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みんな違ってみんないい?「多様性」の意味を考える【正欲】

いろんな人がいて、それぞれの考え方があるよね。

そんな状況に出くわしたとき、私たちはつい「多様性」という都合のいい言葉を、いとも簡単に使ってしまう。私もなるべく、多くの個性や能力を受け入れ理解したいと思っているからこそ、この言葉を使っていたし、前向きに捉えていた。

朝井リョウさんの小説、「正欲」を読むまでは。

多様性とは、都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突き付けられる言葉のはずだ。

みんな違ってみんないい!は、とてつもなく表面的な考え方なのかもしれない。そもそも誰かを受け入れるという考えがある時点で「まとも側の岸」にいて、心のどこかで自分は正しいと思っているのだ。

それでも、自分は正しいと主張することもできない。
なぜなら、自分が正しいか自信がないから。

ただ、「まとも」であるために、自分を殺してでも多数派の道を選んだ経験がある。だからこそ自分は、「異質な」マイノリティを受け入れ認める側なのだと勝手に安心していたのかもしれない。そしてそれが「多様性」だと思うに留まっていた。私もただご都合主義なだけのマジョリティにすぎなかった。

三分の二を二回続けて選ぶ確率は九分の四であるように、“多数派にずっと立ち続ける”ことは立派な少数派である

多様性とはなにか。マイノリティとはなにか。

言葉は時に人々の思考を止めてしまう。私は劣等感に対する傲慢な許容を、「多様性」と片付けてしまっていたのではないか。想像しても及ばない世界があることを、この小説は教えてくれる。

多様性を重視する社会に水を刺す、痛快なストーリー。本当は全てを認め合うことはできないのかもしれない。でも、これからは「多様性」を捉え直したうえで、引き続き大切にする必要があると思った。

「正」しさと「欲」望の葛藤を知ると、「読む前の自分には戻れない」。


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