行政のデジタル化がもたらす権力集中リスク

効率的な行政のためにデジタル化を進める、というのは一見合理的に見える。しかしながら、そこに権力集中の合理化という目的が忍び込むと、その合理性は一気に不合理極まりない、ある意味で宗教的な上意下達、依らしむべし、といった権力にとって効率的な仕組みとなりかねない。

最近一つ目についたのが、マイナンバーの取得を予約優先とする、というある自治体の政策だ。もちろん、予約がなされた方が事前に準備を行うことができ、行政が効率化されるというのは、客観的に観察しうる事実であろう。しかしながら、それを優先させるという政策決定はいかがなものだろうか。予約をするというのは、これまで自由に時間管理ができていた市民の時間を一部とは言え”自発的に”制約させる。もちろん、それはほんの小さなことであるが、それは行政の効率化の名目で市民に負担を強いることになる。インターネットが使えなければ不利になるし、電話をかければ電話代がかかる。なぜ行政の効率化のために導入されるマイナンバーの取得のために市民がコスト負担をしなければならないのか。行政の効率化のために導入するのならば、内部的に勝手に番号を振れば良いだけの話で、そしてそんなことはとっくになされていることだろう。それに市民を従わせるためにコストを払い番号をいただきに伺わなければならない様にするというのは一体どういう感覚なのだろうか。

こう言った感覚が、効率化ということが権力を集中させて自分の都合の良い様に社会を動かすことであるという認識を強化し、そして加速度的に権力集中の合理化が行われることになってゆくのだろう。デジタル化がこの様に管理の強化につながるのならば、その様なデジタル化は行われない方がよっぽどマシであると言える。マイナンバーの様な、市民、国民の直接管理手段というのは、行政のデジタル化が相当程度進み、ここまでデジタル化し効率化されたので、別に取らなくてもそれほど影響はないですがマイナンバーがあればその恩恵をこれだけ得られるようになります、と言って、まさに自発的にその取得を勧める、というものでなければ、それは効率化が権力集中のためであるということを示すことになるのだろう。

社会の観点からすれば、効率的な行政とは、多様な意志が柔軟に反映されるものであり、権力によるプロトコル以外のものが排除され、不利になるという様なものは、非効率極まりないものだといえる。つまり、予約をしなければ不利になるという、権力側のプロトコルの押し付け自体が、すでに行政の非効率化を指し示しているものであり、そんなことのためにデジタル化が進められるのであれば、そんなものはなされない方がよほどマシである。効率性の感覚にこれほどまでの大きなずれがある中で、行政のデジタル化なるものが強引に進められているということが、それ自体権力集中の合理化のためのデジタル化であるといえる。私には、こう決まってこういうやり方しかできません、という方向に向けて進んでいる様に見える、その様な合理感覚で進められるデジタル化はあまりにリスクが高すぎると感じられる。それが定着したとき、一体誰がそれを監視し、方向の修正を行うことができるのだろうか。そのやり方を決めるのは、つまりマイナンバーの取得を予約優先にする、という様な意志決定をするのは一体誰なのだろうか。その様な市民に対する細かな行政コストの押し付けが徐々に進んだ先に一体何があるのだろうか。それが効率化された行政の姿なのだろうか。

社会的に効率的な行政を目指しているのならば、行政の各意志決定段階、つまり決裁や稟議の時点でその内容を利用者に公開し、その決定レベルの応じて必要な利用者サイドの賛成マイナス反対の必要数を定め、それが集まらないとその先には進まないというくらいの透明度の高い行政が求められるのではないだろうか。

マイナンバーは、健康保険証との統合が特に進められている様だが、健康保険証自体にすでに番号がついているものであり、それは身分証明に使えるほどに通用度が高いものである。そこに、屋上屋を架す様にマイナンバーをつけることに一体何の意味があるのか。もちろん管理側にとっての、国民の”自発的合意”によるその信用度の高い健康保険証の統合番号化への移行というのは非常に魅力的であるというのはあるのだろうが、それは権力サイドにとっての魅力であり、その様なものを利用者側が押しつけられないといけない理由はどこにもない。

効率的な行政とは、利用者に何かを押し付けることで実現されるものではない。押し付けが行われた時点で、それは権力集中プロセスに入っていると考えることができ、すなわちマイナンバーの押し付けがなければ進まないDXなるものは、決して国民にとっての効率的な行政とはならない。それが効率的だと考えているものの権力志向性は明白だと言え、その進める政策の合理性というのは、その様な権力集中のための、そしてそれに基づく合理性であると言えよう。

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