シナリオライターの視点
ようやく抜けた。
視点が、シナリオライターのところまで行ったのだ。わたしが、わたしの人生を創っている。出会う人も起こる出来事も、すべて、わたしが描いたシナリオ。その視点だ。
エネルギーが落ちている(波動が低い)と起きている現実に右往左往してしまう。まさに、その状態だった。が、渦中にいるときは、それが観えない。
今は、心が穏やかだ。静寂がある。
朝、瞑想しているとき、ベトナムの朝を思い出した。これがやってくるときは、わたしにとって、集合意識からの解放である。
3年前、わたしは、ベトナムの世界遺産都市ホイアンで半年ほど暮らした。日本から離れただけで、あらゆる不安から解放されたのを覚えている。途中、ビザの更新で東京へ戻ったとき、何もする必要などないのに、何かしなくちゃいけない感に苛まれた。しばらくして、これは集合意識だと氣付いた。東京は人が多い分、良くも悪くも集合意識の影響を受けやすい。
今は、田舎で暮らしているので、東京ほどではないが、エネルギーが落ちていたので、ネガティブな集合意識と同調してしまったようだ。瞑想して、そうだそうだ。と思い出して、自分に還ってきた感覚があった。
ただいま。
今回の人生、わたしの魂が望んでいることは、霊的進化=精神的成長で、そのためのシナリオが展開されているとは思うが、苦しみを乗り越えることでそれを成しえるのではなく、自分に眠る可能性を活かしていくことで面白おかしく愉しむことで霊的進化=精神的成長を成し得たいと少し前に思っていたことを思い出した。
苦しみを乗り越えることで成長することは、おそらくもう経験済みだ。
ここから、また新しいシナリオを描いていこう。
☆みんなが生きたいように生きて好きなことで循環していく社会へ回します☆