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『五体不満足』を韓国に紹介した人

乙武洋匡さんの「五体不満足」(1998年)は
2001年に韓国でも出版され大ヒットした。


なので2016年の女性スキャンダルも
韓国では結構大きな扱いで報道されていた。

「五体不満足」に希望を感じた韓国人が非常に多かっただけに
そのコントラストが大きかったのだろう。
韓国は「道徳的な人への憧れ」が非常に強い国だ。




ともあれ乙武氏は韓国で良く知られた人物である。
勿論「五体不満足」の書籍ゆえであるが、
この本が韓国で出版されるに至った
ビハインドストーリーについて書きたい。



 以下、私が2011年に地元新聞の連載コラムに韓国語で書いた
エッセイの日本語翻訳です。

五体不満足にまつわる思い出

ーチャン・ソンギュという編集者ー
日本で一番有名な身体障害者は何と言っても「乙武洋匡」さんだろう。
1998年出版の「五体不満足」は日本の大ベストセラーになり、韓国でも翻訳出版されヒットした。これを韓国に持ち込んだのは、チャン・ソンギュという編集者だ。



彼は日本出張の折、大きな書店で五体不満足の表紙を見て強い衝撃をうけた。「これは絶対韓国でもいける!」そう確信したチャン氏はすぐさま版権交渉にのりだし成功した。



結果として、日本からの翻訳モノ、障害者モノという販売が難しいジャンルで未曾有の大成功を納めた。その後五体不満足は「読まなければいけない本」の扱いをうけ、韓国の小学校の教科書にも掲載され紹介された程である。




実はこのチャン氏は私の大学院時代の一年後輩である。
修士課程も博士課程も一足先に私が入学した。
当時忠清南道に住んでいた私たちは、夫婦単位で良く遊んでいた。
全員が修士か博士課程の学生だった。
一番先に博士号を取得したのが、私の夫だったか。




ー五体不満足出版にまつわるエピソードー

去年の4月の終わり頃だった。
チャンさん夫婦が私の住む高敞を訪れてくれた。
チャンさんはその前の年に大変な苦労をして博士学位を取得していた。
学位取得にまつわる苦労話や、編集者時代の話を沢山披露してくれた。




特に「五体不満足」出版の詳しい話を沢山聞いた。
出版当時はさっぱり売れなかった話、何とか人の目に留めてもらおうと、
必至でコピーを幾つも考えて、毎週毎週違うコピーを作り、
自費で新聞に広告を打っていた話。
いきなり火がついたように売れ出して、
出版社の電話が鳴りやまず、しょうがないので
シャッターを下ろしてみんなで飲みに行った話。




来韓した乙武氏を金浦空港に迎えにいったものの、
予想してなかったほど沢山の報道陣が詰め掛け
大騒ぎになってしまった話。
お酒の勢いも手伝ってチャンさんはその晩、
なぜだか特に饒舌だった。
遅くまで語り尽くして、チャンさん夫婦は帰っていった。

 


ー突然の死ー

その次の日だった。
夕方家族で散歩していた時、夫の携帯が鳴った。
チャンさんの奥さんからだった。夫の顔色がさっと変わった。
「チャンさんが心筋梗塞で急死したって。」



次の日、葬祭場に向かった。
未亡人は力が抜けたような顔付きで、
それでも気丈に弔問客を迎えていた。
その横で、残された二人の娘たちは友人に囲まれて泣きじゃくっていた。
葬祭場を後にし家についてすぐ、私は乙武洋匡氏に連絡を取った。



と言っても私が個人的に知っている筈がない。
彼の所属事務所、出版社など思いつく限りのところに
電話をかけ、メールを送り、
何とか取り次いでもらうようにお願いした。



彼のお嬢さんたちは、編集者時代のチャン氏を知らない。
これから父親なしで生きていく娘さんたちに、
お父さんの偉業を証明してあげたかった。
だから乙武氏に葬式に弔花を送ってもらうか、
弔電を送ってもらえたらとお願いした。



