会う「まりこ」さんに身構えてしまうことがある。
また「まりこ」かよ!と。我知らず。




まだ何も始まってないのに「まりこ」にまつわるイメージが既に悪い。
その「まりこ」と、あの「まりこ」は別だと分かってるのに、なんか避けたい!そんなことってありませんか?



もう20年以上前の事ですが、私の従妹が生まれた娘に「ゆみか」という名前を用意しました。画数とか漢字の意味とか一生懸命考えて。
ところが申請の朝、ニュースにある事件が。
「〇〇ゆみかちゃん▢害される!犯人は見つからず」
従姉はそれ見て即「ゆみか」却下。
もう一つ用意してあった名前で出生届を出したそう。


従姉妹の対応は一般的だと思います。
そこを無理やり超えて
「それでもゆみか!でしょ!」は心理的負荷が大きい。
何かある度に「やっぱり名前が、、」とは思いたくない。



だけどそれとは全く違うアプローチを、私は夫から教わりました。夫は教えたとも思ってないのですが。その時私は「夫すご~い」と心から尊敬しました。




今から6.7年位前でしょうか。
2017年、朴クネ大統領が任期終了後に逮捕されました。

そこにチェ・スンシルという女性が浮上。
朴クネを操っていた疑惑だらけの黒幕として。

捜査の手はチェ・スンシルの娘 ユラにも伸びました。



韓国の全国民がチョン・ユラの悪口を言っていたその頃、
近所に住んでる日本人ママさんが妊娠してました。
来月は産み月で、性別も女の子だと分かってて
名前を用意していました。それがなんと「ユラ」




たまたま遊びに来た彼女がその話をしました。
「ユラ、が良いと思ってたのだけど、毎日ニュースで
チョン・ユラの事が、、、」と。
そこに帰ってきた夫が話に割り込んできました。
(うちの夫は妻の友人が来ると喜んで入ってくる)



「ユラでいいのか」の話を聞いた夫は、
カカカと笑って、事もなげにこういいました。



「心配ない。あのチョン・ユラが『ユラ』という名前にまつわる
ありとあらゆる災厄とヨク(悪口)を持って行ってくれた。
だからあなたに生まれる『ユラ』には害が及ばないよ、綺麗に掃除されてていっそ良し」と。



なんだか、その言葉に「はっ!」としました。
暗闇にさっと朝陽が差し込むような視界が明るくなるような一言でした。
「そう考えると、それもそうだね」と無理なく思えて、何だか可笑しくて皆で笑いました。



子供の名前はそのまま「ユラ」になりました。
ユラママとはたまに顔を合わせる程度のお付き合いですが
ユラももう小学生。もちろん元気に育っています。



却下された「ゆみか」の名前も、しぶとく残った「ユラ」の名前も
どちらでも「心配ない」のだと思います。
どっちを選んでもそれはお母さんの愛。



時々、絶対に私には考えつかないようなことを夫はサラリという。
それも「神か!」みたいなことを。



冒頭の「まりこ」という名前にひっかっかる、、、みたいな話を聞くと
私はいつもこの「ユラ」の話を思い出し、話してしまいます。
今だ薬効が落ちないようで、聞いた人はあの日と同じように「はっ!」と。
「思い込み」を落として自由に選んでいける心の位置に戻るようなのです。




さっき夫に確認してみたら、「そんなこと言った?言った気もする」と笑ってました。うちの夫は「言ったこと」すぐ忘れる!そして私がしつこく覚えてネタにする笑 



気負いなく出た言葉だから、軽く人の心に届くのかもしれません。ユラの名前でも「心配ない!」の明るく穏やかな言い切りが、まるであの歌みたいだった。「しーんぱーいないからね!」(KAN愛は勝つ)
うちの旦那さんは心暖かい。



文字であっても、このエピソードはどこかで人の心を照らしそう。
そんな気がして書いておきたいなと思いました。ありがとうございました。 
             

   2023年最後の日に

 良い年をお迎えください。


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