見出し画像

〜「人は皆自分自身の人生の経営者」〜いちじくの人生経営塾 開塾

「人は誰もが自分の人生の創造者」と言うとあまりにも胡散臭い(=わかりにくい)ので、

私は、

「人は誰もが自分の人生の経営者」と言い続けてきた。

デジタル大辞典で「経営」を調べると、

【事業目的を達成するために、継続的・計画的に意思決定を行って実行に移し、事業を管理・遂行すること。】

とある。

事業を人生に置き換えるとこうなる。

【人生目的を達成するために、継続的・計画的に意思決定を行って実行に移し、人生を管理・遂行すること。】

人生と事業、どちらが大きいだろうか?

事業の中に人生があるのではなく、

人生の中に事業があるのだから、当然「人生」の方が大きいと私は思うのだが如何だろう?

人生を経営するのは、事業を経営するよりはるかに壮大ではないだろうか。

人は皆、どんな大きな会社より壮大な自分自身の人生の経営者なのだ。

だから、どこぞの会社の社長を羨ましがるなんてことはナンセンス甚だしい。

そんな人がいたら、「あなた、そんな会社どうして羨ましいの?それよりはるかに大きな物持ってるでしょ!人生という大きな物!」と私は言ってやりたい。

もちろん大きな会社の社長も会社よりはるかに壮大な「彼自身の人生の経営者」なのだから、皆同じということだ。

人生には自分では把握しようもない偉大なる全宇宙が関わっているから、私は、事業も人生も「自我の力」だけでは管理・遂行することなんてできないと思っている。

それでも自分の人生のシナリオをコツコツと描くことはとても興味深い作業だし、シナリオを描いた方が、シナリオが”ハズレ”た時も含めて人生は数倍楽しくなる

40年前はまだ「自分が自分の人生の経営者」だなんてことを考える必要がなかった。「国」という傘、「会社」という傘の下に入って、右と言われれば右、左と言われれば左を向いてさえいれば、なんとなく幸福に暮らしていけた。

だけど、今はどうだろう?・・


私が、「自立」の必要性に気がついたのは30年も前のことだった。

30年前にもう教育システム(家庭教育も学校教育も)は崩壊寸前だった・・

当時の教え子たちが大人になった時、世の中が大変になる・・と予想がついた。

だから、自分で考え自分で行動する「自立」した人を育てることが必要だと思った。

「自律」ができないと「自立」はできない。

だから、子供のうちに「自律」できる精神を育てなければならないとも思った。

その教え子たちの世代が今、40代の働き盛りになった。

新しく出会う40代〜50代の方々に、

「あなたがあなたの人生の経営者なんですよ。あなたはあなたの人生を自由に創れるんです。」と言うと、

「そうなんですか! それってどういうことですか?」と聞いてくれる。

そういう方が何人かいらして、私は先月リアルな世界で実際に「人生経営塾」を始めた。

私の人生経営塾は、(対面でもオンラインでも)完全プライベートで行われ、自分の人生の目的探しから始める。人生の目的というのは、ガラクタ(自分を縛っている思い込み)の中に埋もれている宝石のようなもので、上手にガラクタを取り除いてやれば自ずと見えてくるものだ。いきなり最終目的を見つける必要はない。一つずつ直近の目的を見つけながら自分の道を創っていけばいい。人にはワクワクする目的が必ずある。それが見つかった時の嬉しさと言ったら、何物にも変えがたい。目的が見つかるというのはそれを覆っていた「ガラクタ」が取り除かれるということだから、もうそれだけで心が晴れやかになる。そして目的が見つかると、それまでのなんでもなかった(というよりどちらかというとくすんでいた)日常が輝きだす。

「人生経営塾」を通して、私は多くの喜びに出会ってきた。それらは私自身の人生の気付きや喜びでもあった。それで、私は「人生の経営」に関して役に立ちそうなことを、今後、noteというこの素晴らしい場に、書き留めていこうと思い立った。

それはほとんど自分自身のためであるけれど、真剣に自分の人生を自分で経営しようと思っている方のお役に立てるかもしれないとの思いもある。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?