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心熱きキムジャン(余白手帳掲載)

あおい文化交流研究所様が、季節ごとに発行なさっている
「余白手帳」という媒体に、エッセイを上げさせて頂きました。

許可を頂けたので、こちらにも文章を転載します。
11月頭に発行された「余白手帳」7号掲載です。「余白手帳」は東京の韓国文化院をはじめとするいくつかの場所に置かれています。

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心熱きキムジャン



 
結婚を契機に韓国に住んであっと言う間に四半世紀が過ぎてしまった。
韓国人の夫と毎年四国に帰省している。実家のテレビからは韓国ドラマが流れ、食卓には普通にキムチが置かれている。それだけ見るとまるで韓国に居るみたいだけれど、実は日本のキムチには夫婦二人してあまり食欲をそそられない。日本で食べるキムチは色々何かが違う。日本語の「キムチ」と韓国語「김치」は、韓国人には明確に違う音だということもあって「別物」だと思える。
 




そう思うのは韓国でも特に食を大事にする地域、全羅道に嫁いだ影響もあると思う。朝鮮半島南西部の海沿いの地域だ。冬前の大量のキムチ漬けををキムジャンというがこれは韓国の国民的行事で、20世紀の職場にはキムジャンに休暇や特別手当が出る所もあったという。11月に入れば早い家はキムジャンを始める。キムジャンに必要な材料がスーパーの店頭の目立つ所に置かれ始める。この時期の女同士の挨拶は「キムジャンした?キムジャン終わった?」になる。私の家の周りにはお年寄りが多いので特にそうだ。
 




ソウルを含め幾つかの地域で暮らしてきたが、15年程前からは夫の故郷の農村に住んでいる。家は夫の姉達とスープの冷めない距離にある。毎年義姉宅の大規模なキムジャンに関わってきた。(コロナ期は大きくは出来なかった)私の家では大量のキムチは食べないけれど、義姉達がどれほどキムジャンを大事に思ってるかが言動の端々から伝わってきた。都会に住む子供達に宅配でキムジャンキムチを送る事は、義姉達にとっての心の義務に見えた。



 
キムジャンは多くの人手を必要とする重労働で、広い場所と多量多様の材料の調達を必要とする。地元の名士である義姉宅のキムジャンは多い時で白菜500個を漬けた。どれほど大量か想像がつくだろうか。薬味に入る材料の種類も実に多い。大量の唐辛子粉、ニンニク、生姜、玉葱、葱類、芥子菜、アミの塩辛、リンゴや梨等の果物。地域によっては牡蠣のような海産物を入れ込んだりもする。種類も多いが投入される量も多いので、キムジャン用具は規格外の大きさだ。白菜を漬けこむ樽や薬味を混ぜ込む桶は大人二人でも入れる浴槽サイズで、それをかき混ぜる木製のしゃもじは、ボートのオールサイズだ。ヤンニョムと呼ばれるペースト状の薬味はコチュジャン程ではないが、意外に水気が少なくねっとりしているので攪拌に相当な力がいる。女だけでやるには力のいる作業が所々に多い。私は「キムジャン」という言葉を聞いただけで、思わず身体が後ずさりし肩は重くなる。和気あいあいと皆で集まってキムチを漬ける韓国の季節行事だとはとても言えない。




 
私が経験してきた田舎のキムジャン風景はこんなだった。
一言で言えば「キムジャンは戦争だ!」。




夫の長姉がキムジャンの総大将で、次姉がキムジャン実行隊長だ。夫の兄の畑から白菜トラックがやってきたら庭に白菜を積み上げる。お風呂の椅子みたいなのに皆で座り、白菜に包丁で切れ目を入れ手でぐっと力を入れて裂く。白菜に塩をしてどんどん積み上げる。白菜は一晩位塩漬けにされる。しんなりしたら白菜の水洗い。大ダライ数個に水を張って水を何度も変えながら洗う。この作業が大変な重労働なので、塩漬けが終わった白菜を購入してキムチを漬ける人達も最近は多い。



白菜の水を切っている間に薬味を準備する。ニンニクや生姜なら事前に潰して冷凍できるけれど、野菜類は水が出るので当日切る。量が尋常ではないので4、5時間は何かを切り続ける。ミキサー等機械も使うが、ある程度は人が細かく手を入れないといけない材料ばかりだ。ある年、私の向かいで野菜を切っていた手伝いの奥さんは作業しながら「吐きそう」と言った。



薬味の味を決めるのがまた大変で、頼りになるお年寄りの手伝いがいると「もっと唐辛子入れろ、薄い、濃い、いや水っぽい」他人の家のキムジャンなのに自分の好みを主張する。ただこれはキムジャンに限った事ではなく、女が集まって料理する名節等で普通にある。ようやく薬味が出来たら水を切った白菜の間に塗り込んでいく。ここまで来たらもう終盤。その時の人手にもよるが3時間位は塗り続ける。




白菜が終わったら次は塩水につけておいた大根に薬味を塗り付ける。もう身体がクタクタになっている時に大量の大根投入なので、この時触る大根はいつもずっしり重く感じる。もうだめだ腰が痛すぎると思っても、一旦始めた作業を止められないので痛いまま続行。キムジャンで腰が痛くなるのは当然の事で、周りに腰の痛くない人なんて誰もいない。いつでもどこでも私が一番若い。キムチ冷蔵庫専用の大きなタッパーにきっちりキムチを詰めたら積み上げていく。最終日は重いタッパーを運んでくれる男手がいないと、とてもしんどい事態になる。最後に大ダライを始めとする道具を洗浄して終わる。




