乾貞治の使った催眠について
はじめに
『テニスの王子様』屈指の名試合・関東大会決勝戦・柳蓮二VS乾貞治(Genius209-215)については、当初から大きな疑問があった。
「なぜ柳蓮二は、"いくぞ貞治 覚悟!"に至るまで、試合が乾貞治の意図したとおりに進行していると気が付かなかったのか」
柳蓮二は、全国大会2連覇中の立海大附属中男子テニス部における参謀、智将である。その彼が、いかに過去の因縁ある相手を前にしたからといってそんな抜かったことをするだろうか?
この疑問を前に、今までの私は「それほどまでに過去のつらい別れの記憶を遠くへ追いやっていたのだなあ」とエモい納得をして過ごしてきた。その納得をもとに、柳蓮二はお別れが苦手なのだと考えてもいた。
……しかし、違う見方もあるのではないか。そんな話をここから書いていく。
分析方法:NLP(神経言語プログラミング)
最近、私事だがカウンセリングの技術向上のためにNLPを学んだ。
NLPとは、コーチングの仲間である。コーチングだったら知ってるという方もいらっしゃるのではなかろうか?
NLPは「神経言語プログラミング」の英称略で、「人間個々が持つ五感・認知・概念化のフィルターを、言動から把握し、深層意識にアクセスする行動心理学」である。※詳しくはググってください。
「言動」から「心理」を読む訓練を受け、今いろいろなところでそれを応用しているわけだが、私は同人をやる成人なので、暇なときはプロファイリング対象者としてよくキャラクターを相手にしている。そこでいまさっき思い当たった。ずっと疑問に思ってた関東大会決勝戦の乾貞治をNLP的にプロファイリングしたら、どうなるんだろう、と。
はじめに簡単に、NLPで今回使おうとしている分析の分野を説明しておく。
NLPでは、カウンセリング(またはコーチング)対象者を「クライアント」と呼ぶ。一方実施者を「ガイド」と呼ぶ。(諸説あり)
今回は柳蓮二=クライアント/乾貞治=ガイド のワーク(試合)全体を、私(ガイド)が分析する、という立ち位置で解析していく。
NLPでは、ガイドがクライアントに対して有効な質問や働きかけを行い、クライアントの内面に変化をもたらすことができる。
たとえば、悩みを抱えて袋小路に入ったクライアントに、別の視点で物事を捉えるような質問を投げかける。このとき、決して「~したほうがいいよ」みたいなアドバイスはしない。ガイドはただ問いかけ、相手の反応を観察するのだ。そうして、クライアントの中に問題を解決するような視点を発生「させ」、クライアント自身の能動的な変化をもたらしていく。
この「有効な質問や働きかけ」は、ときに催眠や誘導の作用も持つ。クライアントをいい気持ちにさせて、よい行動やよい習慣へと「コーチング」するための技術なのだ。すご~く悪用すると、商品を売りつけたり、ガイドの思う通りの心理状態から行動へと誘導したりすることも理論上は可能。まあ、当然だけどNLPを学んだ人間はそういう悪質な使い方はしない。
こんなNLPというものを前提にして……
それでは、乾貞治の言動を分析してみよう。
乾貞治の言動を抜粋する
ここでは、乾貞治が柳蓮二に対して起こした言動とそれに対する柳蓮二の言動だけを抜粋する。
乾貞治の心理描写(心のセリフ)は抜かない。柳蓮二の心理描写やコート外の言動も抜かない。なぜならNLPでは「実際の言動を対象に深層心理を読む」からだ。乾貞治(=ガイド)のどんな行動や働きかけが、柳蓮二(=クライアント)に作用していったのかを純粋に見つめる。
【底本:集英社文庫『テニスの王子様 関東大会編 6』】
※_________________________1~9の9場面に分けてみた
試合中の言動を分析する
このように言動…というよりも言葉(セリフ)だけ抜いてみると、非常に顕著なことがある。それは、「乾貞治は試合中あんまりしゃべってない」ということだ。試合の始めでは言語的なやりとりを持っている柳蓮二と乾貞治だが、試合が進行すればするほど柳蓮二がより多く発話し、乾貞治は人語をしゃべらなくなる。
では乾貞治はどのような言葉を柳蓮二に投げかけているのだろうか?
