MDの話
悲しいことだと思っている。定期的に思い出しては悲しくなる。なぜMDが生産中止になってしまったのか。無駄にカチャカチャするあの音。びっくりするほどの正方形。薄さ。ツメが開閉式なところ。ちょい透明のやつだと中のディスクが見える。すばらしいフォルムだとしみじみ思う。そんなMDがなくなってしまった。悲しいという以外に言葉が見つからない。
お気に入りのアルバムと深夜ラジオと、とりあえずTSUTAYAで借りてみたアルバムをMDに入れる。そして選抜された5枚くらいをウォークマンと一緒に、あの巾着に入れて持ち歩く。予備の電池をくるくる付けるやつもあったら、その日の娯楽は保障されたようなものだ。それで満足だったのだ。
その頃のことを思い出すと少し胸がざわつく。あの頃はよかったとか戻りたいとか、そんなベタな感慨に耽っているわけではない。たぶんあの頃よりも今の方が満ちているだろうし、まぁそれなりに楽しく過ごせてはいるだろう。じゃあ、このざわつきは何なのかということになる。MDのあのカチャカチャの音が耳にこびりついているからなのかもしれない。あの音が、あの頃の自分が呼んでいるのかもしれない。……なんてことは一切なく、ただただすこしばかりざわつくのだ。
今ほど暑くなかった夏。自転車を走らせる帰り道。風が気持ちよくて、夕陽を見ても何も感じなかったあの頃。MDウォークマンから流れるお気に入りの曲をふわりと聴いている。まぁ、それが青春みたいなことだったからなのかもしれない。だから少しざわつくのかもしれない。
ある時、いつものように呑気に歌っていたらトラックに轢かれたことがあった。痛かった。お気に入りの自転車が引くほど曲がっていた。私は少しだけ膝を擦りむいた。ギリ出血はしなかった。外れたイヤホンを付けるとギターかきならした浮かれた曲が流れていた。私もウォークマンも頑丈だった。自転車だけが再起不能になっていた。この事故のことは夏になるとオリンピックよりも長い間隔を経てうっすらと思い出す。
いつかの自分をざわつかせるようなことをいっぱい経験したいなと思う。いつだっていくつになったって、お気に入りを持って風を感じていたい。今、ウォークマンには聴ききれないほどたくさんのデータが入っている。永遠に聴き続けられるかもしれないほど。それでもあのカチャカチャを懐かしく思う。全部のお気に入りは持てなかったけれど、それでもよかった。それでも構わない。それがいいのかもしれない。だからMDがなくなったのはとても悲しいのだ。「そんなに言うならMDの生活に戻りなよ」って言われたらそれはすぐに断る。その日の気分なんてわからないのに5枚のMDでは賄えない。やっぱりウォークマンには無限にデータを入れておきたい。わざわざディスク入れ替えたりするのはめんどくさい。もしかしたら、MDのカチャカチャってうるさいのかもしれないな。
頑張ります!一生懸命頑張ります!!