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私はずっと
"自分の人生なんてこんなもんだ"って、
どこかで諦めていました。

何不自由ない生活を送ってるはず。

それなのになぜか
生きることに前向きになれなくて

『なんとなく生きて、
 この人生が終わればいい。
 もともとなかった命だし。』

そんなことをふと、
思ったりしていました。


だけど、それでも
それなりの人生は送りたかった。

それなりの学歴
それなりの収入
それなりの仕事
それなりの容姿
それなりの生活ができていれば

良くも悪くも目立つことはないし
嫌われることもないと思ってたから。


私は私が思う「それなり」を
うまく身につけていたと思います。

「いつもハッピーそうでいいよね」
「悩みとかなさそうだよね」

そんな言葉をかけてもらっては、
人生に絶望している自分に
気づかれてないことに
どこかで安心してました。


美容や洋服にお金をかけるのも
勉強して資格をとるのも
仕事を頑張ってお金を稼ぐのも
平気じゃないのに平気なフリして
「大丈夫だよ」って笑顔を作るのも

私にとっては
自分に足りないものを埋めるための手段
でしかありませんでした。


誰かの役に立たないと、(価値がない。)
明るくいないと、(価値がない。)
できる人じゃないと、(価値がない。)
綺麗じゃないと、(価値がない。)
おしゃれじゃないと、(価値がない。)
知識がないと、(価値がない。)
お金を稼げないと、(価値がない。)

そんなふうに、
自分で自分に条件をつけて、
取り繕って生きてきたからです。


だけど、もちろん
そんな外側のものでは
自分はいつまで経っても満たされなかった。


いくら、
自分の思う「それなり」を身につけて
そんな自分で、人から賞賛されたとしても

身につけた鎧がどんどん重くなって
本当の自分が分からなくなるだけ。


お金や労力だけがどんどん消費されて
生きるエネルギーもなくなっていきました。




そして、29歳の時、
仕事帰りにパニック発作を起こし、
私は仕事に行けなくなりました。

適応障害との診断でした。


その時は、会社で昇格して
部署で大きな役割を任された年。

自己犠牲して働き続けて
半年が経った時でした。


役に立たなきゃ
期待に応えなきゃ

そんなふうに
他人からの評価を求めて
心と体に鞭を打って
生きてきた私に残ったのは、
空っぽでボロボロな自分だけでした。



こんな私に失うものなんてない
と思ってたけど、
ちゃんとありました。

働いて収入を得ること、
食べたいものを食べること、
行きたいところに行くこと、
友達や大切な人たちに会うこと、
夜眠って朝を迎えること、

そんな、
当たり前だと思ってたことが
全部できなくなって
たくさんの時間とお金を失いました。



だから私は、
自分で自分に愛を注ぐことの難しさも大切さも
痛いほど知っています。



みんな、価値がある。
可能性がある。
もっと幸せに生きていい。
生きることを楽しんでいい。
幸せは諦めなくていい。


誰かが幸せにしてくれるのを待ったり、
持っている外側の条件で
自分の価値を判断するのではなくて

自分が自分を信じる。
自分が自分の味方でいる。
自分が自分を幸せにする。
自分で自分の人生に責任を持つ。

そんな軸を持てれば、
どんな時も
強く、だけどしなやかに
生きていけるんだってことを

体現し、
これから色んな形で伝えていきます。


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