まずは冒頭部
NLPテク1:ラポールの形成
ラポールとは、相手との親睦関係のことである。
信頼とか親しみとか、なんでもいいんだけど「相手が自分を味方だと思ってくれる状態」を作り出すのがガイドの大きな役割だ。特に、同じ目線・価値観に立って話を聞く「ペーシング」がすごく大切である。一般的には相手の動作を真似たり、相手の共感を生むような立ち振舞い・語りをすると良いと言われている。
乾貞治は1場面で、柳蓮二がけしかけた「…とお前は言う」という予測合戦にまず応じ(柳の予測通りの動きをする)、乾もまた同様に柳蓮二へ「予測返し」をしている。同じ価値観に立っているということを、「同じように相手を予測すること」で示しているのだ。ペーシングである。
さらに2場面では、柳の「久方ぶり」を「4年と2ヶ月と15日ぶり」と更に詳しく言い換えて繰り返し、「容赦はしない」を否定せず「もちろん」「望むところだよ」と共感している。見事だ…見事すぎるペーシングである。むしろ相手の気合を超えるような熱意を見せていることにより、乾は柳をリードするような気配すらある。これでラポールの形成は完璧!!!!!
つづけて試合の中間部分を見てみよう。
NLPテク2:YESセット
乾貞治、3場面目での多言が嘘のように5場面目以降口数がぐっと減る。
そこで一体何をしているのか。5場面をよく見てみよう。
柳蓮二の放った高速スライスかまいたち。それに対して驚いた様子を見せる乾貞治。柳蓮二は、貞治の驚き絶望するような様子を観察しながら発言する。
『そんなに低いテイクバックの姿勢でスライスボールが打てるはずは無い』…とでも言いたいのか?
貞治の様子を観察して蓮二は
どうやら当たりのようだ
と言う。また、次の応酬では
…フ 『柳 蓮二は前後の動きには俊敏でも…ネット前での左右の動きには若干フォローが遅れるはず』…と言うことか?」
これも当たったようだ
と、貞治の様子から「当たり」「当たったようだ」と連続して納得を得ている。さらに次の応酬で、
「何故球威に押され失速しない?」…とお前は思う 違うか…貞治?
と発言。これに対して「当たったようだ」という発言はないものの、柳蓮二の描写を見るかぎり、「違うか…貞治?」のあとやはり納得を得ている状態が続いている。自分の思う通りに物事が進むので、柳蓮二はノリノリである。
さてここで、NLPテク2「YESセット」の説明をしよう。
YESセットとは、「クライアントに"YES"を3回繰り返させると、クライアントは無意識下でガイドに心を許し、4個目に言われた事柄も"YES"だと思い、その後抵抗の意思を持たなくなる」という心理的アプローチである。
もっとかんたんに言おう。
YESセットは、相手をYES!YES!YES!とノリノリにさせて、どんなことにもYES!と言いたくなるような心理をつくる催眠である。
つまり、貞治は5場面で蓮二に対してYESセットを行い、次に来る乾貞治の発言を受け入れさせようとしているのだ。ではその次にくる乾貞治の発言はなにか。6場面を見てくれ。
さ:ふ…ふふふ そうか お前も本気だったって事だな…教授
NLPテク3:ミルトンモデル
テク2も不穏だが、テク3はもっと、怖い。
ミルトンモデルとは、言葉の奥に別の意味を含ませ、それを相手の無意識下で察してもらうことによって相手の無意識を操作する発言方法である。
すごく高度なテクニックで、うまく使うと一言で顧客の購買意欲を刺激したり、相手の悪習慣を改善する意識を喚起したりできるものだ。
(長いから読まなくていいです!!)たとえば、「痩せたくないヒトは見ないでください!」なんてWEB広告。最近よく目にすると思うけれど、「痩せ」という語はそれを目にしたヒトにその瞬間「太っているかもしれない自分」を意識させ、「たくない」で「そんなはずない!」という抵抗の熱意を、「見ないで」と言われると「見る(=クリックする)」動作を一瞬想起し、それを禁止されたことによる抵抗の熱意を燃え上がらせ、最終的に「ちょっと見てみようかな…」という動作を起こさせるーーこのとき使われている言語的テクニックが、ミルトンモデルである。
で、この貞治の発言をミルトンモデルとして分析してみると…
そうか…(「そう」と言われるような何かが自分の中にあるのか?)
お前も…(お前「も」ということは、貞治は本気であり、自分も同じように本気である??)※ペーシングも同時に行われている
本気だったって事だな……(本気「だったって事」をすでにマインド・リーディングされている…わかってもらえている安心感)
教授…(4年と2ヶ月と15日前の呼称によって過去に引き戻される)
……怖くね????????????????
