小学生に制服はいらない?

小学生に制服は必要か?
私の結論は、否、である。

子供の自主性を育てるという意味で、子供には、自分で服を選ばせたほうが、よいのではないか?

制服は、いちいち考えないでいい、生徒全員が平等だ、などの利点があるが、子供には、自分で考え、決められる自主性は まず、持ってほしいと思うのだ。

私は、割と 自分で物事を決められないほうだ。
両親が、大事に育てたのか、なにかを決めるときは 両親がレールを敷いて その上に私は進んできた。
その上、母が 性格の強い人で、自分の決定を最優先させてきた。
私が、希望を言っても、結局のところ 自分の意見に落ち着かせてしまう。

そんな母のもとで育ち、決定権は母のまま、子供の私は 楽なのもあって 物事を自分で決めることはほぼなかった。

後で、失敗したら、母のせいにできるという姑息なこともあり。

それこそ、服も 学校も 母が決めた。

そのころの学研の雑誌も、取るのは「学習」と、「科学」のうち、「学習」のみ。

「女の子には、理系は必要ない」という方針だった。私は、理系も学びたかったが、それは喜ばれなかった。

ナイフなどの刃物も、料理で、小学3年の頃には使いたかったが、母が止めて小学6年になってから。

なんでも、母が強制的に決めてしまうので、私は諦め癖がつき、物事を選ぶ自主性は乏しかったようだ。

しかし、私は 自主性を持った子供に憧れた。

自分で、生活や人生の何でもを決めて、自分で情報などを集め、決めていく。生き生きとしていて私には眩しい。

そういう人間は、人生も成功しているようにみえた。

前向きに、すべてを考えて、行動していくので 明るい性格の人が多く、人からみても魅力があって、友人も多い。  

私は、せめて 自分で学校を決めたり、吸収する習い事は自分で決めたり、そして人生を決めるのは自分でありたかったと思う。  

自分の責任で、自分の人生を選び、自分のことをちゃんと生きていく人間になって生きていければ、と思った。

そうであれば、積極的に人生を切り拓いて、親のせいには、ぜったい出来ない。自立した「個」の自分で、「1人前の人間」になれるのは、可能性としてはかなり高い。

「自立」した、「1個の人間」、「1人前の人間」を育てるうえで、服くらいは自分で決めるのも、考えること、判断力、決定力を育てるのに助けになるだろう。

「決められる人間」を育てるには、子供に自由に服を選ぶ毎日を過ごさせたらどうか?


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