ウクライナ問題と国民国家

ウクライナ問題、深入りすればするほどに泥沼なので、なるべく直接には関わらず、遠目に観察するのが吉ではないかと思うのだが、国民国家において安全保障を論じざるを得ない人々にとっては、もはや引くに引けないのっぴきならない状態なのだろう。

国民国家というものを前提にすれば、既存の国境線を超えて他国領に入り込んだロシアは明らかに悪であり、侵略という定義に当てはまるだろう。ただし、ウクライナとロシアが別れたその時期は、レーニンが第一次世界大戦の全交戦国に対して「無賠償・無併合・民族自決」に基づく即時講和を提案し、ウィルソンが「十四か条の平和原則」の第5条で制限的な民族自決に言及しそれが翌年のヴェルサイユ条約での原則となった時期と重なっていた。ロシア帝国はそれに基づいてウクライナを放棄したが、あろうことかそれを武力によってソ連に編入したのがレーニン率いるボリシェヴィキであった。さらに言えば、現在のウクライナ東部は、いずれにしてもロシア系の住民の多いところであり、民族自決の原則に従えば、ロシアに属するという主張も可能だし、そもそもそこがロシア帝国の放棄したウクライナに相当する部分なのか、ということすらも、歴史的には緻密に検証する必要が出てきて、とてもではないが傍目からどうこう言える問題ではない。レーニン後のスターリンによるウクライナ化政策のような宥和政策の歴史もあるわけで、それをウクライナがロシア系住民に十分な配慮をすることなく反ロシア政策を進めてきたことを考えると、問題はそんなに単純なことではないことがわかる。

とりわけこの問題が複雑化しているのは、NATOの東方拡大と連動していることである。NATOというのは、当然のことながら集団的安全保障の仕組みであり、国民国家を前提として侵略を定義すれば、被侵略国のために同盟国は集団的自衛権を発動し、それが連鎖的に戦争を引き起こすという、まさに第一次世界大戦の再現のようなことが簡単に起こり得る。側から見ればロシアの暴挙のように解釈できるこの行動がそれほどまでにエスカレーションしないのは、歴史的大義の部分で、世界大戦につながるような対応をすべきであるという感覚には一般的には至っていないということを指し示しているのではないだろうか。その意味では、あちこちで自らの大義を吹聴しているウクライナ側の方にどこか無理があるという感覚、そんなことで戦争に巻き込まれたらかなわん、という感覚は少なからずあるのだろう。

問題は、安全保障環境を利用して政治的プレゼンスを上げようとする権力者たちの権力欲求であると言え、それは日本においても、防衛費を大幅増額し、サミットにゼレンスキー氏を呼ぶなどという、実利・パフォーマンス共に余念のない総理を持つという意味で全く例外ではない。昭和100年ということを意識しているようだが、第一次世界大戦後にまで遡るその問題に深くコミットすることで、朝鮮、台湾、そして満州国に至るまで、ウクライナ支援と整合する形で理論的な整理を行って行けるという目処は立っているのだろうか。とりわけ満州国は、民族自決の原則があったからこそ植民地ではなく独立国として成立させ、そしてその権利を守るために常任理事国であった国際連盟から脱退せざるを得なくなったという、ある意味で非常に筋の通ったやり方をした戦前日本と同じような筋をとおすのだ、という覚悟を持ってのことなのだろうか?

いずれにしても、極東からこの問題になんらかの形で関わるあり方は非常に限定的だ。あり得るのはNATOに近い対露強行路線、ロシアが安保理常任理事国なのでほとんど機能不全の国連を通した交渉路線、あるいは中国・インドなど非同盟諸国に近い対話路線と言ったところであろう。これは、今後の国際社会において、どのような立場で自国の立場を打ち立ててゆくのかの試金石になる決断だとも言えそうだ。NATO路線ならば、すでに冷戦終結から30年以上が経過しているのにも関わらず、その遺産的構造の路線に乗るということで、第二次世界大戦、冷戦、そしてその後の安全保障体制の模索という文脈上に自らを置くことになり、おそらく第二次世界大戦の史観見直しといった話はかなり難しいことになるのではないかと感じる。国連路線ならばこれまでの日本外交のいわば王道である常任理事国改革を通じた自国の立場打ち立てという路線となろうが、常任理事国であるロシアへの対応をしながらその路線というのもなかなかの茨の道となりそう。個人的にはロシアとの決定的な対立を避けながら、非同盟諸国に支持を広げ、とりわけアジアにおける近代化過程というのを非欧米の視点で見直すということをしながら、自国の歴史的文脈についても理解してもらえるようにしつつ、国連安保理改革にもつなげてゆく、というあり方が一番可能性が高いのではないかと感じる。

国際秩序との関わりのアプローチとしては、現代ではほとんどの場合、軍事協力、ことによれば集団的安全保障も含んだ同盟主義というのが主流となっていると言えるが、私は個人的には軍事色をあまりに強く打ち出した国際秩序は不安定に過ぎるのではないかという気がする。それよりも、第一次世界大戦前のイギリス外交の基本であった協商主義、経済関係の強化を軸にして国際関係の安定を目指すというあり方の方が望ましいのだろうと感じる。そのイギリスが地理的な問題を捨象して参加を表明したCPTTPについても、基本的にはイギリスの考え方としては協商主義の延長なのだと理解できるが、残念なことにTPP自体が経済安全保障の色彩が強すぎて、協商主義の実践にはそぐわないような印象がある。もはや国内全体に包括的に利益をもたらすような協商関係を見出し難い国民国家という枠組みで、協商主義を実現するというのは難しい時代なのかもしれない。

個人的にはもはや国民国家という枠組みは様々な点で限界を迎えていると考えるので、生活共同体とも言える、エネルギーと食料の自給ができる人口100万人程度の都市部とその周辺地域を含んだ都市地域圏を軸に、それらが多様な条約関係によって多層的な国際関係を築いてゆく連邦、そして条約機構的なあり方を模索すべき時ではないかと考えており、そのためにも30年戦争後に神聖ローマ帝国から各領邦が自立したヴェストファーレン体制のようなものが平和的に実現される契機になれば、とも期待している。すなわち東ウクライナの各地が都市地域圏として自治を確立し自由に条約を取り結んで軍事衝突なくしてウクライナ、ロシア両方と健全な経済、国際関係を築いて行けるような解決につながってゆけば、この悲劇も、世界を少し平和な方向へ動かした歴史的な出来事となってゆくかもしれないと期待している。

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