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【UNMANNED無人駅の芸術祭からしみだしているもの】TAKAGIKAORUによる探検WS

無人駅の芸術祭の主要エリアである抜里集落は6月はホタルの季節。
通称“妖精たち”と呼ばれるおじちゃんたちの環境保全団体「抜里エコポリス」がホタルの里づくりを通年において行っている。

芸術祭参加アーティストTAKAGIKAORU氏(以下、普段の呼び名のKAORUさん)が今回、都市部から30名ほどの家族連れとともに1泊2日の探検ワークショップを開催してくれた。

TAKAGIKAORU氏は「UNMANNED無人駅の芸術祭/大井川2022」において「日々の景色は物語でできている」を制作発表。そこから妖精たちとの交流の先で抜里集落に心を寄せてくれている。

TAKAGIKAORU/日々の景色は物語でできている


TAKAGIKAORU/日々の景色は物語でできている(photo:鈴木竜一朗)

普段、茶農家しか行かない通称ボインボイン山の山頂は素晴らしい絶景。その山頂を目指し、散策の中で見つけたものを材料に、抜里に気持ちを寄せ続けられるような作品をみなで作る。夜には抜里八幡神社で行われる「ホタル観賞会」に参加するという内容。


今回のこのWSは子ども達と多いに自然を楽しむ時間であります。がもう1つ大切な視点があります。
ここ抜里集落は皆が行くようなキャンプ場やレジャー施設とは違います。村の人々が日々暮らす中で心の支えや生きていく糧にしている細やかな催しに私たち外からの人間が参加させてもらうことが現実です。
(中略)私たちが他者と関わりを持つことで生まれ得るものはまだまだ無限です。これは子ども達だけのワークショップではないことを皆にも知って欲しいところです。そして、勿論私もです。ライブですから何が起こるか楽しみです。どんなことも楽しさに変えてみてください。

KAORUさんの探検WS呼びかけの文章(抜粋)

ホタルの時期は梅雨時。ということで天候にふりまわされた2日間。初日は雨天のため、夜の「ホタル観賞会(八幡神社でのバーベキューのふるまいの集まり)」が延期になった。せっかく来てくれた子ども達に申し訳ないと、“妖精たち”は夕ご飯用に流しそうめんの準備をしてくれた。急遽、竹を取りに行きあっという間に15メートルほどの流しそうめんの装置(?)を作ってくれた。

あっという間に竹を伐り出し、2つに割り筋を取る。作業、めちゃ早い。


そうめんの他に、プチトマト、かんづめのみかんやゼリー、グミを流す。流すにも妖精たちがやってくれる。大きい子も小さい子も真剣にそうめんをすくう。(※実施時は、手洗い、消毒、手袋など十分に気を付けて実施した)

3歳の娘は10日分は食べたんじゃないかというくらいそうめんを食べた。そうめんをすくうことに必死になりすぎて顔がこわいw
流しそうめん会場の2階ではKAORUさんと一緒に来てくれたりえぞうさんを中心に楽しい遊びを。大盛り上がり!


保護者の方が言っていた。流しそうめんは家でやったことがあるけれど、プラスチックでしかやったことがなく、こんなに長い本物の竹でやったことはない。と。

子どもたちの喜びように妖精たちもとてもうれしそう。やってあげた。やってもらった。というような他人軸のなすりつけではなく、うれしい気持ちを交換しあう先の幸せの共有と言えるような。みんなの顔が光っていた。

暗くなるのを待って雨がしとしと降る中、ホタルを見に「上手川(うわてがわ)」へ。真っ暗闇を歩くということも都市部の子ども達にとっては初めての経験。ホタルを見るのもきっとはじめて。ホタル、とてもたくさん飛んでいた。

ホタルを見に行く前にはホタルの一生の説明を妖精たちがしてくれた。


2日目はうそのような快晴。「ボインボイン山」山頂を目指す。
気になったものを拾いながら。石、缶詰のふた、茶の木、焼酎のペットボトル、ビニールのひも、などなど子どもならではの視点でいろいろなものを拾いながら歩く。

