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泣かされて帰ってきた日

その日は、私も上司のイワさんもあまり調子が良くなかった。私は、どこかぼうっとしていて、家でユニホームを揃えている時、なかなかトートバッグが見つからなかった。

そう、私は、五年近く前から調理補助のパートをしている。

上司のイワさんは、調理師で、以前はここの会社のサービスマネージャーだったが、奥さんの介護のため、時間を取りたくて事業所のチーフに自ら降りていた。
よく、早番パートの私と組む機会があるのだが、イワさんが疲れているときには、周りに嵐が吹く。
イワさんは、頭が良すぎるのだ。頭が良くて周りに苛つくことが多い。そして、ノイローゼになりそうなくらい、頭が良いと見受けられる。
故に小言も辛辣になることがあった。だから私はイワさんが疲れているときや、寝不足で眼が爛々と光っている時は、警戒して、同時にその日は「仕方ない」と、諦めていた。
どうしょうもない日はある。一緒に働いている以上は、バディの体調が悪ければ、波をかぶることは仕方ない。

その朝のイワさんは、最初から眼が爛々として、明らかに寝不足だった。的に得た判断が出来るとは限らなかった。苛ついてたら、コチラのことも曲解するパターンだ。

いつもなら、コチラの精神状態だけは、余裕を持って職場に向かえていた。この頃は、そうしていた。イワさんがチーフになってから、色々トラブることが増えたから、ますますコチラが精神的に余裕がないと、私はぶつかって衝動的に辞職を願いだしかねない。原因は、ミスの多いメンバーが、この事業所では特に多いらしい。何故かは知らないが。

私が、いろいろ仕事場に於いてや、若い頃の級友に言われたことのトラウマで、びくびくしながら仕事をすることが多いせいで、却って組んでる人を疲弊させていたことに後々気が付いて、今ではそんなに小さくならないで、落ち着いて仕事をするようになったが、

イワさんは、ここの事業所に来てから何とかここの低過ぎるレベルをアップさせようと試みるが、兎に角、小言が長かった。国語の方で頭が良い人の特徴にあるが、言うと長くなることが多かった。それで、みんなの反感を買った。

それに、奥さんの介護や他の事業所への援護へも行っていて、少しオーバーワーク気味で疲れていることが多かった。なので、神経がすり減って、本人が言いたくない事まで言ってしまっているような感がある。かなり辛辣だ。
そのせいで、周りに嫌われてしまっているが、
イワさんは、根に持ったり、それでいつまでも相手と争ったり、あとを引くことが無いのだ。
その辺は、私は認めている。

一旦、言い争いになると相手に悪い印象を抱き、そのまま引き摺ってしまう人が世の中に多い中で、
その辺は、実にあっさりと、気持ちのいい人だった。
そこは、イワさんの長所だった。
それに、疲れてなければじつに良い、人格者の一面も見せ、ユーモアもある。
サービスマネージャーに登った人だけのことはある。
ただ、欠点は誰にもあり、オーバーワークしてしまう時も人生にはある。同じ職場でイワさんに、逆に根に持っている人は多かった。

その日の、イワさんは、完全に寝不足で苛立っていた。

私が、提供する食事で、

いつもより、手間がかかる工程で、どうしても遅れを取った。

イワさんが責める。

お前、上に配膳に行ったとき休んでるんじゃないだろうな。

私は、私の性格を誤解してます、と応えた。

私は、普段ジョークばかり言うが、

かつては、真面目すぎる鈴木さん、と言われていたのだ。

皆は、知らないが、

それで、心を病んだのだ、と言われることもある。

イワさんは、寝不足だったり、疲れていると、とにかく怒りや、ミス、小言が多くなった。

しかし、五年近く、ここに居るとわかる。季節の変わり目とかで、この脳外科の患者さんが増えるのが。

私たち、厨房の人間が、

いつも通る峠道だった。

患者さんが混みだすと、皆 苛ついて、まともな神経ではやっていけない。

それでも「今日はこんな日」と割り切って、

この度々訪れる嵐が抜けるのを待つのだ。

この日は、そんな日だった。

私は、朝、イワさんの状態を見たときに覚悟していた。イワさんの嵐も吹く。

兎に角、何があっても短気は起こさないよう。

しかし、怒鳴られ、曲解されたあとに、

盛り付けしながら、私が捨てて来た家を想った。

私は、駆け落ちしてきた。

家には帰れないが、父母が恋しくなった。
それでも、泣かなかったが、
丁稚奉公だった父を想い、
かつて、働くことが、体調もあって出来なかった私を想った。

三十代の頃は、逆流性食道炎、足底胸膜炎(足が痛くなる症状)、過敏性腸症候群などで、働きに出られなかった。

メンタルの方の不調が治っても。

遅いスタートだった。

今は、五十を過ぎている。

(働けるだけマシなのだ、働けるだけ)
(働けるよろこび…)
そう思ったら、泪が出た。

人前で泣くのは、

二十代の頃、ファミレスで食事して泣いて以来か?(いまは、訳は言いませんけど)

その時、同じ厨房で「経管」と言って栄養剤を流し込むチューブを洗っていた栄養士さんも、イワさんにも、

顔は見ないのに気づかれたようだ。

私は、泣いていた。

イワさんに私の性格を誤解されたことでもない。

怒られたことでもない。

働けるヨロコビを思い出しただけで泣いていた。

「私は、働き続けたいんだ」

結局、巻き返して、

洗浄が終わる頃には追いついた。

時間以内に終わって、

帰ってきた。

「働けるだけでも、しあわせなのだ。働けないあの人たちもいる」

知り合いの何人かの働けない立場の人を想った。

子宮内膜症だったり、神経が弱かったり、ノイローゼだったり。

私の友達は、そんな人が多かった。

働きたくても能力がなかったり。

世の中にはそんな人もいる。

そんなこぼれものの中から、

私は、五年近く、

男の人でさえ逃げ出すことのある、

調理補助で働いていた。




翌、勤務日に

イワさんと組む日にまた出勤した。
「泣かない えみちゃんが泣いた」と言うのは皆聞いてもすぐ忘れる。

イワさんも、思った通り この間のことをいつまでもネチネチとは引き摺っていなかった。

眼は爛々としてない。

思いっきり仕事がして帰れた。



              おわり

画像は、木村篤志さんの
    「今日の一枚」です🌸

     有難う御座いました🍀


©山田えみこ.2022.12.4.

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