朝日の論調を追う ネット右派
ローカルの立場で議論する、と宣言しながら、全然更新もできなくなってしまっているが、言論空間は結局既存のマスコミの力が大きく、ローカルの立場で議論をしようとしても、なかなか安定した立ち位置にならない。何とか立ち位置を確保するための試みとして、全国メディア批判を行うことから何らかの手がかりを探ってみたい。
新聞に対する抵抗力もずいぶん強くなり、今どき新聞を読んでそれに影響されるなどという人もそれほどに多くはないのだろうが、それにつけてもとりわけ朝日新聞の議論垂れ流しは目に余るので、相手にするのも馬鹿らしいとはいえ、一応はネタとしてでも突っ込んでおいて、あまりに調子に乗るのをとめておく必要があるのだろう。
7月12日付18面文化欄で『安倍政権支えた「ネット右派」3潮流』という記事があった。2010年代のネット右派の特徴を、福祉排外主義、オタク・リバタリアン、相対的剥奪感を持つ旧中間層の三つの潮流で取り上げ、「左翼嫌い」の右派の広範な支持を集めたとする。そもそも、ネット右派なるものの影響力などは非常に限定的で、そんなものを岩盤支持層だと捉えること自体がかなりのミスリーディングであると言える。そして、ネットでの安倍政権への支持というのは、多くがその前の既存のマスコミに煽られる形で成し遂げられた政権交代に対する不満から生じているのだといえ、それを安倍政権への積極的支持層であったと定義することが間違っているのではないか。さらに、小泉・竹中構造改革が原因で没落し、それがその後継とも言える安倍政権への支持に繋がったという矛盾に満ちた分析は、マスコミに代表される左派的なインテリ層がいかに社会の分析を独断に満ちた視点で行なっているのかを浮き彫りにしていると言える。
3潮流はいずれにしても、普遍的福祉や、自らのライバルでもあるネットの自由規制を主張し、そして労働貴族を支持基盤とする左翼的インテリ層がとりこぼしている層であるといえ、いわば、自らの見捨てたものたちの呻き声に怯え、その幻想を安倍の岩盤支持層であると定義して一方的に叩いているだけの、単なる弱いものいじめのようにしか見えない。しかも、相手を特定すると問題になるので、存在が定かではないネット右派なるものをわざわざ作り出して、どこからも文句の出ないような形で自分たちの主張を一方的に捲し立てるという非常に見苦しい構図が浮かび上がる。
双方向で議論がなされるインターネットは、既存のマスコミよりもはるかに活発で生産的な議論が期待でき、ニュースはともかく、一方的に自分たちの主張を垂れ流すマスコミの論説よりも、はるかに多様で様々な角度から詳細に議論が行われる可能性が高い。その多様な議論のほんの一部を切り取って、ネット右派としてラベリングすることで、ネット上での議論を弾圧する下地づくりをするという、マスコミによる言論独裁志向の萌芽を示すこのような議論は、ネット上での表現の自由を抑圧し、多様な議論を制限することになる。実際、マスコミの別動隊とも思われる書き手がこのようなラベリングに基づいてネット上での言論弾圧をするという様子はずっと観察されているわけであり、自らは議論をできるような状態を作り出すこともせず、一方的にネット上の議論に特に身元を明らかにすることもなく混乱をもたらして活発な議論を制約するというやり方は、言論機関として、まあ同一性が保証できるわけでも何でもないが、とにかく全く尊敬に値するものではない。
自らが議論を解放する気がないのならば、インターネットでの自由な議論に介入してそれを制約するような態度は控えるべきであろう。さもなければ、マスコミは表現の自由を自らの特権化しようとするどうしようもない抑圧的な存在として、インターネットの歴史に深く刻み込まれることになるだろう。
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