法治主義の欺瞞

法治主義、特に実定法は、法律に書かれた権利に基づいて社会が運営されることになる。それは、そもそも人間が持っているべき権利を、法律の名の下に制限するものであり、決して自由をもたらすものではない。

例として、日本国憲法と国民との関係を見てみる。日本国憲法では法の下の平等を定めている。一方で、その法を変えるための手続きは、国会各議院での2/3以上の発議の下で国民投票にかけられることになる。その時点で一般国民よりも国会議員の方が優越しており、平等であるべき憲法を変更する手続きの時点で平等でないものが、一体何の平等を保障するというのだろうか。

それでも、その国会議員がある程度平等を保証する仕組の下で選ばれるのならばまだ納得もいこう。しかしながら、よく問題となる一票の格差の問題が存在し、それは根本的には大選挙区で全国を一つの選挙区にでもしなければ解決しない。そして、それよりはるかに問題が大きいのは、死票が非常に大きくなる可能性が高い小選挙区という制度だ。極端に言えば、議員自身が自らの選挙区で過半数の支持も受けていなくても、当選すれば、その地域での憲法改正についての意見を代表することになり、それは実質的に法についての支配権を得ることを意味する。つまり、法による支配について文句があるのならば、その”代表”者と権力闘争をして勝ち抜き、そしてさらに国会の中でも2/3の同調者を集めて憲法改正の発議をしなければならないことになる。そうなると、たとえ憲法改正という大枠で一致しても、内容で一致することなどほとんどできず、憲法を変えるということ自体事実上不可能になるし、それを変えたところで、それもまた次に変更するのには同じ不平等極まりない手続を踏ませる項目を増やすだけで、何ら自由を増すことにはならない。そんな不毛な手続ループの中での権力闘争を強いられるのが、法の下の平等を保証した憲法の作り出す世界なのだ。

皮肉なことに、小選挙区制というのは、戦後最初には、第三次鳩山政権において憲法改正を可能にするため、として提案された。しかも、その区割りはハトマンダーと呼ばれ、恣意的なものであるとして不満を集めた。与党有利の選挙制度なので、数が2/3を超えやすくなるというのはあるのだろうが、そういうご都合主義的な手法で憲法改正をしようとしたことが、逆に今に至るまで憲法改正へのアレルギーを生み出したとも言えよう。その後、小選挙区制度は第二次田中内閣、そして第二次海部改造内閣でも提案されたがいずれも廃案となり、結局細川内閣で自民党との協議の結果可決、成立した。当時の野党自民党総裁は河野洋平で、小選挙区が導入された次の選挙では、分割された選挙区から息子の太郎が当選している。河野洋平は昭和50乙卯(1975)年に公職選挙法改正で自身の選挙区が二つに分かれたときにも、その次の選挙で新自由クラブを立ち上げて、分かれてできた新たな選挙区には同じく新自由クラブから甘利正を立候補させ、当選させている。選挙区操作に乗じて勢力拡大を図ってきた政治家であった。

そうまでして導入された小選挙区制度をもってしても、いまだに憲法改正の発議すらもされたことがなく、事実上憲法をいじるということはできないのではないかとの恐れがあり、結局憲法改正や政治改革を名目に、法の下の平等を害するような小選挙区だけが定着し、有権者と議員との間の不平等がさらに強まっただけという非常に皮肉なことになっている。

憲法が社会契約の基本で、その社会契約において法の下の平等を定め、法の下にある限りでの平等を保証することが社会契約のベースであるのならば、まずその仕組自体で平等が保証されていなければ、その法がいかに社会契約を保証するのだと言えるのだろうか。このように欺瞞に満ちた法治主義では、とてもではないが、社会契約の正当性を保証することにはならないだろう。

この欺瞞を解決するためには、まず憲法改正の要件を国民側に持ってゆくようにする必要があるだろう。例えば発議は国会議員が3−5人程度集まればすることができ、また国会議員でなくとも、例えば有権者数の1%の署名が集まれば発議ができて国会で採決されなければならないとし、国会での議決も過半数で可決、国民投票となるようにし、そして国民投票では賛成マイナス反対が過半数となったら憲法改正が成立するというように、国民自らが憲法を変える権利を確保できるようにすべきだろう。

一方で、国民がどれだけ憲法改正を望んでも、実質的に有権者の過半数の支持を得ていなくても制度上強すぎる与党のために国民投票が否決されるというような、法の下の平等を明らかに害するような事態を防ぐためにも、小選挙区制度は廃止する必要があるだろう。

法治主義が自らその法の正当性を確保するよう努めなければ、法に対する信頼など生まれようもない。法治国家とは一体何を意味するのか、今一度深く検討されるべき時ではないだろうか。

誰かが読んで、評価をしてくれた、ということはとても大きな励みになります。サポート、本当にありがとうございます。