リコとリタ
キャラクターの名前みたいですが。利己と利他について。
コロナ騒動から考えていること。
世代間の意識の乖離。“あの頃はよかった教”
30代前半?以下の世代は社会において「永遠」や「絶対」はない。ということを肌感覚で理解している世代。
しかし、私含め、30代後半以降の世代は、なんだかんだ言って、無意識に高度経済成長期時代の意識をひきずっていると感じます。(30代後半~40代前半世代は、実際の高度成長時代もバブルも知らないけれど、親など近しい世代がどっぷりなので、大きな影響を受けていますね)
まちの新設の公共施設の規模や建設後のコスト、なかなか世代交代しない商店街他各種団体。予算がないと言うけれど、公共施設にかけるお金は意外と豪勢だったりランニングコストがすごかったり。
「後継者がいなくて困る」と口では言うけれど、交代するアクションにはなかなか踏み切れない。そして、「昔はよかった」発言をはじめ、「良かったあの頃と今を比べた上でものを考えてしまう」意識。
「まち」というものも、現在のまちの規模、これからの規模の変動、人の流れ、などを正確に把握した上で公共事業や施設などを考えているのかな、と疑問に思ってしまうような動きも見かけたりします。個人的には、これからの時代、指標は「人の動き」という数値だけの時代ではないと思っています。まちごとの「幸福度指標」みたいなものがもっと明確に必要になるのではないかと。別に全てを縮小というわけではなくて、環境や災害時の視点、機能は1つではなく連携させることができないか?など知恵と工夫はもっとあるのでは、と。
でも、現在の60代~70代以降の方々、私は個人的に尊敬できる方が多いです。豪快で、丹力があって、情があるから。(それを時代のせいだと言ってしまうとなんだか話が矛盾しますがw)
だーれも悪気なんてないので、上世代の方を批判するという話ではなくて、世代間の意識の乖離はどうしたって広がっているよね、ということ。要は、この乖離に上も下も気づけるかどうかなだけ。
そういう意味でも、日本の近現代についてきちんと学ぶ場があると良いのにね、と思う。(私もわかってないこと多々)
そして、世代間の意識のスキマをこの「利己と利他」の意識で埋めることができるのでは、と考えます。
コロナ騒動から見えたリコとリタ
今回のコロナ騒動。私も含めて、感染予防の意識が変化した瞬間があったと記憶しています。
初期のころは、「うつらないようにするには何をすれば良いのか。」という意識だったし、テレビなどもそういう視点で連日放送していた気がします。この時期は「自分の身をどう守るか=利己」の意識。
それが、少したったころ、(感染が広がり出してから)「(感染しているかもしれないという前提で)うつさないようにするには何をすれば良いのか」という意識に変わりはじめていきましたね。メディアの取り上げ方も変化していきました。
自分の予防(利己)がみんなを守り救う(利他)ことになる。という視点。
まちづくりにも通じる、とても大切な視点。
そして、一概にはもちろん言えませんが、若い世代は、「利己が時に利他にもなる」という意識は元々きちんと持っているような気がするのです。
小さいころから、震災や世界に目を向ければテロなど。経済も不況の時代が当たり前の彼らは、最初から、自分だけでなく周りも一緒によくなる意識を持たざるをえない状況にいるのではないかと思うのです。
これまでも、バブルがはじけたり、辛い災害があったり、日本はいろいろな困難があったけれど、今回のコロナ騒動ほど、変な言い方をすれば「すべての人に等しく」影響をおよぼした災害はなかったような気がします。富めるものも、若きものも、老いたものも、全ての人が「等しく」コロナに対峙しなければならなかったからこそ、「利己が利他にもなる大切さ」がとてもクリアに、浮かび上がったのだと思います。
利己と利他。
うつらないよう、ではなく、うつさないように。
まちづくりでも、私のやりたい、が、他の誰かやまちの困った!を救うかもしれない。という視点。
私も約10年、まちづくり業界にいますが、「まちのためにやりたいこと」なんて正直に言ってありません。そんな聖人君主みたいな人、いたら会ってみたい。無理やり「公」の意識なんて持てませんてw
感覚的に、ですが、逆に60代以降の方には、なんていうのか、己の「闘志や正義」がまちや国や大きなもののために。というかっこいい人はいっぱいいらっしゃる気がします。
それは置いといて。今は、これからの現場を生きる人達に向けて。
私のやりたい。私の楽しい。がもしかしたら、まちの、他の、何かを救うかもしれない。こういう意識の視点を小さく変えることだけで、それは利己が利他になっていると思うのです。
そう考えると、まちづくりのアクションは、いろいろなところにありますね。好きなお店でごはんを食べたり、お買い物をすることだってまちづくり。「まちをつかう」ことは全てまちづくり。
コロナ騒動、悲しくて辛いけれど、視点を変えれば大切な気づきがまだまだたくさんあるような気がしています。
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