当然、韓国での五体不満足出版に
チャン氏が尋常でない努力をしたという
故人から昨夜聞いたばかりの話を添えて。
結果、葬式の日は過ぎてしまったが、
乙武氏からチャン氏の家族にお悔やみのメッセージを頂いた。 


ー 乙武氏からのメッセージー

『五体不満足』のような本が、愛すべき隣国である韓国でも広く読まれ、多くの方にそのメッセージが伝えられたことは、私にとっても大きなよろこびです。その『五体不満足』韓国語版の出版にご尽力いただいた張様のあまりに早過ぎる死に驚くとともに、心から哀悼の意を捧げます。突然のことに、ご家族様のご落胆もいかばかりかと存じます。どうぞご自愛くださいませ。心よりご冥福をお祈りいたします。



 ー悔いのない生をー

私はメッセージを韓国語に翻訳して未亡人に送った。あれから一年、彼が亡くなった季節が過ぎた。「障害は不便です。だけど不幸ではありません。」これは五体不満足の有名な日本語コピーである。五体不満足を知っている人ならこのコピーも当然知っている。


チャン氏が考えた韓国版のコピーは「身体は不満足、でも人生は大満足」。本のエッセンスを一行で表した素晴らしいコピーだ。日本版コピーに勝るとも劣らない。彼はこの本を数えきれないほど読んだと言った。この本の裏表にはこう刻まれている。「どんな試練も幸福のきっかけ。不可能はない!」私はこれが彼のメッセージだと思い、もういつまでも悲しまないことを心に決めて、今日も笑って生きようと思っているのである。



そして私の今の仕事がいつ最後の仕事になるかもしれないことを切実に感じた。今の仕事が子供達への遺言になるかもしれない。
だからいつも目の前の仕事に誇りを持って取り組まないといけないのだと。
私の友人はそれを教えて、この世を去って行ったのだから

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チャンさんが亡くなられたのは
50代前半という年齢だったと記憶しています。
あまりの急な事に呆然としました。


春に亡くなられたので、桜が咲く度に思い出します。
韓国ではお兄さんの事をオッパというのですが、
本当に「オッパらしい」人で、公私に渡って
よく助けて頂きました。
韓国で出会った「心の兄」でした。



私は上記のようなエッセイを、三年半に渡って
隔週で地元の新聞に挙げていたのですが
このエッセイは特に反響が大きかったです。



あれから10年、チャンさんの奥さんもお元気で、
お嬢さんたちは、大学を卒業して働いていると聞いています。



この期間、乙武さんへの評価は地に落ちたりしましたが
、、、私の中ではそれでも、
あの時「五体不満足」韓国版の出版に全力を注いだチャンさんの死を
悼んでくださり、遺族にメッセージをくれた優しい人です。
心からありがたく思っています。



彼は道徳的でない行為をしたかもしれないけれど、、
手足の無い彼が、人生を楽しんでいたその姿は
人に希望を与えた。
それも言葉を超えて写真一枚で伝わった。
あの衝撃は忘れられない。




20世紀の韓国の「しょうがい者」は、
日本とは比べ物にならない位、絶望的だったと思う。
日本には白い杖を突きながら歩行する盲人は珍しくなかったが、
当時の韓国の一般の歩行道は状態が悪すぎた。
今の韓国とは全然違っていた。
しょうがいを持つ人に対する目も大変厳しいものだった。



あの「五体不満足」の表紙の写真、
乙武さんのさわやかな笑顔は、
韓国のしょうがい者に、しょうがい者のいる家庭に
どれだけ衝撃的だったろうか、想像に難くない。
そこにはきっと何かの光が
差し込まれたのだと信じたい。


チャンさんたら、
あの本を韓国で流行らせるなんて。
そんなデカい事するなんてすごい!

彼が考えた五体不満足の本のコピーは
「身体は不満足、でも人生は大満足」


何度みても素晴らしい。
チャンさんが残したものは
きっとまだ人の心の中に残っている。
だって私からして未だに忘れられないのだから。


ありがとうございました。

































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