見出し画像

とりあえず「流れ」に乗っかってみたら、こんな所に辿り着きました。

今年、一番の私の思い出。

それは、11月に開催された地元の【市展】で『市展賞』をとったことです。

25年ぶりに書いて、いきなり最高賞をいただいてしまい、自分でもビックリでした。いただいた賞金は、そのままにしているとうっかり使い込んで無くなっちゃいそうだったので(汗)、手堅く定期預金にしました。

◇◇◇

今回のこの受賞に至るまでの経緯ですが、唐突にパッと思いつきで書道を再開して出品したら受賞した・・・という訳ではないのです。

実は、ここまでに至るに不思議な流れがあって、その流れに乗っかっていったら、自然とそうなっていった・・・という感じなのです。

まず、ことの発端はこちら・・・。

ちょうど1年前の11月に、東京方面に行く用事があり、最終日にちょっと寄り道して日暮里駅から谷中へ、ぶらり散策したのです。

そのとき、偶然、朝倉彫塑館を見つけて、興味本位で中に入って見学させていただきました。これは彫塑家・朝倉文夫のアトリエ兼住居を改装した美術館です。こういう明治時代の雰囲気が残る洋館、すっごくスキなんですよ。

建物の中は超ステキで、そのモダンさに萌えまくりました。順路に沿って歩いていき、2階の和室に入ったとき、私はそこに飾られてあった額を見て、一瞬動きが止まりました。

なんと、その額は、中国の清の時代の文化人であり書道家である「呉昌碩」の篆書の作品だったからです。もう息が止まるかと思うほど驚きました。

だって、私が大学時代にお手本にしていたのは、今、自分の目の前にあるこの作品(呉昌碩の篆書)だったからです。

それは小さな額でしたが、朝倉氏がコレクションしたもので本物だそうです。日本国内で、まさか偶然見つけて入った美術館で、呉昌碩の本物の作品に出会えるとは・・・。宝くじで一等を当てるくらい難しいことです。

この時、私は、自分が学生時代に書道をやっていたことをハッと思い出しました。「思い出す」というくらい、私は書道から遠く離れていました。

◇◇◇

この不思議な呉昌碩との再会の後、高校時代に同じ書道部だった友達とメッセンジャーのやりとりをしていて、その時、東京で顔真卿展が開催されていることを教えてもらいました。

顔真卿は唐の時代の書家なのですが、高校時代の私は、顔真卿のエネルギッシュで力強い書風が好きで、よく臨書していたのです。それを彼女はよく覚えていてくれて、私に勧めてくれました。

これも私はすっかり忘れていて、彼女に言われなければ、顔真卿にはまっていたことを思い出すことも無かったでしょう。

呉昌碩と衝撃的な再会をした後の話だったので、これも何となく気になり、今年の2月に東京国立博物館で開催の顔真卿展へ行ってみました。

顔真卿の直筆『祭姪文稿』が直に見える・・・ということで、日本国内よりも中国本土からの見学者が多かったようです。いつもは台湾の故宮博物館に所蔵されてあるそうですが、当の台湾でもなかなか見ることができない国宝級の超お宝作品です。

私が行ったときも、かなり待たされました。「祭姪文稿」用の大行列は、私の前にいた(書道を習っているっぽい)日本のおばちゃんグルーブ以外、残りはほぼ中国人だったと思います。

この時の様子は、私のこちらの別ブログに書きました。良かったらご覧下さいませ。

この時、私、不覚にも中国に対して「懐かしさ」を感じました。昔の王朝時代の中国文化。もしかしたら私の魂は、古き良き中国の時代を生き抜いた経験があるのかもしれません。

こうして顔真卿展を見て、中国の文化も含めての「書」に、私はもともと縁があるんだな・・・ということを自覚しました。

◇◇◇

そして今年の春。

高校時代の書道部の恩師から連絡があり(これもウン10年ぶり)、「地元の書道の研究会に入って、一緒に作品を作りませんか?」と声を掛けていただきました。

呉昌碩→顔真卿・・・と、かつて夢中になって取り組んだ書道の聖人との再会に不思議なものを感じていたのですが、その流れで、今度は「作品を作る」というところに話が行き着いたのです。

これにも不思議なご縁を感じました。

しかし正直なところは、「書くのは面倒臭いしなぁ・・・」とか「煩わしい人間関係は嫌だしなぁ・・・」とか、ネガティブなことがたくさん頭をよぎりました。でも、先生に熱く説得されて「大学まで行って書道を学んだのに、止めるのは勿体ないよ!もうお子さんも手が離れて自由になったんだし、一緒にやりましょうよ!」と。