このひとセリフで、一気に柳蓮二の無意識を、「本気だった4年と2ヶ月と15日前」に引き戻している。
でもね、これだけじゃないの……
さ:(略)そして俺は過去を凌駕する!
NLPテク4:リフレーミング
リフレーミングとは、ある物事を表現した言葉を、元あった枠組み(フレーム)ではなく別のフレームで再構築することをいう。コレまさに「人間万事塞翁が馬」で、「落馬して骨折した」という言葉は「骨折したおかげで出兵せずに済んだ」とリフレーミングされるし、「馬が逃げた」は「逃げた馬が家族を連れて戻ってきた」とリフレーミングされる。このとき、元あった枠組みを否定することなく、「Aですね、そしてそれはBですね」というようにリフレーミングすると、クライアントは抵抗感なくAをBとして再認識するようになる。
乾貞治は、
さ:ふ…ふふふ そうか お前も本気だったって事だな…教授
で「乾も柳もともに4年と2ヶ月と15日前の過去と同じように本気である仲間だ」というメッセージを柳蓮二に投げかけたあと、それを
さ:ぉおおおおおおおおお!がぁっ!!そして俺は過去を凌駕する!
で「同じように本気である仲間の俺は4年と2ヶ月と15日前の過去を凌駕する」とリフレーミングしているのである。柳蓮二を「教授」と呼び、柳蓮二を過去に引きずってきたあと、その直後に「俺は過去にいませんけどね!!!!!」って、置いてきぼりにしている。しかもこれがすべて、無意識下で柳蓮二を置いてきぼりにしている。何度も言うけど、無意識の中でこのメッセージを柳蓮二に「感じさせている」というのがNLPテクニックの恐ろしい使い方である。
これにより、柳蓮二だけが「教授」として過去にパチンとクリップで貼り付けられた状態になり、乾貞治はこのあと、人語をしゃべらなくなる。ぉおおおおおおおおお!がぁっ!!
そして「いくぞ貞治 覚悟」へ
7・8場面、柳蓮二は無意識に取り残されたまま試合をすすめる。
おわかりだろうか。7・8場面の柳蓮二は、無意識の中で「教授」なのである。貞治はと言うと、人語をしゃべらない。だから、柳蓮二はその雄叫びを好きなように解釈することができる。自分の好むように。
柳蓮二の目の前で、雄叫びを上げる乾貞治はおそらく「博士」であったろう。その「博士」と比べるから、柳蓮二は言う。
「お前の4年と2ヶ月と15日はこんなものか」
NLPテク1のペーシングを思い出して欲しい。
ペーシングでは初め、ガイド(乾)がクライアント(柳)に語彙を合わせて、ラポール(親睦感)を増やしていく。しかしラポールが一定のレベルを超えると今度はクライアントがガイドに語彙を合わせてくるようになる。一般的にそうなるとガイドはクライアントを良い状態にみちびく「リード」がしやすくなる。
今回の場合、さて「4年と2ヶ月と15日」という表現を最初に使ったのは乾と柳のどちらだったか。
れ:久方ぶりだな貞治
さ:4年と2ヶ月と15日ぶりだ (2場面より)
乾貞治ですね。
柳蓮二、完全に乾貞治のガイドにリードされています。敢えて言おう。
「無意識下で柳蓮二は乾貞治に操作されている」と。
「無意識下で乾貞治に屈服した状態である」と。
だから、彼はすんなりとゲームカウント5-4を迎える。
(ゲーム柳 5-4)
れ:このゲーム取れば俺の勝ちだ(=回想シーン)
さ:…俺は絶対に負けない(=回想シーン・久方ぶりの人語)
れ:いくぞ貞治 覚悟!(=回想シーン)
まとめ
いかがだったろうか。
長年疑問であり、多くの議論を呼んできたであろう「いくぞ貞治覚悟」問題に、NLPの観点からアプローチしてみた。
多くのテニプリ学説の中のいち仮設として、ここに記録を残しておく。
奇しくも明日は全国大会決勝戦の対戦日8月23日。多くのテニプリファンにとって大きな祭日である。この節目にテニプリの話ができたのがなんともなく嬉しいのでこれまた記録しておく。
何度読んでもあらたな感動を呼んでやまぬ「柳蓮二VS乾貞治」。今回読み直してまたデータテニスを身にまとうふたりの魅力に圧倒された。これからも多くのひとびとがこの一戦に、そしてテニプリの世界に胸突き動かされていくことを確信している。
おんねこ拝