 
大規模な家庭キムジャンは作業だけでも大変だ。人よりキムチを大事に扱って過ごしているような気がする。白菜の塩加減を計る事や薬味の味の決定は義姉達の役目だが、特にこれがセンシティブだ。 白菜の厚みやその日の気温で漬かり具合が違うので塩漬け時間は決まっておらず人の見極めが大事。また薬味の調合が上手くいかなかったら「一年の農作業が無駄になる」と義姉達はいう。畑に種を植える所からキムジャンは始まっているという感覚だと思う。うちのキムジャンに使われる唐辛子粉は、夏に収穫して秋に毎日手を入れて天日干ししたものだ。どこかでお金で買ってきたものじゃない。白菜もニンニクも同様で、どの畑から来たかまで知ってる。



そういうあれこれが混ざって、義姉達はすごくそこに熱を注いでいる。そんな状態の女性達が三日もぶっ続けで肉体労働をすると怒った猫みたいになる。お互いに気が立ってトラブルが起こる。誰かが怒鳴って誰かが泣く。私が関わった年でそれが無かった年があっただろうか。そんな事も沢山目にしたけれど、それはとても自然な事に思えた、人間だから。お手伝いに来ていた義姉の友人が手を動かしながら、独り言のようにこう言った。「キムジャンは戦争だ」あまりにも言い得た言葉が心に深く刻まれて、今も忘れられない。



 
お陰様で義姉宅のキムジャンで泣くほど嫌な目にあったことは一度もない。給食室で使うような長い防水エプロンに長靴、肘まである赤いゴム手袋というガッツリないでたちで挑む。寒い時期の野外作業なので帽子や防寒具は必須だ。女の人の気が立っている現場は、刃のついたコマがいくつもブンブンと回っているように感じた。思いもよらぬ所から理不尽の刃が飛んでくるから気をつけた。「誰も怪我せず無事に終わりますように」と祈る気持ちで身も心も備えた。脱ぐ時は鎧を脱ぐような気持ちだった。




私の経験したような田舎のキムジャンは今どんどん減っている。30代や40代の韓国人ママ達は嫁ぎ先や実家に行って一緒にキムジャンをするよりも、漬けたものを宅配で受け取る事が多いようだ。うちの義姉の息子の嫁さん達もキムジャンの手伝いには来ない。また韓国では長らくキムチは買うものではなく家で作るものだったが、今や必要な分だけキムチを購入できる時代になっている。都会の家庭ではそもそも自宅の冷蔵庫にキムチがない事も実は結構ある。韓国人の食卓からキムチが消えていっているのも、キムジャンの減少傾向の要因だ。



 
ちなみに白菜500個になると家族だけで漬けるのは無理で、義姉は友人やご近所さんを手伝いに呼ぶ。呼んだ人に義姉は各自お礼を渡している。私の居住地よりもっと奥まった農業地域だとプマシというシステムがある。今日はこの家明日はこの家という風に、お互いがお互いの家のキムジャンの労働を手伝い合う。ただ高齢化が進む今はそれも難しくなってきている。地方部でも家庭でのキムジャンは減少傾向にある。



 
だけど、あらゆるものが混じったあのキムチの美味しさは格別だった。ゴム手袋を真っ赤にして作業中の私には、誰かが熱々の茹で豚をキムチで包んで口に入れてくれた。昼になると冬前の太陽を背に受けてキムチを囲んでワイワイと食事をした。そんな田舎のキムジャンは、韓国人にとっても「いつかあった風景」になりつつある。買った方が安いものが世の中には溢れている。そうやって消えていくものが沢山ある。なので私のいう「キムチ」も韓国人にとってさえ、すでに「思い出のキムチ」で、そのうちに「幻のキムチ」になるのかもしれない。



 
ともあれ私が韓国で味わった出来事の中でも、冬前のキムジャンは忘れがたい経験の一つだった。この恐ろしく時間と手間のかかる、汗も涙も文句も怒りも喜びも腰の痛みも、何もかもが挟み込まれたキムチが、私の「キムチ」だ。小さい頃からこんなキムチを普通に食べてきた夫はもっとそうだろう。だから日本のキムチに違和感を感じる事をどうかご容赦頂きたい。私が味わってきたものはキムジャンキムチだけではなく、韓国の前時代の残り香なのだろうと思う。残り香というには主張が強くて密やかではないのも韓国らしい。まるでキムチが発酵する時の匂いのようだ。世間では「良い匂い」とは言わない類の匂いだけど、自分の中には「特別な匂い」として身体に沁み込んでいる。




熱き心をたぎらせた女達がこれでもか!と漬けたキムチを私は何年も口にしてきた。いい大人になっても食べる物にあっさりせずに、自分の「これが良いんだ」にごだわれる義姉を素直に尊敬している。心をあらわにした感情相撲は人間臭くて弊害も多い。だからスマートな韓国の若者には敬遠されるけれど、「キムチ」であれ何であれ何かに燃えられる人は煌めいている。といっても今や義姉達も加齢で昔ほどは頑張れず白菜の量もぐっと減りいい塩梅に落ち着いている。今年も霜が降りる頃「キムジャン集合!」の声が掛かったら、また赤いゴム手袋と長靴で手伝おうと思っている。熱い女達の手で漬けたキムチは例える術もない位美味しい。
    
                            

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