中央集権的地方議論の限界

9月25日付日本経済新聞二面社説
「デジタルで国と地方結び行政の質上げよ」

「岸田文雄首相が「デジタル行財政改革」を改造内閣の重点政策に掲げた。」ということで、デジタル化による行財政の効率化を論じている。社説なので総花的になるのは致し方ないとはいえ、いつも感じることだが、デジタル、デジタル言っておけばなんとかなる、という、いわば埋めグサ的な記事は、あまり生産的ではないと感じる。

総論ありき、各論で押し潰される地方

これはデジタル化に限らず行財政改革については常に問題となることではないかと思うのだが、総論についての行財政改革について反対するのはほぼ誰もいないだろうが、何を改革するのか、ということについてはまさに百者百様で異なるわけで、それをまとめるというのは兎にも角にも政治であり、そうである以上、その大きな主体的参加者でもある新聞の社説が玉虫色の総花的なものになるのは仕方のないことなのだといえそう。
問題なのは、地方がダシにされて、議論のネタにだけなって、実質的メリットが出るかというと、結局は中央で決まったことを押し付けられるという画一化の重荷をさらに押し付けられるという、いつも繰り返されるパターンなのだといえそう。

デジタル化のメリットはどこで?

「デジタル技術で全国を結び、自治体から国や広域に移管できる業務を洗い出し、移管を進めるべきだ。そうすることで、独居高齢者や一人親世帯のケア、貧困対策など、より重要な政策課題への取り組みに自治体の人材や予算を振り向けられる。」
デジタル技術のメリットが出たフェーズをどこに見るか、という問題でもあろうが、メインフレームの普及で組織レベルの業務を電算化できるようになった段階と、PCの導入で個別業務のデジタル化が進むようになった段階と、一体どちらでデジタル化のメリットが出たと考えられるのか、というデジタル展開の歴史認識が問われているのかもしれない。国や広域に移管できる業務というのは、方向としてはメインフレーム方向であり、一律的な業務として集合的管理を行うことを志向しているのだといえそう。一方で、独居高齢者や一人親世帯のケア、貧困対策と言った政策は、よりマンパワーを必要とする、デジタル化とは離れた方向であるといえ、この記事全体では、デジタル化のメリットはメインフレーム化、つまり大型化によって出ると考えているのだといえそう。今のデジタル化のフェーズが、ノーコードプログラミングなど、技術の簡易化による普及プロセスにあると考えると、それは中央集権で統一的なシステムを導入し、それを全国あまねく展開する、というような段階ではないと私は感じる。それならば、国にできることはむしろ、独居高齢者や一人親世帯のケア、貧困対策と言った政策について、システム化ではなく、その前の立法段階でなんらかの全体的な状況改善を促すような状況を作り出し、それによって自治体レベルの実務を助ける、ということなのではないだろうか。そして、自治体レベルの実務の方がデジタル化によって集計や報告の手間が削減される、ということになるのではないか。

デジタルの結果としての金太郎飴化?

「転入や転出の届出、保育所入所の申請、建築基準法や消防法など国の法律に基づく許認可など、内容はほぼ全国共通なのに各市区町村がバラバラに処理している行政事務は多い。デジタル技術で全国を結べば一元化が可能だ。」
このうち、利用者サイドから一元化のメリットを見出すものがあるとすれば、転入や転出の届出くらいのもので、他のものについて一元化してなんらかのメリットがあるのかはよくわからない。既存のやり方でそれなりに回っているものを、国によるデジタル化の方針のせいでわざわざシステムを入れ替え、その修得にコストをかける、などというのはさらなる無駄ではないのか。そして、これまできめ細やかに対応していたものが、統合システムに合わせるために、それができなくなった、などという本末転倒なことにならなければ良いのだが。

デジタルで上がる効率、上がらない効率

大型システムであればあるほどまとめた方が効率が上がるというのは間違いのないことだろう。ただ、水道の管理システムというのは、個別の地理的事情などがあるので、単に情報を集約すれば効率が上がるという話ではなさそう。国保や介護保険についてはお金周りだけならば集約で効率は上がるだろうが、カルテのような付帯情報があるのだとしたらかえって複雑化し、そして個別にうまくやっている管理がかえって複雑化するということはないだろうか。

地方自治を犠牲にしたデジタル化の危惧

事務局を全省庁を統括する内閣官房に置いた、とのことだが、確かに省庁ごとに地域区分が異なっているなどの影響で、自治体の所属地域が複雑化しているということはあるのだろうが、それはさまざまな歴史的背景でそうなっているのだろうから、それを内閣官房の担当にしてどうにかできるということでもなさそう。しかも、地理的区分の違いで政策に違いが出るのだとしたら、そのこと自体の方がはるかに大きな問題であり、デジタル行財政改革とは別次元の問題ではありそう。不満などの声が出るのは個別の自治体からになりそうで、その風除けとして内閣官房を置く、ということだろうか。本来ならば総務省が聞くべきことを、例によって旧内務省潰しのような観点で内閣官房に対応させるということならば、またも地方自治の方向を中央が押し潰す、ということが繰り返されることになるのではないだろうか。

全体として地方自治の観点が非常に薄く、デジタルでシステムを中央に集約すれば上手くいく、という単純な理屈を振り翳しているだけのような印象を受ける。もっと地方の知恵が上手く動くデジタル化が構想できなければ、旗を振っても誰もついてこないのではないだろうか。

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