記憶の狭間を埋める旅(9)
第一次世界大戦の直接的原因(2)
第一次世界大戦に至る原因を探るには、やはりドイツの動きをしっかりと理解しないとどうにもならない。前回カプリヴィ政権となって親英路線に舵を切ったというところまで見たが、その後、この路線はまた迷走する。この迷走がなければ、第一次世界大戦は避けられたのでは、という気もするので、その背景を追ってみたい。
イギリスの動向
まずは、相手であるイギリスの動きを追ってみたい。
この前の1902年の日英同盟がこの栄光ある孤立路線からの離脱の最初の一歩であったと言えるが、日英同盟については対独同盟であったのでは、との指摘を”第一次世界大戦前史(2)”でした。それはこの後の仏露との協商を見ても確認ができそう。Wikipediaではこの後その原因を
主にドイツの独断的な外交政策と、1898年からの英独建艦競争につながるドイツの海軍力増強に対応したもの
イギリスがドイツと同盟を組んでも、その他の列強たちと互角になるほどドイツは強くないため、協約を結んでもイギリス帝国の安全保障が達成されないことから、イギリスはドイツよりもフランス、ロシアを選んだ
との見方を示している。それは、ドイツに対する警戒度の違いだといえ、その意味で相互防衛を義務付けたものではない仏露との協商という形態をどう考えるのか、という問題だとも言えそう。
ドイツの事情
そこまで見たところで、ドイツ側の事情に戻ってみたい。
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