あまりの熱意に私も圧倒されて、「それなら・・・」とお受けしました。

◇◇◇

こうして夏。

仲間に入れていただいた書道会の研究会が開催されて、私も参加させていただきました。

その帰りの記事がこちらです↓。

中橋近くにある書道会代表の先生のお宅のアトリエで、私が書いた作品を見てもらいました。この代表の先生、実は私が高校時代に他校の書道の先生をしていた方で、その頃から知っている方です。

私を熱心に誘ってくれた高校時代の先生も含めて、昔の恩師の先生方に囲まれて・・・の再デビューでした。

ここでいただいたアドバイスを基に、今年の夏から秋にかけて、私はたくさん作品を書きました。

書いていくうちに、どんどんコンプレックスの角がとれて、楽しくなっていきました。

更に、学生時代を思い出して、自分たちで裏打ちや表装もしちゃいました。

高校時代の先生にはこのとき大変お世話になりました。昔に戻って、楽しくキャピキャピと作業をしました。実家の父にも手伝ってもらったり・・・。自分の書道の原点を、この時、ふと思い出しました。

自分で作品を表装するなんて、もう30年ぶりですよ(笑)。忘れていたこともたくさんあったけど、本当に楽しかったです。

◇◇◇

そして9月の書道展。

この時、私が出品したパネル作品、呉昌碩・臨「石鼓文」。

これが意外と好評で、すごく褒められたのですよ。

それで、「じゃあ、この勢いに乗っかって、このまま市展に向けて、もう一つ作品を書いちゃおうか」と思いました。

◇◇◇

市展出品に向けてヤル気になったら、書道展で出会った篆刻の先生に、私の篆刻を彫っていただくことになり、、ここでも不思議な流れを感じました。最初は自分で彫ろうか・・・と思っていたので、本当にありがたかったです。

たくさん書いて、書き上げて、表具に出して、なんとか終了・・・。

頑張ってヘトヘトになりましたが、私の心は「出し切った感」で満たされていました。

そして・・・。

11月。文化の日に開催された市展。お陰様で市展賞をいただきました。

私の作品が新聞や広報誌に写真で掲載され、たくさんの方から「おめとでとう」と祝福され、壇上で賞をいただきました。自分のことなのに、自分じゃないみたいな不思議な感覚でした。フワフワと宙を浮いているような・・・夢心地な気分でした。

◇◇◇

思えば、昨年の11月。

東京の谷中の朝倉彫塑館で、偶然「呉昌碩」の書を見つけて、身体が震えるほどの衝撃を得てから、ちょうど1年・・・。

柔らかい秋の日差しが入る大きな広間で、呉昌碩の篆書の額の前で呆然と立ち尽くしたとき、まさか、この後、懐かしい恩師に声を掛けられて書道を再開し、作品を作って、それを市展に出品し、最高賞をもらう・・・。まさかまさか、そんなこと微塵も感じなかったし、夢にも思いませんでした。

でも、そうなったのですよ。

成っちゃったんです。

自分でもビックリ。

「何十年もブランクがあるから無理だ」とか「稽古していないから書けるわけがない」とか、そん自虐的な常識や固定観念が、書いている最中に何度もドバドバでてきたけど、そのたびに、そういう意識を取り除いて、「この流れにとりあえず乗っかってみよう・・・」と思いました。

自分を信じてみる・・・これに賭けたのです。そうそう、つまりは「大博打」。そして、自分の直感を、自分自身を、とことん信じて信じ抜いた結果、ここに至ったのです。

◇◇◇

縁とは本当に不思議・・・。

あまり難しく考えず、常識にとらわれず、心に感じたままに動く。やってみる。取りかかってみる。

それでちゃんと何かが巡ってくるのですね・・・。

巡ってきて、私の手元にちゃんと届くのです。

流れを止めない。流れに乗る。

抵抗しない。信じてみる。

この流れがどこに行き着くのか・・・なんてことは考えず、期待もせず、ただこの過程を自由に楽しみながら、流れていく。

すると、流れた先に、私たちの想像を超えた面白い経験・新しい経験が待っているのですよ、ね・・・。

もうビックリの展開。でも、すごく楽しかったなぁ・・・。

これからも、もっともっと流れに乗っかっていこう、最果てまでいってみよう・・・と思いました。

好奇心が赴くまま。

軽く、自由に。

この記事が参加している募集

よろしければサポートお願いします!いただいたサポートは旅の資金にさせていただきます✨