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高校の時、寄り道をしていて、校長先生に出くわした話から‥‥

高校の頃の話。

結構厳しい高校だった。
寄り道は禁止。寄り道がバレて、職員室に呼び出され、写経を何枚も書かされたなんて話をよく聞いた。
それでも、最寄りの駅は繁華街。学校帰りは小腹も空いて寄り道をするものは大勢いた。

私たちもそんな寄り道組の一人だった。

高校三年生のある日、親友三人で、ステーションビル内の喫茶店に入りパフェを食べていた。
今はその店は無くなってしまったが、名前もはっきり覚えている。『はまゆう』だ。

いつものようにキャッキャとお喋りしながらパクついていた。

そこへ男女が入ってきた。男性の方は校長先生。目があったような気がした。思わず三人同時に目を伏せた。私たちの席は一気に静まり返る。

当然学校帰りなので制服を着ている。校長先生からすれば、自分の高校の生徒であることは一目瞭然だ。
本来なら、私達も、そこで一目散に逃げてしまえば良かったのだろうけれど、私たちは静かに、パフェを食べ続けた。
高校生の小遣いで食べるパフェは高級品だ(笑)
半分以上残っているものを置き去りにして出ることができなかったのが正直なところだ。

無言で食べ続ける。
時間がとても長く感じた。

校長先生の方が先に席を立った。近づいてくる。私たち三人の誰もが「叱られる」と思った。
が、校長先生は極上の笑顔で一言だけ私たちに声をかけて店を出て行った。
「気をつけて帰るんですよ」


「叱られへんかったなー」
「でも明日、呼び出されるかもー」
「まさか、先生が入ってくるなんて。しかも校長先生やで」
口々に小声で、気持ちびびりながら話した。

私たちが店を出ようとレジに立った時、店員さんが言った。
「もう、お代金いただいていますよ」

その後、私たちが職員室に呼び出されることはなかった。
おそらく、校長先生と私達だけが知る出来事となったようだ。

卒業の時、先生方にサインを書いてもらうのが流行った。私は別段書いてもらいたいと思うような先生との出会いがなかったので、諸先生方には書いてもらわなかったが、校長先生に書いてもらいたい、とだけ思った。
同じように校長先生に書いてもらいたいと考えた友人と、なら一緒に行こうと色紙を一枚持って、校長室に行った。

何日後かに取りにおいでと言われて取りに行った色紙に書かれていた言葉が『慈悲』だった。
なんだったか忘れたが、友人は違う言葉。

校長先生は僧侶でもある。

「あなたは、きっとこんな人になれますよ」とあの時と同じ極上の笑顔で言われたが、高校三年生の私はその言葉『慈悲』の意味が分からずに、ただ、仏教用語かー、校長先生僧侶だもんなあ、なんて思って持ち帰った。

卒業して、新聞などで校長先生が四天王寺の館長になられた、猊下と呼ばれているらしいなどのニュースに触れながら、「へぇ、もっと偉くなったんや」程度の感想を持つだけで時を重ねた。色紙も押入れのどこにしまったやら、になってしまっていた。高校の時の思い出の品なんて、そんなものだろう。

しかし、ちょうどカウンセリングルームを開く時、ひょこっとその色紙が出てきた。本当にひょっこりとだ。
飾ってみようか?

飾る限りは、と、仏教でいうところの、その言葉の意味を調べた。
『慈悲』とは、
抜苦与楽。苦を抜くを『慈』、楽を与うるを『悲』。
抜苦とは、苦しみを抜いてやりたいという。与楽とは、楽を与えてやりたいという
そして、この苦や楽は決して物質的なものではなく、また一時的なものではないと。

この色紙、カウンセリングルームにちょうどいいな、と思いながら飾っている時に、ふと気づいた。
ああ、校長先生は、もしかしたら、私があの時の高校生の一人であることを知っていて、この色紙の言葉を書かれたのだろうか。
叱られるより何より、あの出来事は私の心に残っていて、事あるごとに、あの時の校長先生の意図はなんだったのだろうと考えることがあった。

そして、考えるたびに、こっぴどく叱るより、ずっとずっと心に残っていることに気付かされた。

自分が子供を叱り過ぎた時、あの出来事を思い出して反省したものだ。
叱られるより身に染みたよなーと。その都度その都度、考え、反省し、すると叱りすぎる感情が鎮まったりしたものだ。

そっか、そういうことか。
長い長い年月をかけてその人の根っことなっていくものを足元に転がす。それが本当の教育であり、『慈悲』の心なのかもしれない。
押し付けではなく、恩着せがましくもなく、そっと心の片隅に転がす人生のヒント。

もちろん、仏教に詳しくないので、もっともっと別の意味がこの言葉にあるのかもしれないし、校長先生の本当の意図なんて先生にしかわからないが、私なりの解釈で心の灯火にすればいいのかもしれないと。
そんなことを感じながら、今はもうお亡くなりになった校長先生に書いていただいた色紙をカウンセリングルームにそっと飾り続けている。

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そして、それは、私のカウンセラーとしての心情にも繋がるものとなっている。
この部屋での出来事が、会話が、その人にとって必要ならば、心の棚に乗っけて帰ってくださるだろう。そして、ふとおろしてきて、その人なりの解釈で、その人なりの使い方をしてくれるだろう。そんな場所になれますように、と。
苦しみを抜いてあげたいという、楽を与えてあげたいというを常に持ちながら、持ち帰ってもらうものを少しでも提供できるように、私自身も学び続け、押し付けることなく、その心に沿ってこの仕事を続けていけたらと思っている。




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カウンセラー・作家。カウンセリングルーム「おーぷんざはーと」(大阪)1991年設立(https://othpage.com/)。著書「モラハラ環境を生きた人たち」(而立書房)「カウンセラーが語るモラルハラスメント」(晶文社刊 現在9刷)他 共著あり。執筆依頼、お待ちしています。
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