マガジンのカバー画像

広島から臨む未来、広島から顧みる歴史

37
広島を基点に考える歴史と未来。 いかにして広島を寛容と対話の地域にしていけるか、などと大それたことを、余所者が考えています。広島にはその可能性が満ち満ちている、と考えていますが、…
運営しているクリエイター

#広島

続・広島から顧みる歴史、広島から臨む未来(5)

地方自治の推移1前回郡区町村編制法のところまで見たが、そこからは自由民権運動が急速に活発化する。その点で、自由民権運動とは、近代化に伴い中央集権によって国家を動かしてゆこうという流れに対して、地方ごとの自治を重視して民権を強化しようという、ある意味で地方分権運動であったとも言えるのかもしれない。 自由民権運動と小田県 自由民権運動の始まりは、明治7年1月の板垣退助、後藤象二郎、小室信夫による『民撰議院設立建白書』を嚆矢とするのではないかと考えられるが、それは、小田県の統治

続・広島から顧みる歴史、広島から臨む未来(2)

備後福山1備後地方の中心都市、福山市。駅を降りてすぐに聳える10万石には似つかわしくないほどの立派な天守を構えた福山城。草戸千軒という中世都市の流れを汲み(?)、南には瀬戸内随一の港で、一時期は室町幕府がその居を構えた鞆へとつながるなど、歴史的な要素には事欠かない街ではあるが、見てみると様々な違和感が去来する。結局その違和感のためか、あまり街を見て回ろうという気持ちにもならず、城とその隣の博物館だけを見て終わりにしてしまったので、それで一体何がわかるのか、と言われたら、その通

広島から臨む未来、広島から顧みる歴史(21)

株式会社改革への道1 銀行制度の確立帝人事件がらみで株式会社の歴史について調べたくなり、会社法の整備の流れがわかる本を探していて、『日本会社法立法の歴史的展開』という本で大まかな流れが掴めたので、何回かにわたってその要約をしながら、最終的には株式会社制度をどうしたら良いか、ということについての私案をまとめてみたい。引用ではなく感想込みの要約なので、解釈が間違っているところがあるかもしれないことは事前にお詫びいたします。 幕末の動き まずは、幕末における西洋との接触から、会

広島から臨む未来、広島から顧みる歴史(6)

毛利氏の故郷 郡山(吉田)歴史方向での話は、幕末の広島藩浅野氏の動向まで進めた。ここで、その浅野氏が気になって仕方がなかった毛利氏の故郷、安芸郡山、支藩が吉田として成立した場所について考えてみたい。 郡山(吉田)の地理的概要 郡山、というか、郡山というのは元就が建てたとされる城がある山のことだと思うので、その下の盆地のことをいったいなんと呼んだら良いのか悩んでしまうところだが、そこを広島支藩が吉田と名付けたのではないかと考えている。元々はもしかしたら可愛川(江の川)のもう

広島から臨む未来、広島から顧みる歴史(5)

原爆へと至る道今度は未来について書くべきなのだが、出発点を原爆とした以上、なんとかその起点とうまく繋げていかなければならない。そこで考えたいのは、原爆はいかにして広島で既成事実となって行ったのか、ということだ。それを読み解くには、やはり前々回も書いたように、宏池会の得意とする財政政策がいかにして発展していったか、ということを読み解いてゆく必要がありそう。戦後においてそれを主導したのが大蔵官僚出身であった池田勇人であるというのは揺るがないところであろうが、池田勇人がいかにしてそ

広島から臨む未来、広島から振り返る歴史(3)

未来を臨み、歴史を顧みる昨日までで、広島サミット後に見えてきた風景を、主としてそこではあまり議論にならなかった経済的な側面から見てみたが、今noteではせっかく創作大賞を開催されているということで、『広島から臨む未来、広島から振り返る歴史』、というような内容で、未来についてと歴史についてを交互に書いてゆくような、いわばVisionary EssayとNonfictional-Fictionの組み合わせのような二本立て連載を書けるところまで書いてみようと思いついた。何が書けるの

広島から臨む未来、広島から振り返る歴史(2)

広島後の世界 ー 経済的側面からさて、昨日資本主義が経済学の枠組みを乗り越えてさらに大きく成長しつつあるのでは、というようなことを書いたが、主義ismは明らかに主観であり、主観の集合体が客観的思考フレームワークとも言える経済学を乗り越えた時、一体何が起きるのだろうか。 合成の誤謬の常態化 基本的にはそれは合成の誤謬であり、経済学において完全情報であったとしてもミクロの総計がマクロになるわけではなく、その意味で現状はミクロのismがマクロを凌駕している状態であり、合成の誤謬

広島から臨む未来、広島から振り返る歴史(1)

広島を訪れて散々サミットについて色々書いてきた(煽ってきた?)のに、その現場に行かないのもいかがなものか、と考えて、サミットから20日間余りの間、広島とその周辺を訪れてきた。もちろんサミット自体に何らかの直接的関与をしたか、と言えばそんなことはないわけだが、その雰囲気を感じられただけでも大きな成果だった。そしてそれ以上に、広島(市というよりもその周辺を中心とした県全体ーもちろん全てを訪れたわけではないが)という場所の非常に重層的な歴史的な蓄積を感じられたことがさらに大きな成果