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<おとなの読書感想文>エストニア紀行

数年前、旅行でミャンマーを訪れました。

郊外をまわって気になったのは、生活の足として市民に定着しているバイクです。バイク自体は珍しくもなんともないのですが、これに取り付けられているビニール素材の屋根が目についたのです。


雨季には盛んに雨が降り、暑季には強烈な日差しが降り注ぐこの国で、バイクの屋根は重宝するでしょう。ただ他の人に聞くと、他のアジア諸国ではあまり見たことがないと言います。

一緒にツアーをまわっていたAさんが、ぜひあの屋根をおみやげに持って帰りたいと言いました。
ところが、どういうわけか売っている店がなかなか見つかりません。

旅も終盤にさしかかり、ビニール屋根をおもしろがっていたわたしたちも半ばその存在を忘れかけていました。
ミャンマーの車は通りをビュンビュン飛ばすのが習わし(?)らしく、実際帰りの時間が迫っていたので一路空港へとひた走っていた時だったと思いますが、

「あっ、停めてください!」

車が突然停車することになり、最初何が起こったのかわかりませんでした。
どうやら、我々の前を走る車に乗っていたAさんが、通り沿いにあのビニール屋根を商っている店を発見したらしいのです。
窓の外に、屋根を求めて商店へ駆け込んで行くAさんと付き添うガイドさんの姿が見えました。

興味があったのは確かだけれど、まさかかっ飛ばす車を急停車させてまで買いに行くとは。。
Aさんのビニール屋根への情熱、おそるべし。
帰路を急いでやや浮ついていた車内に、ちょっと拍子抜けしたような空気が流れていたのを思い出します。


人は自分に興味のあることは熱心に見るけれど、そうでないものは見逃してしまいがちです。
とりわけ「旅」という非日常の中で、吸収したいと願うものは人それぞれなので、誰と旅をするかというのはわりと重要な問題だと思います。
お互いが得たいと思っている情報に差がありすぎると、共に行動することは困難になるからです。

「エストニア紀行 森の苔・庭の木漏れ日・海の葦」
(梨木香歩 新潮文庫、2016年)


梨木香歩さんの旅は一見穏やかですが、非常にアクティブなものです。

路傍の小さな植物に足を止め、カヌーの案内人がむやみに先を急げばわかりやすく憤る。
果ては暴風吹きすさぶ中車を停めて、「バルト海の塩分濃度は本当に低いのか」を自らの舌で確かめる!

最近話題のかわいらしい刺繍や伝統的な編み物、もちろんそれらも見ているのだけれど、どうもピントの合わせかたが違う。
表面的な美しさだけでは飽きたらず、豊富な知識と思考で内側へと深度を深めていく著者の旅に、読者としてついて行くのはなかなか骨が折れました。
まるで一緒に旅行している相手に「えっ、そこに行きたいの?」「そんなものあったっけ?」「えー、まだここにいたいの?」と、ツッコミを入れるような気持ちで読んでいました。初めは。

しかし、おそらく同じものを見ても湧きえなかっただろう感情や印象(そもそも目に入らなかった?)が、文章を通して少しずつ自分の中に染み込んでいくのがわかりました。知識の用い方、生き物への眼差し、さらには幽霊の遇しかたなど、憧れとともに学ぶことがたくさんありました。

ひとりの旅は気楽だけれど、誰かと一緒に違う目で見る旅もまたおもしろい。
スリリングで時に疲れるけれど、新しい世界に心を開いていく快感がありました。
そして島で暮らす女性たちが畑を耕し、機を織り、漁をする姿を「かっこいい」と表現し目を潤ませたときは、わたしも同じような目をしていて、なんとも言えない充足感があったのでした。


ちなみに、ミャンマーのビニール屋根を日本の公道で使用することは道路交通法に違反するらしいのですが、Aさんはさほど残念そうには見えませんでした。
彼の地にまた行きたいな、と今再び思いを馳せながら。








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