経済学の限界

何度か触れてきていることだが、経済学の理論にはいくつかの点で限界が見えているように感じる。主なものを挙げれば、これは既に問題として十分に認識されていることだろうが、完全情報の前提の問題、貨幣の稀少性を前提としたその最適配分を目的としていること、さらには市場均衡を作り出すために閉鎖的世界を作らないといけなくなること、そしてそのために全市場参加者の時空を統一して考える必要があることなどが挙げられそう。

完全情報

完全情報については、完全競争による情報の完全化プロセスが市場の動学メカニズムを機能させると考えられ、完全情報は市場を機能させるための条件というよりも、完全情報への志向性が市場を動かすエンジンであると考えるべきなのではないか。そこに、需給それ自体による市場メカニズム調整というよりも、不完全情報に伴う需給の情報による市場メカニズム調整であるということから生じる、実需から乖離した市場のオーバーシューティングの原因があるのだという認識は必要なのだろう。だから、なるべく情報と実需をくっつけるようにしないと、市場は実需を反映しない物になってゆき、投機的にならざるを得なくなるのだろう。

貨幣の希少性

貨幣の希少性前提についていえば、貨幣自体は流通量の管理が可能な物であり、特に稀少資源というわけではない。しかしながら、その最適配分という定義不能な目的を掲げることで、逆に貨幣が稀少資源であるという状態を作り出し、それによってその稀少資源の競争による最適(?)分配決定とその使い道による最適効用表現によって、貨幣との相対で表示される財の価格によって価格が最適需給マッチングを反映するのだという理屈を作り出していることになる。

稀少資源としての貨幣とインフレ

貨幣を稀少資源とする理由は、インフレが貨幣増発によって起こったのではないかという特に第一次世界大戦後のドイツの経験を元にしているともいえそうだが、貨幣が単にベールであるのならば、インフレは貨幣とは関係なく、単に生産力が破壊されて供給が足りなくなったから起きたのだと考えることもできそうで、そうなると貨幣を稀少資源であるとする必要もなくなってくる。しかしながら、現実では、既に財の実体経済よりも金融経済の方が利益率が高くなっており、実体経済に回る貨幣はいずれにしてもどんどん稀少化しているという事態になっており、貨幣流通量管理自体、何ら貨幣の稀少性を担保するものではなくなってきている。その状態で、通貨安による輸入インフレでも起きない限り物価の停滞が続いているということは、財市場における貨幣の稀少性が必要以上に高くなって、まともに価格メカニズムを機能させられていない状態になっているのではないだろうか。この問題では、実務的に財市場に貨幣を流し込むような政策を取らないと、金融政策自体の効き目がどんどん落ちてゆくのではないかという気がする。

市場均衡のための閉鎖的世界

市場均衡のための閉鎖的世界ということでは、需要と供給という二つの要素を完全に均衡させようとすれば閉鎖的世界を想定せざるを得なくなるのだろうが、実際には、上に書いた通り情報の完全化プロセスが常に需給に揺らぎをもたらしているという動学的プロセスが作用していると考えられ、その時に完全均衡という状態を想定すること自体無意味であり、そうなると閉鎖的世界を作り出す必要もなくなる。金融市場のような情報の流れが早い市場では、情報の完全化プロセスが非常に短期間に行われるので、閉鎖的世界にしないと取引が情報に追いつかず、市場メカニズムの意味がなくなってしまう。だからこそ経済学ではそこに完全情報の仮定を置いて閉鎖的世界を作り出し、それによって静学化させているのだと言えよう。つまり、金融市場に焦点を合わせたメカニズムを精緻に作り上げたことで、現実の財市場のダイナミズムを置き去りにしてしまっていると言えるのではないだろうか。

参加者全員の時空一致

参加者全員の時空を一致させるとは、市場の参加者が利益極大化の目的合理性で動いていると想定しないと、静学化された市場メカニズムはうまく機能しないこととなり、そうなると、参加者がどのような背景・文脈である財を求めているのかという時空感覚を全て捨象し、単に利益極大化の目的合理性で行動しているに違いない、という前提を置く必要が出てくるということになるということを意味する。その経済学的な時空感覚は、実生活とはあまりにかけ離れたものであり、それに最適化するよう人の行動が規定されることで、利益に向けての競争、というのが生活のノームになってゆくことになる。こんなノームほど社会生活を大きく阻害するものはなく、理論が実際を縛り付けるという、社会科学の弊害を象徴的に示しているものとなっている。

悪魔の学問?

このように、経済学はさまざまな点で現実社会とそぐわないどころか、それに介入してそれを返させようとする圧力を掛けるようになっているといえ、もはや理論として限界を迎えているのではないかと感じられる。もっと人間を重視し、大事にした理屈を構築しないと、社会に不幸を振りまくだけの悪魔の学問となってゆくのではないだろうか。

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