平成5年度決算からみる『河野談話』の位置付け

いわゆる『河野談話』からもうすぐ30年になると言うことで、その検証を喚起するためにも、別本で公開済みではあるが、平成5年度決算における河野洋平当時官房長官の影響力を分析したものを再掲したい。

平成5年度予算・決算の特徴

いわゆる『河野談話』が出た平成5(1993)年の予算・決算は、バブルの崩壊によって税収がすでに下り坂に入っていたのにも関わらず、補正前でも過去最大だった上に、選挙と政権交代による大型補正のために前年度を5兆円ほど上回る超大型予算・決算となった。目立つのは補正での大規模なばらまきで、選挙前の一次補正でも2兆円を超える規模、さらに政権交代後に二度の補正が入り、本予算から見るとかなり水膨れした状態となった。補正は公共事業が中心なので、いかにもばらまきという項目が膨らんでいるが、本予算段階でもこの予算はかなり特徴的であった。

郵政予算の大幅増

典型的には、後に郵政の民営化に取り組んだ小泉純一郎が大臣を務めていた郵政省で前年度の倍近い予算を計上しているということだ。これは、前年にNTTが携帯通信部門を分離させるなど携帯電話の普及段階に入り、通信の整備が重要になってきたということが背景にあると考えられるが、政治的には、まず組合の力が非常に強かった郵政省に飴と鞭の予算の大幅拡大と郵政民営化論を持つ大臣のセットで揺さぶりをかけたということがありそう。これにはさらに、かつてテレビの草創期に田中角栄が郵政大臣となり、電波行政をガッチリと握ってその直轄地のようになっていた郵政省は、参議院出身議員が大臣を務めることが多かったという要因が加わる。参議院では、河野洋平の伯父に当たる謙三が議長として強い力を持ち、脱派閥化を進めるなどして衆議院とは違う色合いの文化を作り出し、そして謙三はその力を使って佐藤降ろしに執着し、官僚出身の佐藤を揺さぶるのに郵政省の組合を道具として使った可能性もありそうで、結果として田中角栄内閣の成立に力を貸している。そんな動きの余波で、小泉の郵政民営化を党人派系の河野一族である洋平が後押しするということになっていたかもしれない。

実際そんな特徴を持つこの予算・決算は、内閣官房長官を務めていた河野洋平の色をあちこちに伺うことができる。そんな平成5年度予算・決算を順を追ってみてゆきたい。

皇室費

まず、初めに出てくる皇室費であるが、この年は当時の皇太子殿下と小和田雅子妃が結婚した年であり、予算制定時にはその婚約は定まっていたことから、皇室費にその分が計上されていてもおかしくないように感じるが、この年には皇室費は4年ぶりの低水準に抑えられている。元号が変わって3年間皇室費が伸び続けたが、そこから20億円の削減となっているのだ。これは結婚であまり予算を目立たせたくないという配慮もあったかもしれないが、その分の費用がどこから出たのかということが気になる。予備費からは確かに前年よりも多額が振り替えられているが、それでも前年の総予算には及ばない。

外務省予算

そこで、雅子妃本人も、そしてその結婚に伴い退官して顧問となったその父親小和田恆も務めていた外務省の予算を見てみると、こちらは前年から630億円の増となっており、平成2(1990)年度の湾岸戦争関連の予算は飛び抜けているが、それを除いても毎年順調に額を増やしており、その後も省庁再編直前の平成11(1999)年度まで増え続けている。仮にここから皇室費の代わりとして予算が出ていたのであれば、恆は外務省時代福田赳夫総理の秘書官を務めていたということもあり、繋がりとしてはそこが一番強そうで、そうなると赳夫の息子である康夫の大学時代の同級生であり、のちに外務大臣も務めることになる河野洋平が絡んでいた可能性もありそう。

総理府 国際平和協力本部予算

また、その前年に総理府内に設置されたPKOに関わる国際平和協力本部の予算も倍増以上の5億円を超す大幅増となっている。内閣ではなく総理府なので官房長官とは直接は関わらないのかもしれないが、所管の大臣がいなければ官房長官として外務省よりも使いやすい組織であったかもしれない。自衛隊ではなく文民警察官の派遣であったカンボジアは、防衛本庁の予算はほとんど横ばいであることもあわせて、こちらの総理府国際平和協力本部から出ていたということになるのだろう。予算額を見る限りでは、平成3(1991)年の自衛隊ペルシャ湾派遣は予備費から外務省の国際分担金其他諸費に、平成13(2001)年の自衛隊インド洋派遣は予備費から防衛本庁に付け替えがなされているように見受けられる。自衛隊といえども海外派遣の費用を防衛予算から出すべきか否かというのは一つの論点であるといえ、その点で海外派遣の予算を担当大臣のいる防衛庁ではなく、それのいない総理府直轄で自衛隊予算とは別立てで出すということへの布石であったかもしれず、その意味づけ、そしてその知恵を誰が出したのか、ということを含め、検証の必要がありそうだ。

