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体育会系調理補助ー最終回へ③ー勇なき者は去れ

私は、首都近郊の病院で調理補助のパートをしています。もう、5年半。けれど、親戚の事情でもうすぐ辞めます。

食堂配膳へ、私は3階へ駆け上がります。
東に窓のある病室からは、明るい初秋の陽の光。

突き当りに、いつもお菓子などを交換する掃除のおばさんがいました。私は「今日も、暑くなりそうですね」と、挨拶して通り過ぎました。
(あ……)
もうすぐ、私は辞めてしまうのに、それの挨拶を忘れた……けど、また会うかな? 次に上に来たときに。

残念ながら、そのおばさんとは もう会えなかったのです。
そのおばさんは、仕事が早く、きれいに床を磨くのが上手い方で、私にアメをくれたり、信玄餅をくれたり……、目を掛けてくれます。私も、お返しにアメやグミなど……。

ゴミを捨てに行くと、病院のタクシー乗り場でにこやかな顔立ちの懐こいおじさんが、手を振ってくれます。この人にも言いそびれてしまった……。
このおじさんは、仕事でないときも、私が病院の前のバス停に向かっていると、気がついて手を振ってくれます。

心温かな、やさしい人たちに囲まれて、私は幸せを噛み締めて仕事をしていました。

こんな、温かい町がまだあった……。

職場に戻ります。
その日の盛り付けの、最後の格闘が待っていました。
判断力、決断力、注意力、様々なことが要求されるもので、私は心の中で「怒られるのを覚悟で」思い切って先に進めるときがあります。
流れに乗って一気にやらないと却って時間が掛かるときがあり、そのときは怒られるのを覚悟で進めます。

もちろん、アレルギーチェックミスなど、絶対に許されないことはしません。


「勇気」が必要な行動……。
私は、心の中で
(このくらいの勇気がなきゃ調理補助なんてやってられない)
と、思います。

そう、勇気、
勇気……。

(勇なき者は去れ……)

これは、この調理場で謂われていることではなく、私の心のなかで独りでに言ってる言葉なのですが、退職する前には、私にはだいぶ勇気が付いてきていました。
最初からあったのではなく、私のこころの中に無いところから育った小さな花のような。

一瞬場違いにも思えますが、

昔のひとの訓えのように「智」、「勇」、「仁」、「礼」、「義」、「悌(目上を敬う)」というように、心のなかに浮かぶと為になるものが、今更のように浮かんでくるようにもなりました。

それは、職場で上手くやっていくために私に必要なこととなって浮かびます。

調理補助の仕事が終わるまでの日数の終盤、私は何度か「下手に口を出すな」と、注意されても、後輩の仕事に滞るところがあると 自分の手を止め、アドバイスをしていました。それが、正しいと思ったからです。それも勇気なのかも。

ずっと前、私がBちゃんに注意して泣かれてから、神経質になっていた周りも 今では、何も私に言わなくなっていました。

やっと、自分も 責任持ちたい、勇気を持って行動したい、そして周りとの協調も……、もっと上達したい、と思えるようになっていて、しかし、それは遅過ぎた心の開花だったのです。
 

 

            次回、最終回

©2023.930.山田えみこ


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