山頂でみなで協力して作品を作る。作品はいつのころからか「お地蔵さまを作ろう」に変化していた。心を寄せる、これからも会いに行けるように。そんな言葉がキーとなっていったのだろう。

KAORUさんと子どもたちが協力してつくりあげた作品は、子どもたちが考えて「寺山女神」という名前になった。寺山は、ボインボイン山の正式名。子ども達(特に男子)はやっぱり「ボインボイン山」を口にするのが恥ずかしいみたい。可愛いなあ。そうだよねえ。

こちらは1日目に大井川で練習に作った仮作品
完成した「寺山女神」

集落に落ちていたもの(ごみ)、枝、石。全て大人の視点から見ると不要なもの。誰も気にとめないようなものが、こどもたちのそれぞれの視点で作品の素材になる。無が有に自然に変化する。私たち大人は、いちいち理由をつけてしまう。子ども達の感覚で選ばれた素材が結集して女神ができた。

そして、寺山女神が完成したことで、子どもたちは集落にとってよそ者、お客さんではなくなった。集落の大切な一員になった。遠くにいても心を寄せ続け、壊れていないかな、どう変化しているかな、などと自身を反映させることのできる「よすが」ができたのだから。

山頂でお昼を食べていたら、急に大きな粒の雨が降り出した。真夏の夕立のように雨脚はみるみる強くなり雷までなりだした。子どもたちは車の中にぎゅうぎゅうつめに避難。そんな些細なこともとても楽しそう。

大井川や集落の散策、流しそうめんと山歩き、ホタル観賞、作品作り。2日間にたくさんの世代の笑顔と、都市部と地方の交流があった。抜里集落は観光的な施設も仕掛けも何もない。茶畑とじいちゃんばあちゃんしかいない場所だが、だからこそ、唯一無二の体験と交流(交換)が可能になると確信した。

ボインボイン山頂からの景色。眼下には茶畑が広がる。

私は3歳の娘と高校2年生の息子を2日間連れていった。娘は普段人見知りで同世代の子どもに心を開くのにものすごく時間がかかるのだが、いつの間にか仲良くなり、集落歩きも全て自分で勇ましく歩いた。コミュニケーションを自分から取るようになっており驚いた。

子ども達は何もないところでも遊びを作り出す天才。じゃんけんをして陣地を取るゲームが自然にはじまる。娘もいつの間にか参加していた。(右から3人目がむすめ)

地元の子どもたちにとってもきっと唯一無二の経験になる。今回は実験的に開催したけれど、今後は子ども同士の出会いと交流も作っていきたい。

子どもたちはそれぞれの日常に戻り、どんな生活をしているのだろうか。私自身もそんなことに想いを馳せる楽しみが増えた。ほっぺを真っ赤にしてがんばって歩いたあの子は元気かな、とか。幸せとは大切な人を想い、祈る。そういう存在がたくさんいることなのだと。

KAORUさんは、子どもたちにも妖精たちにも常に対等でまっさらに向き合う。だからこそ、率いずともそれぞれが自分の役割を見出し動いていく。誰も、やらされたとか、指示を受けた、出した、という意識にならない。
KAORUさんはよく「実験」という言葉を使う。全て実験なのだと。最初からゴールを決めて、そこにはまらなければ失敗のジャッジを下すようなやり方はしない。(でも世の中はそういうやり方の方が普通で求められていたりするが)わたしはその在り方にとても共感する。アートも同じではないだろうか。

濃密な2日間。UNMANNEDから様々に染み出しはじめている様々な動き。関わってくださるみなさまに感謝。
我々は改めて黒子の存在。妖精たち、こどもたち、作家たち、みなの黒子であり翻訳家で居続けることを胸に刻みまた次のスタートへ。

最後、1日延びで開催した「ホタル観賞会」の様子を。こどもたち来年はこの鑑賞会にも参加して欲しいな。わたしはいつもこの鑑賞会に行くと、「銀河鉄道の夜」のケンタウル祭りをイメージする、勝手に。

抜里八幡神社での「ホタル観賞会」。集落の人がふるまいをしてくれ、暗くなったらみなでホタルを見にいく。なんてことないようで、幻想的な雰囲気がとても良い。

















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