文部省予算

文部省予算の中では、体育振興費が前年よりも40億円弱、翌年よりも50億円以上多くなっている。確かにこの年はリレハンメルで冬季オリンピックが開かれ、そして次の冬季五輪は長野で開かれるという事情はあっただろう。しかしながら、その長野オリンピックが開かれた平成9(1997)年度予算に至ってはこの年よりも100億円近く少ない。経済状況があるとはいえ、あまりに差が大きすぎる。河野一家は、父親一郎、伯父謙三共に早稲田大学で駅伝の選手となっていたというスポーツ一家であり、一郎は東京オリンピック当時、その担当大臣ともなっているほどにスポーツへの思い入れが強かった人物である。それを考えると、この不自然な予算配分に河野洋平が関わっていたとも考えられるだろう。

というのは、この時の文部大臣は女性の森山真弓であったが、河野洋平はこの森山を差し置いて婦人問題担当となっている。Wikipediaによれば、本人は森山を差し置いては、と断ったが、宮澤総理に説得されて受けたというように書かれているが、実際のところは唯一の女性閣僚である森山に婦人問題を担当させて風圧に晒すのはあまりに無謀であり、それを理由に河野自ら婦人問題担当を買って出たのではないだろうか。文部省予算はこの年前後の年よりも多くなっており、かなり色がついていると言えそう。そしてその中に不自然な体育振興費が含まれるということで、河野洋平の関与が疑われる。

厚生省予算

さて、問題の厚生省予算を見てみる。他のところの予算項目の並び順はほぼ前年と同じだが、この厚生省の予算はその並びが大きく変わっている。

(原爆障害対策費)

まず、原爆障害対策費が結核医療費よりも上に来て、その予算額が25億円程度増えている。前後にあった結核医療費も精神保健費もここまで漸減から横ばいとなっているのに、当時戦後50年に近づいていた中、この原爆障害対策費はずっと伸び続けている。結核はともかく、精神疾患は社会が現代化すればするほど増加しそうに感じるが、その対象者が全国にいるはずながら漸減している。精神疾患対応の3倍以上の予算を持ちながら、さらに増え続けているのがこの原爆障害対策費だったのだ。

(婦人保護費)

続きを見てみると、社会福祉関係の費用が上に来て、そのあと生活保護費の次に婦人保護費が二つ順序を上げている。予算額自体はそれほど大きく増えてはいないが、この順序を身体障害者保護費と老人福祉費の上にわざわざ上げたというところに婦人問題担当となった河野洋平の影が浮かぶようだ。

(災害救助等諸費)

ついで災害救助等諸費が35億円弱で計上されている。これはおそらく通常は8.4億円の定額計上で、使わなかった分は不要分として戻し、足りなかったら予備費から計上するという仕組みになっていたと思われるが、この年は予算段階でこの額が計上されている。これは予算審議中に能登半島沖地震が起き、さらに7月には北海道西南沖地震も起きたからだといえそうだが、予備費からの計上もなく使い切りとなっているのはいかにも不自然。これは推測に過ぎないが、もしかしたら、文民警察の海外派遣の費用はここからも出る可能性を残しており、結果として出たとするのかあるいは二つの地震で使い切ったとするのか、という選択肢を保持していたのではないだろうか。それほどPKOの海外派遣の扱いというのは議論となり、難しいものだったのだと考えられそう。

(遺族及留守家族等援護費・戦没者追悼平和記念館施設費)

さらに続けて見ると身体障害者保護費と老人福祉費の間に遺族及留守家族等援護費、そしてこの年初めて現れる戦没者追悼平和記念館施設費が20億円計上されている。これは、遺族及留守家族等援護費が年々減少する中で、その浮いた予算をどうするのか、という声に対応したのではないかと考えられ、科学技術庁管轄の原子力平和利用研究促進費が過去最高水準となっていること、そして2年後の平成7(1995)年河野洋平が外務大臣の時に厚生省予算から原爆死没者追悼平和祈念館施設費が計上されていることを考え合わせると、この段階ですでに戦後50年に向けて原爆をどのように政治的に用いるのか、ということを考えて、この戦没者追悼平和記念館施設費計上の知恵を出したのではないだろうか。

その後にようやく老人福祉費、児童関係費用、そして母子福祉費の順となる。婦人問題担当として婦人保護費の順序を上げることでお茶を濁しても、児童、そして母子福祉費がこのように下に置かれたことで、いかに婦人問題というものを政治的に都合よく利用していたかが垣間見える。そしてその延長線上にいわゆる『河野談話』があるのではないだろうか。

日本低落のきっかけとなった予算

最初に見た通り、この予算はバブル期の貯蓄を全部使い果たし、その後の日本経済の低落を決定づけたとも言えるものだった。せっかく5年間続いた赤字国債発行ゼロはこの年で途切れ、そこからあとは借金が雪だるま式に増えている。この日本経済の分岐点となった予算の裏側では、戦後50年に向けた日本解体計画とでも呼べるものが密かに進んでおり、それがこのように予算のあちこちに顔を出している。その後に起こった日本社会の崩壊とも言える状態は、この予算編成の意図から必然的に起きたのだとも言えるのではないだろうか。その象徴とも言えるいわゆる『河野談話』について見直しを行うことなしに、日本社会、そして経済の復活はあり得ないのではないだろうか。

参照
財務省 予算書・決算書データベース
https://www.bb.mof.go.jp/hdocs/bxsselect.html

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