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他人に期待しちゃいけない話

期待と不安と満たされるか裏切りかの3フェーズ


「毎日一緒に遊んでいるから、今日も当たり前のように一緒に遊ぶんだ~!」
とか
「前に飲みに誘ってくれたし、また誘ってくれるよな~」
だったり、「誘ってくれる」「遊んでくれる」「一緒にいてくれる」っていう期待を他人にしてはいけないと、期待を裏切られるたびに再認識するくせに、また期待してしまうのが人間。

例えば、ゲームを毎日一緒にしているいわゆる相方(笑)のような存在がいたとして、別にその関係性を2人の間で言語化したことがないとしたら(これってリアルの好きぴとかそういうのでもありそうだけど)、
言語化していないが故に確証は「毎日遊んでいるっていう事実」と「明日も遊ぶであろうという期待」でしかなく。連絡もなく遊ばなかった1日があった瞬間、その事実と期待がなくなっちゃうわけだから。不安になってしまうのかもしれない。

現代人とオンライン×期待は相性が悪いと感じる

LINE、インスタ、Zenlyなど、日々の生き方や行動がオンラインステータス的に可視化された現代において「期待」っていう感情は物凄く相性が悪いなと感じる。
「Zenlyで近くにいるから誘ってくれるかな~」とか、「連絡来ないけどインスタのストーリー見てないってことは寝てるのかな?」とか。
期待しちゃう要素が逆に増えちゃうわけだけど、全部見えているために自分勝手な淡い期待って裏切られる。(裏切られるっていう表現も恣意的で嫌いですが。)

「見える」時代の上手な生き方

上手な生き方は、
期待するんじゃなくて多数に期待させる側の人間になるか
裏切られたとき、メンタルを保って芯を持って生きていけるか

期待を裏切られるという、自分がこれまで知らなかった事を知ってしまうということである意味二面性的側面を持つわけだから、それを垣間見たときに如何にメンタル強く、芯を持って生きていけるか。

最後に私の好きな名言を貼って締めさせていただきます。

「精神的なこと”これも技術のうち。 自分で高めること、自分でやる気になること。 これも技術のうち。」

ナメてんの、俺を?これが思いっきりか、お前の?思いっきりか、それがお前の!!!やってみい、オラ!!
〇すぞ、この野郎。


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